第185話 暴力とは常に理不尽である

「やるしかない。それだけを考えていれば、自然にこちらへと勝ちの目が動くのだと」


互いの斜線陣が接触しつつある。

会戦が始まり、ヴァリエール殿下の軍勢3000と、マインツ修道騎士団6000が衝突しようとしているのだ。

目に見えて戦列の分厚さは異なり、最前列にて甲冑を身に纏う者の数さえもが段違いである。

このアメリアにも読めていたことであるが、マインツ枢機卿は同じ斜線陣を選んだ。

勝利への工程を明確化するにあたっては包囲を無理に試みず、一気にこちらを打ち崩す攻勢を選択せず、彼女は兵力にて純粋に圧倒する判断をした。

変に華麗に勝とうとして、こちらへの隙など与えたくないのだ。

もちろん、戦列に穴が開くなどの隙があれば突撃、または後方に回す予備戦力は保持しているだろうが。


「それゆえに勝ちの目があるのだと、ヴァリエール殿下は仰っていたが」


ヴァリエール殿下は高等教育こそ受けているが、悲しいかな戦場経験が浅い。

なんならば、将としての機知さえも乏しかった。

そこまで断言できる背景が存在しないのだ。

ザビーネ卿の判断か?

いや、ザビーネ卿は戦略や戦術にも見識がある有能なれど、どうにも違う気がしている。

マルティナと名乗る子供が、軍議にて何度も殿下に耳打ちしていた。

まあ、さすがにあの子供が戦術を指南したわけではなかろう。

だから、おそらくは――従士に命令した騎士がおり。


「……」


それは眼前にて沈黙している、バケツ頭の奇妙な騎士であると推測する。

2mを超える大柄であり、プレートメイルの胸元中央には大きくケルン記章が刻まれている。

どういうわけだか、少しも口を開こうとせぬ。

なれど、ヴァリエール殿下の姉君である『人肉喰らいのアナスタシア』からの正式な伝令使である。

たとえデカマラス卿などとふざけた名前を名乗っていようが、このアメリアには一廉の人物に感じられる。

というよりも、先程から威圧感が凄いのだ。

私などはまだ良い。

馬に乗れるからと突撃隊に志願した黒騎士連中などは、馬を制御できないでいる。

平時なれば彼女たちとて乗りこなすことは出来たであろうが。

眼前のデカマラス卿が跨がる馬の発する異様な熱気に、彼女らの馬が呑み込まれてしまっているのだ。

怯懦ならばまだよい。

発狂したようにドンドンと地面を叩き、突撃を馬がせがむのだ。

馬とは臆病な生き物ではなかったのか?

さっさと殺して終わらせようぜと突撃をせがむために、酒保商人や旅芸人から馬を借り得ただけの黒騎士などは、泣きそうな顔で必死に馬を制御しているのだ。


「完全にあの雄馬が群長になってしまっている」


何故か、馬の名は教えてくれなかった。

あのデカマラスとかいうふざけた偽名の騎士同様、本当の名を教えるつもりなどないのであろう。

見事な馬である。

普通のグレートホースの体高1.5mに対して、あの馬は2mを優に超えていた。

体重も1トンを超えているだろう。

脚は異様に太くて、騎士の重量を支えるために産まれたような腿をしているのだ。

全身に冬毛のようにぼうぼうに体毛が生えているが、それは老いているためではない。

人に養われるなど考えていないがための野生馬のようにして、人の矢を通さぬためだけに毛が生えたような体躯をしているのだ。

アレは本当に馬か?

