第199話 暗殺教団『宵の明星』



「結局のところだ。お前はテメレール様のことを、どう思っているんだ?」

「はて?」


 テメレール公直下の超人騎士団、狂える猪の騎士団の一員と一緒に帝都の路地裏を歩いている。

 彼女は私に破壊された盾を新調したらしく、盾の紋様には『desdichado(勘当者)』と殴り書きがされている。

 そういえば、私は盾を持っていないな。

 騎士であればカイトシールドぐらいは持っていたいものだが。

 単純に使わないからであるが、まあポリドロ家の家紋である『鍬と菖蒲』が刻まれたものぐらいは所持していたいところだ。

 家紋が刻まれた品は、貧乏領地であるポリドロ領には少ない。

 従士長であるヘルガが他家に出向く際の身分証明として、鞘に家紋が刻まれた短剣を持ち合わせているぐらいである。

 今は懐が暖かいので、従士全員に同じものを持たせてもよいかもしれない。

 その際は、今まで従士長の家系として唯一家紋の鞘を与えられてきた一族の誇りを、他にも共有されてしまったと。

 ヘルガが拗ねに拗ねるのは目に見えているので、彼女にも別な何かを与えての上でだ。

 こう見えて、私は領民には気配りが利く方である。

 貧乏領主のはずの私に金があるのは、ヴァリ様が前日の戦で報酬を大盤振る舞いしたせいであるが。

 さて、同行してくれた『狂える猪の騎士団』である彼女たちは何を貰ったのだろうか?


「話を聞いているのか?」

「勘当者はヴァリ様からいくら貰ったんだ? アナスタシア様が払うだけではなく、ヴァリ様は個人的な報酬として支払ってくれたはずだが」

「うん、全然話を聞いていないな。いや、まあ盾を新調しても余るぐらいには金を貰ったけどさ。『狂える猪の騎士団』連中は、それなりに色々ともらったさ」


『サムライ』だけは、金ではなくて別に欲しいものがあるって言っていたけれどな。

 まあ、内容はおおよそ理解しているし、別にそれはよい。

『特別な感謝のしるし』に何を求めたかを聞く必要はないし、ヴァリエール殿下がすこしげんなりとした顔で、サムライなどはホッコリとした顔で喜んでいたので、まあ交渉はなんとかなったんだろう。

 どうでもよい事だと。

 お前のことなんて、どうでもよい事だと、勘当者はウンザリした様子で語った。


「いや、もう、その辺りはどうでもいいんだよ。私はテメレール様に幸せになってもらいたいんだよ。個人的な憎しみや怒りだけで、何もかもが満たされる歳でもない。惚れた主君の幸せを願うのが、真の騎士であるはずだ。お前にも、そこら辺はちゃんと考えて欲しいんだよ」


 はて、と。

 首を傾げ、勘当者の言葉を聞く。

 どうにも彼女の言いたいことが理解できない。

 テメレール公に幸せになって欲しいと言っているのは理解できるが、どうも迂遠な言い方であり、具体的に私にどうして欲しいのかが理解できない。

 騎士として、曖昧な状況などは嫌いであった。

 少なくとも会話相手が何をしてほしいのかは貴族として理解しておかねばならぬ。

 だから直接、何をして欲しいか聞くべきと考えていたのだが。


「さて、まあ気になる話だが。そろそろ止めようか。連中を殺した後でも別に構わないだろう?」


 途中で会話を打ち切り、今すべきことを告げる。

 勘当者は頷いて、腰にぶら下げていたモーニングスターを手に携えた。


「わざわざ裏路地までご苦労なことだ。表通りを通って、そのまま帰ればよかっただろうに」


 死ぬほど面倒くさそうな顔で、険のある尖った目つきで彼女は吐き捨てた。

 まあ、彼女の言うとおりにしても良かったのだが。


「悩んだところだが、明確な敵は減らせる時に減らしておいたほうが良い。他の者が狙われると困る」


 同じように吐き捨てて、筋肉を弛緩させる。

 喧嘩を売られた以上は殺さねばならなかった。

 それが正面切っての相手であれ、背後や脇から毒塗りの短剣を突き刺してくる相手でも同じである。


「さっさと出てこい。暗殺者風情が」


 アナスタシア殿下の住まう屋敷から離れてずっと、気配が付きまとっている。

 このファウストは暗殺者などに一度も出くわしたことはない。

 なれど、人の死には戦場で呆れるほどに触れていた。

 濃密なものであれ、乾いた簡素なものであれ、殺気さえあれば超人としての勘が感知するというものだ。


「教皇の手の者か? 皇帝の手の者か? ああ、どちらでもよい。聞く気もない。この場で縊り殺して、そこらに死体を投げ捨ててお前らの人生は御終いだ。覚悟はできているな?」


