第159話 肩を剣で叩く意味


傭兵団の団長に対し、神聖なる騎士叙任式を済ませた後。

私は親衛隊で一番のアホタレの名前を呼んだ。


「ザビーネ、ちょっと来いや」

「はい、ヴァリ様」


ヴァリ様じゃねえんだよ。

この状況で、よく人の名前を愛称で呼べるな。

私は怒っているんだよ?

お母様が出来る限り行軍の見栄えが良いようにと、今回のため貸してくれた豪奢な馬車の中に二人で潜り込む。

よく考えればお母様、行軍の見栄えが良いようにって、今回の行軍が大規模になることを事前に把握してたくせに私には何も教えてくれなかったってことじゃないの。

むしろ、私に状況がわからないように妨害してた節さえある。

私をいじめて楽しいのか?

さぞかし楽しいんだろうな、あの性悪ども。

懊悩するが、今はそんな事考えている場合ではない。

周囲は我が親衛隊が陣を敷いているため、多少は大声を出しても大丈夫だ。

私は声を絞った絶叫を放つ。


「どうしてこうなったの!?」

「いえ、ですから、説明したはずですよ」


ちゃんとリーゼンロッテ女王陛下にも事前説明はしておりますし、実務官僚殿からも了承を得ておりますので。

ヴァリエール様は心置きなくアンハルト第二王位継承権の持ち主として、王族にふさわしい態度にて騎士叙任権をお奮いくださいと、そう申し上げたはずです。

しれっと、ザビーネは呟くが。

それに関してはキッチリやったわ!

全身全霊で私なりにやり遂げたわ!

私の身の丈風情のちっぽけなカリスマが、ぶんぶん奮ってたわ!


「これがアンハルトに向いた忠誠だったなら私だって、別に気にしてないわよ! こんな思い悩んでないわよ!!」


別に、これが叙任権を奮う初めてではない。

古くは第二王女親衛隊に示したし、最近では地方領主へのドサ回りの際に、ついでだから娘に殿下が叙任式を行っていただけないかと。

領主に頼まれて、好意を示したことさえ幾度もある。

問題は、そういうことではない。


「あの娘、明らかに王国じゃなくて私に対して忠誠を向けたじゃないの!」

「いや、そりゃあそうですよ」


別にアンハルト王国が何かしてくれたわけじゃないもの。

騎士という権利を得る機会をくれたのはヴァリエール殿下であって、別にアンハルト王国ではないのだから、と。

ザビーネがどこ吹く風といった顔で呟く。


「彼女が恩を感じるのはヴァリエール殿下に対してであります」

「今後、給金を彼女に払ってあげるのは私じゃないのよ? アンハルト王国の歳費からなのよ?」


で、あるのに。

これから給金を払ってくれるのは確かに王国かもしれないが、恩を感じるのは、自分の肩を剣で叩いてくれたのはヴァリエール殿下である。

リーゼンロッテ女王陛下? 次期女王陛下のアナスタシア殿下?

うん、それが王命ならば、理不尽でない限り言うことは聞くよ。

その程度でしかない、そういう目であった。


「ヴァリ様、ヴィレンドルフの英傑レッケンベル卿が帝都ウィンドボナ侵攻に際して、ランツクネヒトと呼ばれる傭兵集団を集めたのは御存じですよね」

「知ってるわよ」

「彼女たちに現在給金を払っているのは神聖グステン皇帝マキシーン陛下ですが、ランツクネヒトは義理以上の忠誠を誓っておりませぬ。彼女たちは未だにレッケンベル卿の名前を忘れておりません。人は給金を今払ってくれている人間よりも、チャンスをくれた人間にこそ恩を感じるのです」


