第166話 死を告知する妖精



チャンスはあと何回あるんだ。

十数回あるのか。それとも一度として得られないのか。

どうしても焦燥は抑えきれない。

何らの手立ても無ければ『幸運妖精』の後ろ髪一本すら引き抜くことは許されない。

騎士叙任という類稀なる幸運にはありつけぬ。

あのザビーネ卿からの約束全てが事実であった以上、このチャンスを逃せば私の人生など嘘だったことになる。

これから先の一生を後悔で終わらせて、あの時ちゃんとやっていればと。

酒を飲みながらに、ずっと愚痴を吐き続けることになる。


「プレティヒャ!」


名を叫ぶ。

既に髪一本を掴んだ者の名前だ。

アンハルト近隣において名のある傭兵団の頭で――今ではアンハルトの騎士だった。

ヴァリエール殿下からの叙任式にて、この旅中にて肩を剣で叩かれた最初の騎士である。

今では彼女の部下たる元傭兵団は全員市民権を持ち、正規兵の役職を得ていた。

嗚呼。

どうして、ここまで差が生まれたのだ。

悲鳴のように、彼女の名を叫ぶ。


「プレティヒャ!」


彼女は一度立ち止まろうとして――それをせず、再び歩き出した。

私の声は聞こえているはずだった。

何故無視をする!

私は怒りを覚えたが、同時に少し冷静になった。

ああ、コイツ、どうしても呼ばれたいのだ。

私に全てを言わせたいのだ。


「ヴァリエール殿下の忠実なる騎士、プレティヒャ卿! お待ちいただきたい!!」


彼女が、プレティヒャが今はどう呼ばれたいのか。

自分ならばどうして欲しいかを想像して、ハッキリと呼びつけてやった。


「そこまで言われれば振り向かざるをえないな。我が友人よ」


プレティヒャは立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。

酷く楽しそうな顔であった。

愉悦に満ちていた。

自分に嵌まった『ヴァリエール殿下の忠実なる騎士』という首輪を見せびらかしているのだ。

目が眩みそうなそれに歯噛みし、要求を伝える。


「友人というならば、少し話に付き合っていただきたいものだ」

「なるほど、私と君とは友人だ。かつて殺し合ったこともあれば、我々傭兵を――ああ、私は元傭兵だがね。舐め腐った雇用者どもを一緒に襲ったこともある。この旅路を共にする仲間でもある。それは私が騎士となった後も変わらぬが」


プレティヒャは、私を未だ友人であるとは認めた。

だが、その後にくだらぬことをぶつぶつと呟く。

私も何かと忙しい立場でな。

ザビーネ卿から殿下の護衛に兵を出せないかと言われておるし、先日授爵を受けた他の騎士にも一度、挨拶に出向かねばならん。

彼女はアンハルト貴族の三女なので、従者すらおらぬようならば旅の間くらいは兵を貸しだしてやるのも悪くない。

なに、こちらは逆にアンハルト王都での騎士としての振る舞いを知らぬのだから、それを教えてもらうつもりなのだ。

要は助け合いさ。

そんなことをほざく。

わかっている。


「私の家紋なのだが、飛び出た実家の家紋など掲げたくはない。ここはそう、ヴァリエール殿下にあやかって妖精をモチーフとしたものをデザインせねばなあ……」


私の話を聞くつもりなど全くない。

一方的な自慢話がしたいだけなのはわかっていた。

何故ならば、私が逆の立場ならば全く同じことをやるからだ。

増長した人間がやることなど、絶頂に至った際の振る舞いなど、誰もが同じだった。


「話を聞いているのか?」

「聞いているとも」


自分が同じ立場となったならば、ヴァリエール殿下から剣で肩を叩かれたのならば、いくらでも話につきあってやろうさ。

私も同じ自慢話をしてやるだけのことだ。

それは今のところ、夢のような話だった。


「プレティヒャ卿、お尋ねしたい。殿下の護衛兵と先ほど口にしたが?」


まずは、自慢話から糸口を解かねばならなかった。


「うん? ちゃんと話を聞いていたのか。ああ、そうさ。お前も知っているだろうが、旅の仲間が増えた。実戦経験豊富な傭兵団から、超人一歩手前の黒騎士まで。兵数が拡大した以上は、忠実な騎士を集めて必死に殿下の御身を守らねばならぬだろう。むろん、私は死に物狂いで殿下をお守りするさ」


