第104話 立身出世の方法について
本を書くことを決めた。
やや唐突に思われるかもしれないが、それしかないのだ。
かつて育った場所、修道院の図書室にて、幼い私の様子を見守りながらに書物を書いていた司祭様。
その姿が、はっきりと思い出された。
私にはファウスト様が持つ名馬フリューゲルや、アナスタシア殿下が用立てた板金鎧一式、そして先祖代々受け継がれてきたグレートソード、そのような人に誇れるような逸品は何もない。
財産は懐剣を含めた個人が持てる少し、それ以外の全ては没収された。
唯一誇れるものがあるとすれば、母カロリーヌと司祭様が取り計らってくれた、古語に通じた学識と知能だけである。
そして、私の後見人であるファウスト様ならば、直通で王族に連絡を取ることが出来るという伝手。
縁を取り持つ手段があり、王族にこの身が有能であるアピールはできるのだ。
だから、本だ。
反逆者の娘たる私がこのアンハルトで名声を得るには、これしかない。
この財産をもたないマルティナなる9歳の少女にはそれしかなかったし、それが唯一の立身出世の手段のように思えた。
本を執筆し、それを就職活動のために役立てる。
自身の能力をアピールするには、一番有効な手段であることが確信できる。
そして、この計画をファウスト様に隠す理由はない。
自分の目論見全てについて、私はファウスト様に明かした。
「なるほど、それはよい考えだ」
ファウスト様は、私の目論見全てを肯定してくれた。
「しかし、何の本を書くのだ? 私はマルティナが賢い事を知っている。本を書き上げたならば、リーゼンロッテ女王陛下。またアナスタシア第一王女殿下やアスターテ公爵に献上することもできようが」
「いくつか考えはしました」
書けることは沢山にある。
それはアンハルト王国における文化・風俗について記したもの。
君主国の形態、戦力、武力の種類、軍備、貴族としての毀誉褒貶。
今までの歴史の事柄について。
何でも書ける自信はある。
だが、そのような事は後年に当時の事情を学びたい歴史家や小説家に感謝されようとも、およそ今のリーゼンロッテ女王陛下、およびアナスタシア第一王女殿下にはどうでもよいこと。
それをすでに学び、かつ実務者にして最高責任者たる彼女たちにそれを告げようとも、私がとんだ間抜けのように思われるのが目に見えている。
「テーマは一つに絞るべきだ。個人的には結論は最初に述べ、内容は後でもよいというのが考えだが」
「それは、最初が衝撃的であればあるほど宜しいとお考えに? やや荒っぽい書き方になりますが」
「このような考え方は、好まれないかもしれないが……まあ、マルティナの言った通りが私の意見である。多少論調が乱暴になっても、そうすべきだ」
本の命題は決まっている。
その内容も。
だが、本の叙述手法はまだ決めかねている。
就職活動を行うためであるのだから、まずはリーゼンロッテ女王陛下への美辞麗句と賞賛を重ねるべきであると。
そう考えたが、ここはファウスト様の言う通りにしてもよい。
そう告げる。
「ファウスト様、仰るようにしましょう。この際、勿体ぶった修辞や美辞麗句も消し去る方向で」
「何を書くつもりなんだ」
「これからお話します。その前に、少しばかり伺いたいことが」
私が自身の主義を少しばかり曲げても、ファウスト様の意見を受け入れるのは。
ファウスト様には、共著者になってもらわねばならないからだ。
こんな小さなことで、ファウスト様が機嫌を損ねないのは理解しているが。
「知恵とお名前をお借りしたく。本には、確かにファウスト様の意見と名前が盛り込まれていないと困ります」
「知恵はいくらでも貸そう。ただ、マルティナの名前だけでは弱いか?」
「ファウスト様のお名前があってこそ、最高実務者が本に目を通してくれるかと考えます」
アスターテ公爵ならば、この9歳児が書いた本とて気にせず、読んでくださると思われる。
だが、他の王族二人が読んでくれるかといえば、少し怪しいのだ。
いや、それだけでなく、実際にファウスト様の見識を多く取り入れるつもりであった。
名義貸しではなく、本当に共著者になってもらいたいのだ。
私の。
「私は、ファウスト様と一緒に本を作りたいのです」
私は、ファウスト様の子を産めないかもしれない。
自分の願望のため、私は全ての努力を行うだろう。
だが、そうしたところで願望が叶う可能性は低かった。
