第112話 マキシーン皇帝陛下の来歴

深い堀に厚い城壁。

塔は何処までも高く、堡塁(小型の要塞)が都市を囲んでいた。

総延長30㎞を超えるとさえ言われる城壁は、もはや圧巻そのものである。

幾度とない異民族との戦乱、帝都にまで追い込まれることは神聖グステン帝国とてあった。

なれど、この城壁を越える事だけは不可能なのだ。

母マリアンヌから聞いた、幼少のみぎりの想い出。

もっとも、母はアンハルト王都ですら数回しか訪れた事が無い。

このような巨大都市を見る事は生涯なかったはずだ。

帝都ウィンドボナ。

初代皇帝陛下が部族、民族間の血みどろの争いを制し、築き上げた都市。

巨大な大河から得られる水運を用いた商業利益から発展を積み重ね、どこまでも膨れ上がっていく世界都市である。


「ひたすらに巨大ですね」


私的な感想。

神聖グステン帝国の歴史を象徴する都市であり、おそらくこの世界における最高峰の都市であると考える。

並ぶものがあるとするならば、東方の巨大王朝フェイロンの王都ぐらいのものであろう。

まあ、その王朝はもう滅んだのだが。


「王都とて負けてはいない、と言いたいところだが。まあ明らかに負けてるな」


アナスタシア殿下が、舌打ちする。

さすがに帝都相手に対抗しても仕方ないだろうに。

その負けず嫌いなところは嫌いでないが。


「アナスタシア様、痛いです」


アレクサンドラ殿は、また肩を殴られている。

どうもアナスタシア殿下は特に意味もなく、アレクサンドラ殿を叩く癖がある。

単に甘えているのか、習慣になってしまったのかは知らないが。

まあ、痛い痛いと言う割に、そもそもアレクサンドラ殿には大して効いてないだろう。

彼女は私に次ぐ武の超人、実力者である。

アナスタシア殿下とて、素手で人の首を千切るくらいはできようが、得意分野における超人としての能力差は明確に存在する。


「まあ、気楽にいこうじゃないか。ここは皇帝陛下の庭のようであって、そうではない。私たちアンハルト王国が一枚岩の国家ではないように、この都市の市民が全て皇帝陛下を無条件に奉じているわけではない」


アスターテ公爵が、にやにやと笑いながらに喋る。

確かに、神聖グステン帝国の皇帝陛下は最高権力者ではある。

それは誰も疑いようがない。

神聖グステン帝国における現皇帝は能力が高く、選帝侯の全員の投票により、選挙制の形を取りながら満場一致で認められた真の皇帝であった。

実力においては疑いようがない。

だが、別に絶対王政の時代ではなく、朕は国家にあらず、中央集権的ではない。

選帝侯、領主騎士との双務的契約、忠誠無くしては皇帝の地位を維持できないのだ。


「そもそも、この都市で皇帝陛下に拝謁するわけではない。アナスタシアへのアンハルト女王としての戴冠式自体もここでは行われない」

「あれ?」


少し、肩透かしを食らう。

ここ帝都じゃないのか?


「アスターテ公爵。ここは帝都ではないのですか?」

「帝都だよ。間違いなく帝都だ。これ以上の都市など神聖グステン帝国には存在しない。だが、皇帝陛下の都ではない。宮廷はここにはなく、政治的中枢を置いているわけではないよ。いるのは都市を運営する官僚貴族だけだ。皇帝陛下は滅多に訪れることがない帝都だ。興味があるのは都市から得られる莫大な税収だけではないかな?」