歯噛みする。

どいつもこいつも、人のチャンスを奪おうとする。

理解はしている。

ちっぽけな盗賊団を皆殺しにしただけで騎士や市民になれるなど、破格の条件にも程がある。

手を挙げる者など、帝国中にいた。

最大のチャンスは、誰もがザビーネ卿との約束に半信半疑で、それでも魅惑的な条件に惹かれた最初であったのに。

叙任の栄誉にあずかったのはプレティヒャだった。


「安心しろ。私はザビーネ卿から人の手柄を奪って恨まれぬように言われているのだ。もう盗賊団殺しには参加せんよ」


ただただ、羨ましかった。

そうだ、血と泥臭い我らの中で、泥沼から抜け出したのが眼前の女だった。

私は――


「プレティヒャ。ザビーネ卿から、どこに盗賊団がいるのか聞いていたのか?」

「……下種な勘繰りはよくないな」


狼のように目ざとい彼女がザビーネ卿の御眼鏡に叶い、盗賊団の情報を優先的に与えられたのではないか。

袖の下で銀貨などを渡したのではないか。

そう疑っているのだ。

別に、その手段が悪いと言いたいのではない。

可能であれば、自分も同じことをするつもりなのだ。


「なるほど、確かに先んじて情報を得ていたことは否定しないがね。私はザビーネ卿とともに手分けして盗賊団の情報を収集したのだ。知ってて何が悪いのだ。最初に盗賊を発見した親衛隊の騎士殿が、協力的であった私に情報をまず与えてくれたところで道理ではないか」

「……」


真実だろう。

プレティヒャが都市で何か妙な動きをしていたことは知っていたが、何か知ることはできなかった。

ザビーネ卿もわざわざ教えてくれるほどに親切ではない。

それだけのことだ。


「話はそれだけか?」

「ザビーネ卿に、次の都市では我が傭兵団も協力したいと伝えてくれないか?」


とにかく、今からでも動かなければならない。

ここで何もしなければ、もう本当に栄誉にはありつけぬ。


「それは構わんがね。すでに、他の傭兵団も同じことを言ってきたぞ」

「……考えることは皆同じか」


誰も彼もが考えつく全てを尽くして、死に物狂いで動いているのだ。

血が湧き肉が躍り、命をチップに捧げた傭兵という博徒が人生最高潮の熱狂にて、人生最高の旅とするべく動いていた。

栄誉が得られたならば、生涯の自慢話にするのだ。

場合によっては別な傭兵団との殺人沙汰さえ起こりそうであった。

事実、隣人を殺して栄誉を得られるならば、別にそうしてもよかった。

人殺しを罪だなどとは今更思っていない。


「よろしくない考えがありそうだから、忠告しておこう。旅団内での殺人や争いは御法度だ。ヴァリエール殿下とザビーネ卿の印象を悪くすれば栄誉は得られんぞ」

「理解している」


もちろん、そんなことはしない。

この異常な血の狂乱というべき、賭けに勝ちさえすれば自分の惨めな人生では望めぬ利益が手に入ると知って。

気が触れて、正気すらも失いそうになる中で。

それでも旅団が規律を維持しているのは、それを破ればテーブルにチップを投げる事すら許されなくなるからだ。

傭兵団の全てが鉄の規律を維持しており、旅を共にする商人たちから荷物を盗み出そうという者がいたならば、そいつは全身が血で膨れ上がるくらいに棒で殴られて、そこらに捨てられるだろう。

一人でも馬鹿を出せば、未来の何もかもを失ってしまうのだ!

自分の敵であるそれを、打ち殺してよかった。


「まあ、なんだ。私は心の底から君を応援しているよ? ヴァリエール殿下は、ザビーネ卿は、傭兵団界隈でもドケチで有名なアンハルト王家は、確かに今回限りは大盤振る舞いをしているのだ。一代騎士の爵位はすでに与えられた二つばかりではない。あと十数回は振る舞われるだろうさ」


その十数回の一つが自分に与えられるかどうかが問題なんだ!