あまりにも自分の立場は弱い。
もし、私の希望が叶わなかったとき、一緒に本を作ったことは。
それは、産めない我が子の代わりとなるとさえ思えた。
だから私は、ファウスト様と一緒に本を作りたかったのだ。
「マルティナがそうしたいなら、協力するよ」
ファウスト様は、やはり優しく答えた。
だが、少々不安げな顔をする。
「しかし、本当に私の知恵など必要かなあ。この間も思ったのだが、私はマルティナほど賢くないんだよ。もちろん、協力はするが」
「ファウスト様。なんでそんなに自分に自信がないのかを私は知りませんが、そのアイデア、発想は余人では届かないものがあります」
武力以外に自信がないのは知っているが、あまりにも自信がなさすぎる。
この点だけは、何故かが判らない。
「マルティナ、お前は私の事を『何故そんなに自信がないのか』と思っているだろうな。私もそう思うよ。ただ、仮に愚策でも、なんとか実行してしまえる化物も世にはおり、逆にどんな良策でも台無しにしてしまう愚物はいる。私はどちらでもない。ただ人より剣を振るうことが出来る超人であり、そして知能という点では凡人なんだよ。私はアナスタシア殿下とアスターテ公爵の命令を受け、剣を振るうのが最も有用である存在なんだ」
このファウスト様の自分に対する卑下は、おそらく一生変わらないのだろうなと思う。
だが、それでもよい。
私はそんなファウスト様が好きだ。
「マルティナ。お前は私の自信の無さに困惑するが、それなら私も言うよ。マルティナ、お前は超人だ。お前の母カロリーヌから産まれたマルティナという存在を、私は最強の存在のように思っている。お前に比べれば、私はただの凡才に過ぎなかった。どこまで歩いても、この身の一生涯はただの武人として終わるだろう。だが、お前は違うよ、マルティナ」
「ファウスト様」
「以前に何もかもを正直に言うと約束した。だから、照れくさいが正直に言うよマルティナ。私はお前が可愛いよ。お前を実の娘のように思っている。今でも、アスターテ公爵に預けられれば良いと思う。その方が、お前の将来のためになるとさえ考えているのだ」
何を言っているのだ、この人は。
アスターテ公爵にもし、私が預けられていたならば。
私は今頃、自分の罪の重さに耐えかねて、懐剣で自殺していたであろう。
そのことが、ファウストには考えもつかないのだ。
嗚呼。
確かに、ファウスト様は何もかも完璧な存在ではない。
神様は歪な才能をこの人に与えた。
「だが、それでも私はお前を育てたいと思うよ。許してくれるか」
「……」
そんな歪だから。
私は、何やら困ってしまうのだ。
酷く猥褻じみた、神に顔向けの出来ない下品な妄想を抱いてしまう。
「許します。だから、全ての事をやってください。一緒に本を作りますよ、本を!」
わざと大声を張り上げて、赤くなりつつある頬を誤魔化す。
ファウスト様は、話題を変えたいという私の意に沿い、話を戻した。
「ああ、そうしよう。それで、何を書くんだ? 意見を出すが、生半可なものでは女王陛下や王族へのアピールにはなるまい。戦場で出世した騎士は数知れないが、私は文官として出世した官僚なんぞ聞いたこともない」
「それはファウスト様の偏見で、ちゃんと居はするでしょうよ。まあ名声という点では差がつくと思いますが」
騎士として戦場で多大な貢献をした人間が目立つのは、当たり前だろう。
そもそも騎士の本分は「戦う人」なのだから。
だが、統治や内政を行う文官もちゃんといる。
その評価はされているはず、とは言ったものの。
私が書きたいのは――。
「ファウスト様、私が書きたいのは戦場の未来予想図についてです」
「戦場の未来予想図? かつて、模擬戦の際にマルティナと語り合ったあれなのか?」
「そうです。一度、腰を据えてファウスト様と語り合いたいと思っておりました」
火器が登場した。
これにより、戦場は一変するだろう。
だが、それは騎兵や槍兵や、その他の兵科が不要になる。
そのような単純な話ではない。
騎兵、槍兵、弓兵、銃兵、砲兵。
そして、今の神聖グステン帝国では戦場の先行きを左右することになる傭兵。
ランツクネヒトの存在がどうしても出てくる。
兵科にはそれぞれ弱点があり、それを補填するような形で各兵科は発達、及び自身の弱点を補うように進化してきたのだ。
何度でも繰り返す。
銃が出てきた?