 数を数える。

 路地裏に入る前に尾行してきたものが5名。

 横道に隠れているものが3名。

 寂れた裏路地商店の物陰に隠れているものが4名といったところか。

 併せて12名、他愛無し。

 通常ならば、数分もかけずして皆殺しにできるだろう。

 愛用の剣はないが、腰に肉厚のナイフは数本仕込んでいる。


「そう剣呑とした雰囲気では、こちらが驚いてしまうぞ? うん? 別にこちらに争う気はないのにのう?」


 暗殺者は物音を立てずに一斉に襲い掛かるのではなく、正面から一人の少女が出てきた。

 まるで老婆のような口調で、彼女は呟いた。

 くちくちと音を立てて、何かを噛んでいる。

 ぺっと痰とともに、何かを地面に吐き出したのが見えた。

 何か樹脂のような塊で、茶色かった。


「マリファナか。麻薬中毒の下郎が」


 勘当者が、故郷の言葉でそれが何かを呟いた。

 大麻、ハシシ、チョコ、そういった前世における『吐き出したもの』の忌み名を頭に思い浮かべる。

 麻薬をキメてやがる。


「失礼。習慣となっているもので、口に咥えていないと落ち着かぬのじゃよ。もう吐き出したぞ。おぬしらと喋りたいからのう」


 舌を大きく広げ、もう口には何も含んでいないことを示す。

 大仰なジェスチャー、へらへらと笑う少女。

 近づいて殺すのは良いが、わざわざ相手の望む行動をとってやる必要もない。

 というより、マズイな。

 この状況は明らかにマズイ、正直侮っていた。

 超人がいても、狂える猪の騎士団ほどの練度はないだろうと考えていたのだが。

 眼前の少女は明らかに只者ではない。


「教皇の手の者か?」

「全然違うのう」


 少女の瞳が、私の目を見据えている。

 何か、じっくりと品定めをするかのようであった。

 人の価値観を秤にかけて、羽より魂が重いのかを計算しているかのような、古代エジプト神の検事に模した表情そのものでいた。

 判断ミスにより戦闘を選んだ自分に対して、舌打ちをする。


「なるほど、なるほど。話には聞いておったが。なかなかに、いや、見事そのものである超人ぶりじゃのう。少し手合わせを願おうかとも考えたが、さて、それを試しては何人死んだことやら。こうして、ワシ自らが話しかけて正解じゃったのう。これでは、我が分家を事実上滅ぼしたレッケンベルに勝ったというのも真実そのものか」