どこからあんなものを連れてきたのだ。

市井の馬市場で手に入れられないことだけは間違いなかった。


「……」


バケツ頭が、馬の耳に顔を近づけて何やら囁いている。

状況を理解したのであろう。

馬の威圧を抑えてくれるのだと、このアメリアなどは思うて安心した。

だが、逆であった。

そろそろ突撃だと合図したのか、私の馬を含めた全騎が突撃の気配に「かかり」始めた。

人に接触するなどして、自分が怪我することだけは戦馬とて恐れる。

だが、それすら今は考えていないのだろう。

手当たり次第に轢き殺すといった風情である。

完全に眼前の雄馬が放つ戦の気配に「かかって」しまっているのだ。

何やってんだ、この馬鹿めとバケツ頭を睨み付ける。

そんなこと気にも留めぬような装いで、バケツ頭は先頭を歩いていく。

その後ろには、6人の騎士がいた。

『勘当者』『サムライ』『ケルン騎士』『敗北者』『日陰者』『忠義者』などと名乗る極めて胡散臭い連中である。


「さっさと終わらせよう。そして報酬を貰うとしよう。マインツが如き相手など、乾坤一擲の勝負でもあるまい」


気負いもしない、6人の内の一人である誰かの呟きが聞き取れた。

全くヴァリエール殿下の勝利に対して疑いなど無いようである。

恐怖から出た自分を落ち着かせるための『ありがちな軽口』などではなく、心底からマインツ枢機卿を舐め腐っていた。


「……怯懦よりはマシだが」


怯えるよりはマシである。

馬とは違い、戦なれば人が怯えていては話にならぬ。

そう考えよう。

兵の練度が劣っている以上、士気で負けていては何も達成することができないのだ。

会戦が始まっている。

両軍の距離は近づいている。

ケルン派を信仰する傭兵団などが所持するマスケット銃は200m先まで届くが、それは弾が到達するだけである。

有効射程という意味では、甲冑を突き破り血肉を抉るためには、100mよりも近づかねばならぬ。

クロスボウよりも有効射程が短く、命中確率は低く、真っすぐに飛ばず、なれど旧型の甲冑なれば鋼ごと突き破れる。

今のマスケットというのは、たったそれだけの価値である。

最も良いところは、矢などよりも鉛玉は遥かに安いということだろうか。

……火薬の調合成分がグステン帝国では産出しないため、製造方法を秘事としているケルン派を通さねば手に入らぬのも欠点か。

そのケルン派が銃を撃ち始めた。

有効射程圏に入ったからではなく、味方を励ますための景気づけであろう。

マインツ枢機卿に悔悟の機会を与えてやる、などと叫んでいる。

ケルン派は狂っていた。


「……そろそろ考えている暇もない」


この斜線陣は、もっとも強力に戦力を保有する左翼の騎兵隊から突撃が始まる。

弱点である右翼の衝突などは遅いが、まあ衝突しても幾分か持つだけである。

どれだけ士気が軒昂であれど、いずれ打ち負けるのはわかっている。

この戦争、勝つ方法はたった一つである。

我々が敵方の右翼を打ち破り、側面または後方から蹂躙するか。

あるいはマインツ枢機卿を討ち取るか。

だが、見よ眼前の敵方を。

戦力を集中した我々よりも、敵陣は分厚いではないか。


「このような今更の見識など、埒もない」


分かっていたことだ。

知っていたことだ。

我らは負けるだろう、それを承知でヴァリエール殿下という存在に惚れ込んでしまった。

士は己を知る者の為に死す。

おそらく勝てはせぬだろう。

我が遺骸はズタズタに切り刻まれて、吊るされるだろう。

それでもよい。

それでも、ヴァリエール殿下がもしお逃げになる判断をされた場合、その追撃を諦める程度にはマインツ枢機卿を追い込んで見せよう。

奴めの絹服の袖一つを破り取り、心身を病に追い込む恐怖を刻み込んでやる。

ああ、何もかもが埒もない。


「突撃準備を」


私がこの騎兵隊の指揮官である。

とにかくも、くれぐれも隊列の維持には気をつけねばならぬ。

士気高揚は、あのデカマラス卿とやらがやるからよいとは言っていたが。

誰もかれもに破れかぶれの突撃意気を高めるつもりとは思ってもみなかったが。

とにかく、もう衝突まで時間はない。

突撃準備を。

そう考えるが。

信じ難いものを見た。


「ベルリヒンゲン卿! 大砲です」


見ればわかる。

敵陣の戦列が避け、そこから8頭の馬に牽引された野砲が見えた。

野砲周囲の人間が耳を塞いで、嬉々とした顔でこちらを見ている。

6ポンドに近い大砲にて、我らの突撃の出鼻を挫こうというのだ。


「見ればわかるわ! マインツの奴めが、テメレール猪突公の真似事か!!」


騎馬砲兵。

大砲というものが流行りつつある帝国では、一つの発想として有り得た。

マインツとて財力に富んだ選帝侯の一人。

いざという時に状況をひっくり返すか、それとも勝利を確定させるための隠し種一つ程度持っていよう。

その一つが現れたにすぎぬ。


「突撃開始! 大砲で何人の騎兵が吹き飛ぼうが、その手指や血液が我らの体に付着しようが、一切気にするな! 汝ら覚悟あれば、死んだところで我らの邪魔にならぬように、自らその血液を我らの肌身から外せ。この程度で我らヴァリエール殿下の騎兵突撃が止められると思うてか!!」