アスターテ公爵があっけらかんと言う。

駄目だ、イメージと少しずれる。

帝都には皇帝陛下がおり、それが当然と思って生きていたが、私は前世の教科書通りでの知識しか知らぬ。

今世で得られたのも辺境領主騎士、領民300名の封建領主としてのそれにすぎない。

帝都に陛下がいないなんて、考えた事すらなかった。

駄目だ。

この辺りで知識を仕入れておかねば、えらい目に合う気がしてきた。


「アスターテ公爵、少し自分の知識が不安になってきたんですが。詳しくお聞かせください」

「……」


アスターテ公爵が、少し黙り込んで。

私の横で、肌身を擦り付けながらに呟いた。


「ふむ、少し話すか。まあ色々と理由はあるのさ。当代の神聖グステン帝国皇帝陛下の名前は?」

「マキシーン皇帝陛下であります」


それぐらいはさすがに知っている。


「では、マキシーン皇帝陛下が幼少の頃に、このウィンドボナの王宮に幽閉されたことは? 彼女の母君が皇帝陛下の地位を簒奪され、親族とウィンドボナの市長によって父君とともに囚われ、その身を人質同然の扱いにされたことは?」

「いえ、さすがに」


皇帝陛下の来歴までは知らない。

この神聖ローマ帝国もどきの国家。

神聖グステン帝国における皇帝陛下に拝謁する機会など、未だないと思われる。

そこまで知ろうとは思わなかった。


「この馬車のケツにしがみついてきてる、マルティナ辺りなら知っていたろうにな。まあ9歳児にそこまでの配慮を求めても仕方ない。これも私の利得と考えて、教えるとしようか」


アスターテ公爵は、先ほどまでのにやけ面を収め、やや殊勝な顔をする。

その手は、私の太腿をこすりこすり触っていたが。


「きっかけはよくある話さ。親族争いだ。皇帝陛下が幼い頃に、それこそ5歳の頃の話だ。その母帝の地位を狙って、ある親族が扇動した。愛しきウィンドボナの市民よ、私こそが皇帝にふさわしいのだと。ウィンドボナ市長と通じ、当時混乱していた神聖グステン帝国を治めるにあたって、マキシーン皇帝陛下の母帝はふさわしくないのだと糾弾した。さて、とはいっても、地位を簒奪する方法など限られている。手段はわかるか?」


選帝侯の選挙もなしに。

騎士が騎士の権利を奪うなど、親族とはいえ選挙君主制によって認められた皇帝陛下から、その皇帝の座を奪うなど。

たった一つの方法しかない。

暴力だ!

血肉に剣を食い込ませることだけが、それを可能にする。

かつて、我が騎士見習いマルティナの母が、たった一人の娘のために全てを望んだように。

剣と槍にかけて、たった一つ許された実力行使により、それが可能となる。

つまり。


「フェーデでしょうか?」

「さすがにファウストは賢い。そう、フェーデだ! この閉塞的な封建社会において我々に認められた権利! 私戦さ! 自力救済だ! 勝ちさえすれば全てが肯定される」


ぱん、と両手を合わせる。

ちょうど柏手である。

日本人が神社で誓願を行うような――もちろんアスターテ公爵は、神道の存在など知らぬだろうが。

ともあれ、ご機嫌の様子でそれを行う。


「英明なるマキシーン皇帝陛下はもちろん5歳である。何ができるはずもない。選帝侯による選挙で選ばれたとはいえ、母帝は正直まあ無能であったよ。我々のリーゼンロッテ女王陛下と比較すれば、その小指ほどの力量すらなかった」

「あのクソババアがそこまで有能なものか!」


アナスタシア殿下の合いの手。

クソババア?

そこまで酷く言われるようなことを、リーゼンロッテ女王陛下はなさったろうか?