 私は明確な失敗をした。

 勘当者はここで死ぬだろう。

 少女の眼光を見て、唐突に思い浮かんだイメージがそれだった。

 私だけならば、なんとかなるだろう。

 このまま『一人で逃げ果せるだけならば』なんとかなるだろう。

 暗殺者からの逃走は、騎士における名誉の死ではない。

 今すぐに横道でも、背後でも一目散に走りだして道すがらに暗殺者を殺して逃げればよい。

 そうすれば、私は助かる。

 だが。


「お話をしてくれんかのう? まあ、選択の余地を与えるつもりなんてないんじゃが」


 隣の勘当者は死ぬだろうな。

 確実に死ぬ。

 そして、それを理解できぬほどに『勘当者』は間抜けではない。


「何をやってんだ。ボケっと立ってないで、さっさと逃げろよ糞野郎。そうして、テメレール様に報告するんだ。私たちは教皇を甘く見ていましたとな!」


 死を覚悟して、勘当者は冷たく言い捨てた。

 ……理解する。

 ここで逃げぬと言えば、彼女という騎士に、『勘当者』に対する侮辱であろう。

 だが、しかしだ。


「ここで逃げては、ヴァリ様への援軍に参加してくれた貴卿を見捨てては。もはやテメレール公に顔向けできぬよ。二人でやれば、勝ち目がないわけでもあるまい」


 私は主君であるヴァリ様のせいか、少し甘くなったようだ。

 ここで勘当者を見捨てて逃げ出すことはできぬ。

 たとえ、たとえだ。


「馬鹿野郎が! 全員が超人の暗殺者集団とあれば、お前だって勝てる可能性が高いわけじゃない!!」


 ここにいる暗殺者12名全員が、超人であろうともだ。

 眼前の少女が、テメレール公に匹敵する強者であろうとだ。

 私がかつて一騎打ちにて討ち果たした、あの英傑ならば薄目をうっすら開くだけで窮地を抜け出したに違いない。


「レッケンベル卿ならできたぞ!」


 かのレッケンベル卿ならば圧倒的に勝利しただろう。

 ならば私が勝てないとは言えまい。

 そう言い張って、私は勘当者と協力して死地からの脱出を試みる。

 だが。


「ふむ。二人とも、何か勘違いをしておるのう。ワシは教皇の手の者でもなければ、皇帝の手の者でもないぞ」


 少女が、何か変なことを口走った。

 いや、先ほどからそうなのだが、信用はできぬ。

 猜疑心に駆られる。

 何か言葉遊びをして、興味を引き付けた上に首を掻っ切る算段か?

 そう判断して警戒を緩めぬが、少女が否定した。


「何か疑っているようだが、そういう理由ではない。人のことを疑いすぎじゃのう。まあ、調べた限りでの状況を知れば理解できんでもないんじゃがのう。ちと、状況が悪すぎたか」


 少女はぱん、と両手を合わせて叩いた。

 背後、横道、物陰。

 そこに隠れていた、眼前の少女を除いた11名の気配があっさりと消える。

 殺気を消したというわけではなく、単純に立ち去ったのだ。

 気配が遠のいていき、眼前の少女を残して以外の殺気というものが消える。


「うん? これだけでは不服かのう? ワシが地面にでも這いつくばろうか? 犬のように」


 少女が首を捻る。

 さすがに、ここまでされれば理解はできる。

 眼前の少女は、私たちを殺す気など皆無であるのだと。

 本当に話し合いをしたいのだと。

 殺気を完全に消し去った者が潜んでいるかもしれないが、まあ私に気取られぬほどの超人が仮にいるとすれば、抵抗するだけ無意味であった。


「はて、本当に話がしたいのか? 戦闘が望みではなく?」

「そう最初から言うとる。おぬしを通して、アンハルト王国の後継者と話したいことがあるのじゃ。囲んで脅したのは悪かったがのう。実力を測りたかったにすぎんのじゃ」


 少女をよく見る。

 やや褐色をした肌の少女だった。

 歳は14歳がせいぜいといったところに見えるが、口調は婆さんそのものである。


「さて、警戒を解いてもらうためにも、このワシの名前を教えておこうかのう。ワシの名前は無いが、かつては「山の老人」などと呼ばれておった。仮に一族を代表するとしてナヒドと名乗っておこうか。名の意味は『宵の明星』。葬礼を人々に知らせ、死の訪れを響かせる晩鐘なり。パールサにおいて数々の王朝に仕えてきた者なり。モンゴル帝国に滅ぼされた異国パールサ王朝のお抱え暗殺者一族の長であり、命からがらこの国まで逃げてきた者じゃ」


 異国パールサ。

 すでにモンゴル帝国に滅ぼされ、支配されているとテメレール公が教えてくれた国家の名前を挙げて。

 仰々しい名乗りを上げる少女を見て。


「この帝国では、アンハルト王国の言語に則してやれば我が名をヴェスパー(宵の明星)というそうじゃな。この国の正統を名乗る宗教が集めた軍勢による、パールサへの侵攻に参加した際にアンハルト王家との秘密契約にて。一族のマン(男)を紋章官にくれてやった一族だと。没落したヴェスパーマン家の本当の開祖直系の者だと、名乗ってやればわかるかのう? もっと一から説明せねばわからぬかのう? どうにも、おぬしは頭が悪い男と見えるぞ? 個人が知れることなど少ないし、まあおぬしは王国の内密に関わってないがゆえに仕方ないのかもしれんがのう? うん??」


 私は狐につままれたような顔で、間抜けに口を開けて。

 ザビーネの一族の事を言っているのかと、確認するように小さく声を漏らした。

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