第54話 荒海へと漕ぎ出す機人たち 9
「ようティムス、顔色が悪いじゃないか。二日酔いか?それとも例の彼女と頑張りすぎてガソリンが切れたか?」
ショウとジャンのいる二人房の手前で声をかけてきたのは、目つきの悪い同僚の看守、モルガンだった。
「昔の兄貴分と偶然会ってね、明け方までつき合わされたのさ」
「へえ、兄貴分ね。お間さんが古い知り合いの話をするなんて、珍しいな」
「こう見えても昔は悪くてね。今でも自分が鉄格子の外側にいるってのが信じられないよ」
僕は思いつくまま出まかせを口にした。同僚のモルガンがティムスと信じて疑わないところを見ると、『変身屋』にこしらえてもらった『看守ティムス』の顔はまずまずの出来らしい。
「それよりモルガン、さっきジャンの奴が言ってたんだが新入りのショウって奴、かなりの曲者らしい」
「曲者だと?確かに所長から奴には注意しろと言われているが……わかった、何かおかしな動きがあったら俺も駆け付けるよ」
僕はティムスの顔で「頼む」と頷くと、二人房の前に移動した。鉄格子から中を覗くと、簡易ベッドの上に仰向けで寝ているショウと毒々しい表紙の雑誌を読みふけっている男性の姿が見えた。この二人を約三十分後、僕らは塀の外に脱出させなければならないのだ。
僕が鉄格子に顔を近づけると、ジャンが雑誌から顔を上げ煩わし気な視線を寄越した。
「顔色が悪いな、ティムス。ガールフレンドと喧嘩でもしたか?」
ジャンはそう言って僕の前に来ると、小声で「塀の外は酸性雨が降ってるか?」と聞いた。僕は「降ってるよ、立ち入り禁止区域にな」と答えた。すると一瞬の後、ジャンがにやりと口許を曲げた。
「……あんたがショウの仲間か。上手く化けたもんだな」
「三十分後に計画を実行する。準備できそうか?」
「こっちは準備万端だ。あらかじめ打ち合わせた通り、迫真の演技を頼む。……いっとくがしくじりはなしだぜ」
「わかってる」
僕は胸の内で盛大にため息をついた。やれやれ、またしても演技力を要求されるとは。
僕は鉄格子に背を向ける形で二人房の前に立つと、拓さんから合図が来るのを待った。
しばらくするとショウの物と思しきいびきが聞こえ始め、僕は作戦に不可欠な『装置』を周囲に気づかれぬよう、あらためた。
やがてポケットの端末が震え、僕は拓さんからゴーサインが出たことを悟った。
――いくぞ、ジャン。準備はいいか?
僕は後ろを見ずに呟くと、制服に仕込んだ『装置』の起動スイッチを入れた。
「――モルガン、ちょっと来てくれ、あ、あいつは誰だ?」
僕が精一杯の演技で叫ぶと、ただならぬ気配を察したモルガンが駆け寄ってきた。
「いったいどうした?……うわっ」
驚くのも無理はない。僕らの正面には囚人服を着て頭から黒い袋を被った巨漢がチェンソーを手に立ちはだかっていたのだから。
「誰だか知らんがどこからあんな物を……危険だ。警報を鳴らして応援を呼ぼう」
狼狽えながらも対処しようとするモルガンに、僕は「待て、あまり刺激しない方がいい。俺が説得してみる」と返した。
「説得だと?正気か」
僕は頷くと、巨漢の方に向かって足を踏みだした。ここまでで二十秒、あと四十秒でショウを消せるか?ジャン。
僕は両手を広げて危害を加える意思がない事を示すと、ゆっくりと巨漢の方に歩み寄っていった。背後でモルガンが恐怖に耐えている気配が伝わり、僕は内心でほくそ笑んだ。
僕が近づくたびに巨漢の図体が大きくなるのは、錯覚ではない。実は怪物は、服に仕込んでる超小型プロジェクターが刑務所の壁に映している映像なのだ。したがって僕が壁に近づけば、必然的に相手も大きくなるのだった。
「う……うわああ」
背後からモルガンの怯えた声が聞こえた瞬間、僕は「今だモルガン、撃てっ」と叫んだ。
「わあーっ!」
廊下に銃声が響き渡り、次の瞬間、巨漢がチェンソーごと溶けるように姿を消した。
「き、消えた……」
プロジェクターの電源を切った僕は、信じられないという声を出して巨漢を映していた壁に近寄った。巨漢のサイズは僕よりはるかに大きいため僕が頭を撃たれる可能性は低かったが、それでも僕はほっと胸をなでおろした。
「なあモルガン、あいつはいったい何者……」
僕が大げさな演技と共に振り返った、その時だった。奥の二人房からジャンの取り乱した声が聞こえた。
「おい看守さん、聞いてくれ。ショウが……ショウが、消えちまった!」
「な、なんだって?」
房の中を覗きこんで絶句しているモルガンと、パニックに陥った芝居をしているジャンを見て、僕は心の中で快哉を叫んだ。
房の内側にいるのはジャン一人で、ショウの姿は跡形もなく消滅していたからだ。
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