旅団の数は1000から1500に拡大している。

ヴァリエール殿下の旅が続けば、騎士受任者が増えれば、市民権持ちが増えれば。

噂が噂を呼び、旅への参加志願者はますます増えるだろう。

今回増えた傭兵団や黒騎士ばかりではない。


「……プレティヒャ。旅商人や芸人なども増えているようだが」

「よく気づいたな。ヴァリエール殿下に挨拶伺いをしてきたよ。無論直接の謁見など許さぬ。ザビーネ卿や、この私が初仕事とばかりに対応したがね」


目ざとい商人や芸人などが集まり、ヴァリエール殿下にとっておきの銀貨を差し出しては旅への参加を嘆願している。

途中参加であっても、まだ帝都は遠い。

これは大商機であるのだ。

数千人の集団が、都市から都市へと莫大な物資を消費して、盗賊団をぶち殺しては治安を回復していき、帝都までの交易路を練り歩くのだ。

その行為のために必要な資金源も保証されていた。


「やはり、アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿が参加したことが大きいか?」

「大きいな」


あの悪名高い盗賊騎士は、ヴァリエール殿下に膝を屈したわけではない。

なれど、さすがの妖精殿下よ。

かのベルリヒンゲン卿も喜んで精鋭100を引き連れては陣営に旗を並べて、旅に参加した。

すでにこの情報は帝国を駆け巡り、旅先の領主という領主を震えさせている頃だろう。

プレティヒャの舌は良く回る。

さすがにベルリヒンゲン卿を加えたとなれば、この粗野な傭兵団長風情でも何をしたいのか理解できる。

ヴァリエール殿下は、旅の中でありとあらゆる領主に合法的掠奪(フェーデ)を要求するつもりなのだ。

旅の資金源を、旅中にて大いに賄うつもりであった。

下手をしなくても、旅の終わりにはヴァリエール殿下の懐には山のような銀貨が入っている事だろう。

ひょっとすれば、かつてベルリヒンゲン卿が積み上げたという数万枚の銀貨以上の富を。

恐ろしかった。

そして、同時に誇らしかった。

私は今、彼女の指揮下にある。


「悪魔のようだ。ヴァリエール殿下は、あのように人を魅了する妖精のような容姿で人を油断させて、花香りのする声で人を魅了して、悪魔のような振る舞いで――」


帝都までに見つけた全ての盗賊団を大虐殺して血の絨毯で道を染め上げ、懐には名のある領主どもから奪った金で財産を作り上げ、しまいにはアンハルト選帝侯家の名を利用して、自分だけの軍隊を作り上げようとしている。

帝都に1000年後でも伝わるような事を為して、ようやく王家から出て地方領主の立場に甘んじてやってもよい。

それがヴァリエール様がアンハルト王家、そして今から向かう帝都で選帝侯継承式を行うこととなる姉殿下につきつけた条件であった。

誰の目に見ても、それは明らかだ。

それ以外に殿下が帝都に出向く理由がない。

いや、場合によってはアナスタシア殿下を殺して、自分が選帝侯となることすら計画しているのかもしれない。

むしろ、ヴァリエール殿下から見て隙あれば確実に実行されるだろう。

皇帝陛下すらも、このような闘争に巻き込まれることを拒否して、どのような凄惨な争いが繰り広げられても立ち入りはしないだろう。

無茶苦茶だ。

このように恐ろしい存在に出会ったことなど、私はなかったのだ。

一度は、凡庸で王としてはふさわしくないスペアなどと聞いていたのに。

何を馬鹿な事を!

誰も彼も、私も含めて盲目の盆暗どもにすぎないのだ!

ヴァリエール様という人の死を告知する妖精(バンシー)を眼前にしては、恐れおののく哀れなムシケラどもにすぎない!


「殿下は、自分の敵全てを破滅させておしまいになるつもりなのだ。隙あれば、姉殿下すら殺害しておしまいになるつもりなのだ。全てに死を告知する妖精なのだ」


怖かった。

ただ、ヴァリエール殿下という偉大なる存在に恐怖していた。

同時に――旅に参加する誰もが彼女に焦がれ、認められ、心を焼き尽くされたいと思っている。

彼女の騎士になれるならば、誰だって死に物狂いであった。

私は、興奮していた。

多分、この瞬間、私は歴史の瞬間に立ち会っている。

それだけは間違いなかった。




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近況ノートにて告知あります。

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