だからどうした。
それが全ての兵科に対して勝利するなど、そのような単純な話は存在しないのだ。
それが全てを補うなれば、勝利するなれば、戦術なんてものはこの世に存在しない。
仮にそれが実現しても、それは本当に未来の話である。
本当に重要なのは、銃などではない。
火砲である。
ファウスト様の考える理想形、一方的な大量虐殺を行える火力そのものだ。
「火器は、私が未だ目にしたことのない火砲は、確かに戦争の様相を一変させる決定的な兵器になりましょう」
指を一つ立てる。
この推測自体に間違いはないだろう。
しかし、だ。
「それを活用するための戦略は? 戦術は? 軍事組織は? そして技術上の課題は? 単純に火器を用いたから、銃を持っているから強い。そんなバカげた話は存在しません。距離だけなら未だに弓が勝る」
「まあ、そうであろうな」
ファウスト様は、以前にもこの話題について色々考えた様子があり、素直に頷く。
良い事である。
私は、速やかに疑問を述べる。
「そもそも、価格はどうなのでしょうか。ケルン派が製法を知っており、大量生産しているとはいえ、火薬は、硝石の値段は?。何もかもが謎に包まれております。戦場では人の命ですら、コストの一つでしかありません」
ケルン派の火器開発状況はどうなのか、どうしても気にはなる。
ケルン派だ!
あの狂った、それでいて――私は、私の母カロリーヌに為した慈悲深い行為を忘れてはいない。
非常に懐の深い存在は、必ずや何かを為すだろう。
いや、何かを企んでいるのだ。
それこそ、教義に則して、自らの属する共同体の全てを。
私が想像したような、マスケット銃の弾丸をなんらかの容器に詰め込んで、火砲の一撃によりそれをバラまくような。
大量殺戮のための、戦場を制するための兵器のそれを開発しているに違いない。
そう考える。
「ファウスト様。私は立身出世のために、本を書くことを考えました。だが、同時に、どうしても知りたいことがあります。私の知能は本当に未来を眺めているのか」
そうだ。
私の、この何ら論拠のない、現状では妄想と切って捨てても良い話は正しいのか?
ファウスト様が出したアイデアの全ては、単なる物知らずの空虚な妄想の一つでしかないのか?
それを知りたい。
だから、本を書くのだ。
「この私と、そしてファウスト様が呈した疑問の全ては、本を書くことによって何らかの解が得られると思います。すでに考えられており、実行されているのか。それとも、私やファウスト様の妄想通りで、未だだれも実現していない成果なのか?」
笑われても構わない。
私とファウスト様が一緒に笑われるのなら、それはそれで構わないと言えた。
この辺りは、誰にも理解できない感覚なのかもしれない。
私は、ファウスト様と一緒に侮辱を受けるなら、それも構わないと思えた。
「これは井戸に石を投げる行為であると思います。カツンと音がすぐに鳴るのか、それとも井戸の底はどこまでも深いのか。リーゼンロッテ女王陛下が音がすぐ鳴っているとお答えくださるのか、それとも音すら鳴らないのか。それはこの9歳児たるマルティナには判りません」
そうだ。
何もかも判らないが。
ただし、井戸に石を投げる必要はあった。
「音が鳴らないからといって、その井戸が枯れているかどうかはわかりません」
私は井戸自体は枯れていないと思うのだ。
なれば、水があるならば。
そのポチャリと落ちた石の、水の波紋に必ず何らかの反応は起きる。
それが小なりか、大なりかはわからないが。
「マルティナ。お前は、自分の才能がどこまでも届くと、実際には信じているのではないか?」
ファウスト様の疑問。
私は、素直に答えた。
「私は、母カロリーヌの娘として産まれ、司祭様に教育を受けて育ちました。今ではファウスト様に物を尋ねております。そして、その教育の全てに疑いを抱いたことはありません」
胸を押さえる。
そうだ!
私の母は、学識が足りなかったのであろうし。
司祭様は、私を守る力が足りなかったのであろうし。
ファウスト様は、自信に満ち足りた方とは言えない。
なれど、誰も間違ってなどいない。
私に与えてくれた教育の全てに、何処に虚偽が混じろうか。
その結晶の塊に、どこに不備があろうというのか。
「私は、まだ足りていないのかもしれない。だけど、これから書く本については自分の能力全てを込めて叫ぶつもりです。ここにマルティナ・フォン・ボーセルという一人の傑物がいるぞと! 世界はそれに対してどう応えると!!」
私は皆に生かされて、ここに立っているのだ。
ここで叫ぶことに、何の不備があるというのだ。
「マルティナ。たとえ、お前が最初に書いた本が否定されようが、私は今後とも書き続けることを望むよ。一度の失敗は気にするな。二度目も三度目も、チャンスはあるさ」
ファウスト様は、優し気にそう微笑んだ。
私は机の上に、本当は真正変態であるアスターテ公爵のために用意された、手紙用の紙の全て。
それを広げて、こう呟いた。
「それでは、執筆を始めましょう」
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