そのように疑問に思うが。


「クソババアではあるが、残念ながらリーゼンロッテ女王陛下はこの上ないくらいに有能さ」


アスターテ公爵が自分の言を曲げず、同時にアナスタシア殿下の言葉も肯定したので。

まあ何かあったんだろうと思い、あまり気にしないことにする。


「可哀想に、マキシーン皇帝陛下と父君は、殺されこそしなかったものの。王宮に人質として囲われる状況となってしまった。何もかも母帝の無能と、欲深き親族と、裏切り者のウィンドボナ市長のせいだ」

「それがマキシーン皇帝陛下が、帝都ウィンドボナにいない理由ですか?」


ここまでの話を、少しまとめる。

私が知りたいのは、何故マキシーン皇帝陛下が帝都にいないかの理由だ。


「かもしれない、という話だ。まあ、この辺りはリーゼンロッテ女王陛下の予想にすぎない」


私は叔父にして、アナスタシアの父親であるロベルトのように、マキシーン皇帝陛下と文通していたなどという事は無い。

だから、リーゼンロッテ女王陛下がおそらくは、と推察した結論にすぎないのだよと。

そう述べた後。


「さて、ここから話は進む。マキシーン皇帝陛下が、真の皇帝陛下となられた経緯の話だ。皇帝の地位を追われた無能な母親のせいで、父君と哀れな5歳の少女がどう追い詰められたかの話だ」


アスターテ公爵は語る。

何もかも、楽しくて仕方ないといった様子で。

アスターテ公爵の性格は知っており、この人は才能というものを異常に愛する。

マキシーン皇帝陛下は、間違いなくこの世でたった数人、場合によっては一位かもしれない御方である。

それを語るにあたり、楽しくて仕方ないといった様子であるのは、アスターテ公爵の性質上仕方ないと言えた。


「マキシーン皇帝陛下が、父君と一緒に閉じ込められた王宮の一室。そこで、3年もして、マキシーン皇帝陛下がようやく幼女から少女になるころ。父君は亡くなられたよ」


可哀想に。

そう口にはするものの、本気でそう思ってはいないだろう。

それはマキシーン皇帝陛下の覚醒に必要であったことだとすら、考えているのだ。

私は、少し目を閉じる。


「死因は栄養失調だ。餓死さ! 幼き娘の身体を何よりも大切に思い、一日一度のパン一つしか投げ入れられぬ牢屋のような王宮の一室にてだ。幼きマキシーン皇帝陛下の父君は、自分が飢え死にするよりも、娘が自分のパンを食べ、飢えを満たす事を選んだのさ」


状況からして、このような話がマトモに進むわけがない。

それは理解していた。


「マキシーン皇帝陛下は、その父君の死に涙一粒流さなかったと聞いている。その頃はだが」


その頃は、か。

話の流れは判る。

アスターテ公爵は、彼女にとっては英雄の来歴にふさわしく、私にとっては受け入れづらいことを話していた。


「さて、ここで皇帝の地位を簒奪した親族は困った。当たり前だな。人質にすぎない父君と幼き皇帝陛下をそこまでに追い込むつもりなど、その親族にはなかったのさ。ちゃんと人質としての待遇が与えられていると考えてすらいた。何もかもが、愚かなウィンドボナ市長の差配であった。何せ、その市長は皇帝派である市民の財産を掠奪することすらしていた」


楽しくなってきた。

アスターテ公爵が楽し気に語るが、私は何も楽しくない。

ただただ陰鬱なだけである。

私はアスターテ公爵に尻を揉まれることも、太腿を触られることも、何一つ拒んではいない。

ただ一つ、この人の他人の悲劇を楽し気に語る感性ばかりは理解できなかった。


「その後は、その親族の皇帝がさすがに選帝侯たちの目を気にして、皇帝派の資産を返還するように要求した。一度は返還した後、また市長は元皇帝派の財産を掠奪したがね。まあ、そのような無法がいつまでも通るわけがない。マキシーン皇帝陛下の無能な母君とて、そこそこの能力と意地はあった。自分の惚れた男が餓死し、娘は囚われている。それこそ選帝侯や教皇猊下に頭を下げてすら、何もかもを取り戻すための戦争に挑み、再起を図ったんだ」