散開すべきではない。

散開後に集中し、再突撃を行う技量など我らの騎兵隊にはない。

そのようなこと、よほどに訓練された修道騎士団でしか叶わぬのだ。

それこそ、眼前のマインツ修道騎士団のような。

ただひたすらに突撃しかない。

我らは戦う前から選択肢が奪われて、ここにいるのだ。

所詮はヴァリエール殿下に拾われた落ち穂どもであるのだ。


「私は、大砲にすら負けなかったのだ。例え貴様らの腕や足がもげようとも、私が代わりを買ってやる!!」


右腕を掲げる。

義手である。

大砲で無茶苦茶に砕けてしまった右腕であった。

誰かが笑った。

皆が笑った。

敵は侮蔑に満ちた顔で笑い、味方はそれぐらいならまあなんとかと。

そうして笑うのだ。

笑うといいさ、どうせこれが最後ならば、存分に私を笑うがいい。

なれど、忘れるな。

領地も、城も、特注の義手も、鎧も、剣も兜も。

このアメリア・フォン・ベルリヒンゲンを構成する全ては、すでにヴァリエール殿下に捧げたものなのだ。

味方ならば良いが、私を侮辱した敵は全てこの義手にて殴り飛ばしてやるわ。


「マインツ枢機卿に呪いあれ、ヴァリエール殿下に栄光あれ!!」


我々、ヴァリエール殿下に拾われた落ち穂の覚悟など、最初から決まっているのだ。

誰一人として散開しようとはしなかった。

火薬の凄まじい煙と轟音とともに、我ら目掛けて6ポンドの砲弾が発射される。

目はそらさぬ。

私の命令を聞き、全ての騎兵が集中して、秩序ある完遂たる突撃を行おうとしている。

砲弾が。

我らの先頭であるデカマラス卿も、ふざけた名前なれど何一つ恐れずに。

全身が砕けてもよろしいと言わんばかりに、先陣を切っている騎兵を見た。


「機なり」


何が?

そんな疑問符を浮かべそうになるほど、不思議な声色を聞いた。

戦場にふさわしくない、男の声であった。

はて、先頭にいるデカマラス卿のグレートヘルムから発された声であったような?

そんな疑問符を幾つも思い浮かべると同時に、破裂音がしたのだ。

強烈な破裂音だった。

鋼が何かを激しく殴りつけ、鉛のような重たいものがぐちゃぐちゃに破裂した音である。

産まれて初めて聞く、その無茶苦茶な音が何ゆえにそうであるのかと問われれば。

このアメリア・フォン・ベルリヒンゲンははっきりと目にしたがゆえに。


「このようなくだらぬ玉遊びを。レッケンベル卿の一撃の方が遥かに重いわ」


先頭のデカマラス卿が、砲弾をぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。

その両手にて握りしめた戦棍が、真丸の砲弾を何の用も為さぬ物体に変えてしまったのだ。

誰も言葉を発せぬ。

目の前の不思議に対する驚愕ではない。

一つの理解が、味方も敵も、同時に及んだのだ。

ああ、ぐちゃぐちゃになってしまうのだ。

両手持ちの戦棍だった。

デカマラス卿が所持しているのは、一つの巨大な戦棍であるのだ。

『聖ゲオルギオスの聖なる戦棍』などとケルン派が呼んでいる、明らかに過去の遺物ではない、なれどケルン派にとっては聖遺物である。

最新のデザインに、ありとあらゆる魔術刻印による強化付与を重ねに重ねて、とても人が馬上にて操れるとは思えない代物。

鍛錬に鍛錬を重ねた人物ならば、あるいは支え掲げるだけならできるやもしれぬもの。

あれで殴られれば、6ポンドの砲弾であろうが、甲冑で身を固めていようが、どれほどの鍛錬を積んだ騎士であろうが、ぐちゃぐちゃになってしまうのだ。

戦場にいて、眼前にて、その不思議を目撃した全ての者が認識した。


「死ぬがよい、マインツ枢機卿」


ヴァリエール殿下と同じ宣告を、先頭の騎士が行った。

我々は突撃しようとしている。

なれど、もう、それを止める者はない。

何せ、大砲を撃った後にその穴を塞ぐはずの槍兵どもは。

ぽかんと口を開けているか、機転の利くものなどは槍を投げ捨てて逃げ出し始めたのだから。

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