いくら自分がその組織に属して給金を得ていることを認識していても、その組織で会ったこともない最上位の人間に、義理以上の忠誠など決して誓いはしない。

幾ら神聖なる騎士道精神を説いたところで、所詮ほとんどの人間などその程度だ。

人は自分の手を握り、自分の存在を認識し、自分の名前を読んでくれた偉大なる人物に従うために生きるのだ。

それはわかる。

それは王族としての教育を受けた者として、理解できるのだが。


「なんで初めて会ったばかりの人間が、私に対して絶対の忠誠を誓っちゃうのよ!!」

「いと尊き血統にして騎士叙任権を持つヴァリ様が、彼女の存在を認識し、彼女の名前を呼び、彼女の肩をその剣で叩いたからです」


なんでそんな簡単な事がわからないんですか、ヴァリ様と。

ザビーネがそのように、少しばかり悲し気に呟いた。

まあ完全なポーズであり、私がこうして怒っているのもザビーネの掌の内なんだろう。

それだけは私もわかっている。


「ヴァリ様。ポリドロ卿が何故、貴女に従うか考えた事は?」

「何よ、突然」

「ちょうど良い例だからです。ファウスト・フォン・ポリドロ卿はヴァリ様を死んでも裏切ることはない。それが何故なのか、お考えになったことは?」


頭痛がしている。

しているが、ザビーネは無意味なことなど言わぬ。

私は少しだけ頭を整理しながら、反射的に返答を為す。


「私の婚約者だから?」

「ポリドロ卿はヴァリ様に性的な興味を一切抱いておりませぬ」


薄々気づいていることを、ザビーネはズケズケと言った。

いや、ファウストは生真面目の塊のような人間だから、まあそうなんだろうけどさ。

私との婚約とて、まあ領主としての側面からの義務的な意図があるだろう。

私とファウストの間に情欲がないとするならば。


「……王族だから?」

「間違ってはいないでしょうが、ずれております。ヴァリ様には権力があり、それによりポリドロ卿は救われた。それは事実ですが、少しだけ違います」


自分で違うだろうと理解している意見を言い、ザビーネに半分認められて半分否定された。

まあ、しっかりと頭を整理すれば、ちゃんと答えは出せるのだ。

今までの会話から読み取るならば、理由は一つしかないのだから。


「ファウストの肩を剣で叩いたのは私であり、他の誰でもないから」


ファウストが命懸けで私に尽くしてくれる理由など、ただの一つしかなかった。

私がファウストを見つけて、彼を自分の相談役にしたからだ。

ファウストは確かにアンハルト王国リーゼンロッテ女王陛下と領地保護のための主従契約を結んでいるが、叙任式(オマージュ)において肩を剣で叩く相手は私を選んでいる。

どうか叙任式は女王陛下からではなく、ヴァリエール様に代行して頂けないだろうか。

そうファウストが訴えたのだ。


「……正解となります。ヴァリ様、私は以前にポリドロ卿に酒の席で問うたことがあります。何故、ヴァリエール様を見捨ててアナスタシア様に尻尾を振らないのかと。そっちの方が明らかにポリドロ卿にとって得じゃないかと」

「なんて答えたの?」


まあ悲しいくらいに事実ではあるが。

少しだけ、気になった。


「人肉食ってそうだから嫌だと」

「いや、まあ。確かに姉さまは怖いけれど」


本気でそう言ったわけじゃないでしょうに。

ザビーネは、こほんと喉を鳴らした。


「それは冗談として。まあ私にも情があるのだから嫌だと。別にアナスタシア殿下にもその情がないわけでない。ヴィレンドルフ戦役での戦友としての関係もある。主従契約の対象をアナスタシア殿下に変更したとして、誰が批判をするわけもないだろうがと前置きをして――」


ザビーネが、にやにやと笑いながらに言葉を止めた。

さっさと言えやカス。

私はそう言った視線を送り、ザビーネは頷いた。


「まあ、このような事は酒の席だから言えるんだが。正直、ヴァリエール様にお声を頂いたときは困っていたのだ。何せ、アンハルトでは醜いと蔑視される筋骨隆々の身の上で、しかも男騎士だ。それどころか、家の評判とて良くない。世間では発狂した扱いでしかない『気狂いマリアンヌ』の一人息子と呼ばれ、周囲の貴族の縁とて全て絶えており、もはや身動きが取れなかった。リーゼンロッテ女王陛下との主従契約のための謁見は延々と待たされており、三か月をとうに過ぎていた。それでも私は待つ以外に何もできなかったよ。本当に何もできなかった」


――そうだ。

その弱みに付け込んで、私はファウストを相談役として選んだ。

姉さまと比べて何の才能もないと、周囲全てから馬鹿にされていたのが私のあの頃の立場だ。

そのような私とて、窮に瀕した立場のファウストならば断わらないと思った。


「もちろん、私とて利害を計算してヴァリエール様の手を握ったさ。王宮闘争など関わりたくないが、まあヴァリエール様にその力量など無いからよいか。そういう相談役ならやってやろう。そう計算したし、それは間違いなく本音だ」


別にファウストの本音を責める気はない。

自分の領地を一番に考える封建領主としてはそれが正しいし、そもそも主従契約とは双務的契約であるべきなのだ。

御恩と奉公であり、お互いに利益のある契約でなければならない。


「だがな、まあ。正直言えば、私はヴァリエール様に感謝したし、だから叙任式においてはヴァリエール様に自分の肩を剣で叩く役を自らお願いした。そうさ。ザビーネ卿」


ザビーネは、ただファウストが何を酒の席で言ったかを単純に並び立てている。

彼女が何を言わんとしているのかは、もうわかっている。


「私は、このファウスト・フォン・ポリドロは、領主騎士としては利害を交えずして物事を考えられぬが。一人の騎士としては、あの時、まあ自分を助けてくれたのはヴァリエール殿下なのだから、この人のためならば死んでも良いだろうな。そう考えたのだ。こう言わせたかったのだろう、ザビーネ卿と」