そこから先は、ある程度予測できる。

なにせ、今の皇帝陛下は、その時の少女であるのだ。


「勝ったよ。アンハルト選帝侯であるリーゼンロッテ女王陛下が強力に支援したのさ。このとき、強烈な支援を受けて先陣を切ったのは、あのヴィレンドルフの英傑クラウディア・フォン・レッケンベルだ。何があろうが、負けるわけがない」


ヴィレンドルフが決定的戦力として出すならば、あのレッケンベル騎士団長の他にいないであろう。

勝利は、始める前から確定してすらいるのだ。


「レッケンベルは、当時の皇帝陛下を――ああ、違うな。『僭称した』こととなっている、当時のマキシーン皇帝陛下の親族を綺麗さっぱり、ぶち殺したよ。もう、悲しいぐらいに圧倒的な勝利だったと聞く」


私とて、一騎打ちに持ち込まなければ。

勝てる可能性など欠片もない相手がレッケンベル殿であったのだ。

だが、それは今どうでもいい。

大事なのは、マキシーン皇帝陛下のこと。


「で、さあ。笑えるのが、帝都ウィンドボナの市長の話さ。まあ、判るだろう? 帰り着いた先では、王宮から解き放たれた、マキシーン皇帝陛下がウィンドボナを占拠していた。あっさりと帝都を占拠できるほどに、皇帝陛下は有能であらせられた。笑っていたよ。どこまでも、ああ、狂ったように笑っていたよ。そして、市長に向かって泣きながらに叫んだらしいよ」


話のクライマックス。

アスターテ公爵は、楽し気に喋りを続ける。


「貴様は八つ裂きでは飽き足らない。四肢に縛った縄を馬に括りつけ、その身体を裂こうが、その程度で私の父に対し、その程度で! 何の慰めになろうか! 我が父は、笑って死んだぞ! 私の頭を優しく撫で、餓えたままに死んだのだ! 忌まわしい貴様の骨! その死体を野良犬に食わせ、その遺骸の欠片まで消しても何もかも足らぬわ!!」


マキシーン皇帝陛下の叫び。

糸のように細くなって死んだ私の母、マリアンヌ。

そのような悲しい事を想い、辛くなるが。


「そこからが違うのが、マキシーン皇帝陛下だ。なれど、その罪その罰を、その市長の家族に与える事は許されぬ! 私の、我が父が私に与えた愛ゆえに、お前の子がお前の死を悼むことだけは許そう、と。家族の情だけは許そうと」


やはり、皇帝陛下とも違うのであろうか。

私と少し違うかもしれない。

そして、少し近しいかもしれない感性で、マキシーン皇帝陛下は、決断を下したのだ。


「ここで、マキシーン皇帝陛下は一つのくびきを引いたのさ。自分の激情と、倫理と、現実との線を引いたんだ。私はこの時点で、マキシーンという名の皇帝陛下が、為政者としての完成に至ったと考えてすらいる」


アスターテ公爵は、また私とは違う感性で。

少しの線を引いている。

この世における英傑が完成に至った、その姿に対する評価。


「その後は、今の通りだ。マキシーン皇帝陛下は強烈に支援したアンハルト・ヴィレンドルフ両国に対して報酬を払い、地盤を固め、選帝侯や教皇猊下の賛成を以てして、皇帝の座についた。私は彼女こそが、一つの為政者としての完成形だと思うよ」


アスターテ公爵が、そこまで言うのだ。

この才能狂いが、そこまで認めるのだ。

マキシーン皇帝陛下は、どこまでも為政者としては完成したのだ。


「まあ、そういうわけさ。だからマキシーン皇帝陛下は、絶対にこの帝都ウィンドボナにだけは住まないだろう。それが亡き父君への狂おしい愛情ゆえか、亡き父君を飢え死にさせた市民への怒りからか、私には理解できないがね」


理由は理解できた。

私はただ。

親を思う一人の子として、マキシーンという一人の子に、ただ同情するのみであった。

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