結局、あの傭兵団の団長と同じなのだ。

私としては、別にその程度で命を捧げろなんて傲慢な事は考えていないのに、ファウストはそう受け取っていない。


「まだヴァリエール様は王族教育を受けたといえども経験が浅いのだから、剣で肩を叩かれた騎士が何を考えるか、下々の気持ちも実感できぬだろう。私のような低俗な者こそが、受けた恩に執着することがあることを、まだ分からぬだろう。それを人は時に情と呼ぶのだ。だから、もし機会があれば今の言葉をよくよく殿下に伝えるといい。どうせ、ザビーネ卿の事だから、この話をいつかは殿下にお伝えするつもりなのだろう? 是非そうするがよい」


すう、とザビーネが一息吸った。

ほぼ、言いたいことは全て言い終えたという顔であった。

最後に一言だけ。


「ヴァリエール様にこのような事を考えていると知られるのは気恥ずかしいが、まあ、殿下のためになるならそれでよい。ついでに、ヴァリエール様には、殿下は気づいていないが殿下なりに騎士が忠誠を誓うに値する魅力があることを、よくよく申し上げておけ。人は貴族としての立ち回りの良さだけに従うのではないと」


ファウストが何を考えて、今まで私に尽くしていたかを教えて。

ザビーネは次の言葉を告げた。


「初陣にてヴァリ様を庇って死んだハンナとて同じ。不肖ながらこのザビーネも、まあ他にも色々とありますが、ヴァリ様のために死んだところで後悔などしませんよ」


私は、その言葉が理解できない。

別に騎士であるからとか、自分の主君であるからとか。

私が利益を提供できないなら、もう見捨てていけばよいのだ。


「私を利用して、踏み台にして、より良い立場に行こうとは思わないの? 私はそれでも責める気はないわ。主従契約の破棄なんて、よくあることよ。お互いを利用して、それだけでしょうに」

「それはヴァリ様の勝手な理屈であり、恩を受けた側はそう思いませんよ?」


ザビーネが、寂しそうに呟いた。

頭のおかしいザビーネが、本当に少しだけ寂しそうにして。


「ヴァリ様。私は今さら、アンハルトの王位を継いでほしいなど全く考えておりません。王族として貴族として成長して欲しいとか、そのような目論見で今回の事をやったわけではありません。正直、知らない方が幸せということもあるでしょう。ですが」


一つだけ、忘れないで欲しいことがあると。

そう呟いた。


「私たちが死んだときに、我々の気持ちを全く理解せずに、勝手に哀れむなど止めて欲しいのですよ。我々には我々の意思があり、貴女のために死ぬのです。心底それでもまあよい人生だったと、受けた恩を返したと、そう思っているのですから」


――きっと、死んだハンナとて同じことを言うでしょう。

ザビーネはそう告げて、口を閉じた。

私は、何も答えられない。

少し沈黙し、感情を整理する。


「……私に従う者の気持ちは理解したわ」


それしか言えない。

なるほど、このヴァリエールは、自分に仕える騎士の気持ちもわかってない未熟な人間で。

そういう人間がいることは教育で把握できても、ちゃんと理解してなかった。

反省するとしよう。


「わかっていただけましたか」


念押しするように、ザビーネが声を出す。

確かに、私は未熟であり、反省するべきところがあった。

それはわかってはいるが、一つだけ。


「ねえ、ザビーネ。それはわかったけど、一つだけ気になってることがあるの」

「何でしょうか?」


そのちょっといい話と、今の状況に何の関係がある?

それだけが気になった。


「なんかちょっといい話されて誤魔化されかけたけど」


私ははっきりと、自分の意思を述べた。


「重いこと極まりない忠誠を傭兵団長から誓われたことと、今後も行軍に参加した色んな人たちから私に忠誠が集まることと。ザビーネにもう純粋に騙されたせいで私の胃が今後もズキズキ痛むこと間違いなしなのと、今までの話に何の関係があるの?」


私が本当に聞きたいのは傭兵団長が何故忠誠を私に誓うのかではなく、全部理解してたザビーネが何故私をこの状況に追い込んだかである。

もう、なんか、私の教育が足りないこととは何も関係ないじゃん。

今の話、今の状況と何の関係もないじゃん!

ちょっと感動したけど、もう、私が困っているのはお前のせいだよね!?

一から百までザビーネのせいよね?

こうなることに全然気付かなかったヴァリ様側がもう全部悪いとか言わないわよね?

握り拳を作って、そう率直に述べた。

小さな腕をぶんぶん振り回して、ちょっと泣きながら叫んだ。


「……」


ザビーネは少しだけ言い淀んだ後に。

簡潔に答えた。

その頬は少しだけ紅潮していた。


「ヴァリ様が人に崇められている姿を見ると、それをヴァリ様が心底嫌がっている姿を見ると、性的に興奮するので――やったところはあるかなと。まあ正直、ヴァリ様に対する教育はおまけです」

「しばくぞ」


結局、今の状況は何もかもザビーネのせいであり、もう私が王族として、上に立つべき者として未熟な事とは一切何も関係がなかった。

私はザビーネの尻を思い切り蹴飛ばして、悲鳴を挙げさせた。

その悲鳴がやや快楽を帯びていたことに――私は心底ウンザリした。

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