第14話『呑天楼』
早速、私たちは横浜駅を後にしてお店へと向かった。西口から出て橋を渡りさらに西へと進む。大きな通りを渡り裏道へと入り住宅街に差し掛かる。その場所に目指す中華飯店・呑天楼は建っている。
店の入れ替わりの激しいこの辺りにしては珍しく、戦後すぐから建っている三代続く由緒正しい中華料理屋だそうである。
「すみません、予約を入れた東雲です」レジ前でお店の人に声をかける。
「はい、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
私たちはお店のお姉さんに二階にある個室へと案内された。別に何も言っていないのに通路の最奥、赤と金の中国宮廷風に装飾された豪華な部屋へと通された。何度かこの店で食事はしているが普段はこの部屋に通されたことは一度もない。これは何かの配慮だろうか? まあいいか。
「あ、すみません。今日は料理の方は先におすすめコースを注文してしまったのですがよろしかったですか。何でしたら変更も出来ますが」
私は部屋に入りしなに向井にそう声を掛けた。
「いえ、大丈夫ですよ。中華は好物なので何でも食べます。でも、料金は私も払いますよ」
「いや、私が誘ったので是非おごらせてください。それにこの店は私が支払えば料金も大分安くなりますから、お気になさらずに」
「そうですか……。でしたら、またの機会にお返しさせてください」
「はい」
そう言って私は彼女のために椅子を引いた。
二人で席に着き料理が運ばれてくるのを待つことにした。
彼女は緊張している様子が伺える。終始うつむき加減で頬は僅かに朱に染まっている。やはり先に料理を注文してしまったのはまずかっただろうか? まあいい、デザートは自分で選べるのでそれで機嫌を直してもらおう。
私は彼女の向かい席へと腰かけた。
すぐにジャスミンティーが運ばれてきた。華やかな香りに気分が安らぐ。彼女はまだ緊張している様子だ。
「先ずは、食事を楽しみましょう」私は軽い調子で声を掛けてみた。
「あ……。はい」
「このお店は中華系の創作料理がメインなので肩ひじを張らなくても大丈夫ですよ。箸で食べられますし気楽に行きましょう」
「はい……いえ、そうではなくて……」
――ああ、成る程そういう事か……。今日は内緒な話があるのだった。
「ここは会食用の個室なので会話を他に聞かれる心配も無いですよ」
「いえ……そうではなくて、ですね……私、男性と食事をするのが久しぶりな物でして……。東雲さんは緊張しないのですね」彼女はさらに頬を赤らめた。
――成る程、そういう事だったか……。
「ああ、すみません。私は美術部だったので女性の方が知り合いに多いのですよ。なので女性でも普通に誘ってしまうんですよ。気にしないでください」
「はぁ、はい。そうですか……」
うん、これは文科系クラブ特有の症状だ。高校の部活終わりによく先輩たちと一緒にスイーツ巡りをさせられた。なので私には女性を食事に誘うのに一切の抵抗感がないのだ。変な気を回させてしまったかな……。
そうこうしているうちに料理が運ばれてきた。早速頂く事にする。
私たちはたわいもない雑談をしながら料理に手を伸ばした。
食前酒は桂花陳酒。キンモクセイの香りの付いた白ワインだ。香りを楽しみつつ頂く。
前菜は真鯛のカルパッチョ。黒酢とごま油で仕上げた少し濃いめの味付けである。
スープは人参と玉葱の中華スープ。金華ハムと鳥ガラのだしで作ったコクと旨味の
魚料理は揚げイシモチの甘酢かけ。大きなサイズのイシモチに、油臭さを抑えるためかオリーブオイルとトマトの酸味のイタリアンテイストの甘酢がかけられている。
口直しに杏仁アイス。添えられた爽やかな味のシャンパンのソースがいいアクセントだ。
肉料理は北京ダックのアレンジ料理。切り分けられたパリパリとした食感の北京ダックの皮が野菜やムースの上に載せられお寿司のように並んでいる。それぞれに添えられたスプーンの中のソースをかけて頂くようだ。
うん、どの料理も大変美味しい。この呑天楼というお店、以前は中華街の老舗から奇をてらった料理ばかりと難癖をつけられることもあったが、最近ではテレビや雑誌で紹介されることも多く、大繁盛していると聞いている。本来であれば予約を取るのも難しい。
しかし、勿論、今日予約が取れたのは偶然ではない。こういった大きなお店の場合、何かあったときの為に料理も部屋も余裕を取ってあるのが普通なのである。今日はそこに知り合い特権を使い、無理を言って入れさせてもらったのだ。
最後にデザートが運ばれてきた。私が白玉フルーツ。向井はガトーショコラを頼んだようだ。
彼女も大分緊張がほぐれてきた様子である。
「料理どうでした」
「大変美味しかったです。創作中華は初めて頂きましたけど、気楽に楽しめてよいものですね」
「そうですね、私は家族や親せきとよく来てますよ。大部屋なら予約を入れる必要も無いですし」
「そうなんですね、私も今度利用させていただきます」
「ええ、ぜひそうしてください」
――そろそろ良いか……。
「あの、それで、お電話でお聞きした件ですが……」
「あ、そうですね。私つい緊張してしまって、料理の事ばかり……。すみません」
彼女はそう言ってぺこりと小さく頭を下げた。その瞬間にまた頬が赤くなる。
「いえ、お気になさらさずに」
「はい……。あの、東雲さんは村田久さんの事はご存じですか」
「村田久……。確かソラちゃんを引き取った方ですよね」
「はい、ソラ姉ちゃんの父親の弟にあたる人物で、村田家に婿養子として入った、いわゆる叔父なのです」
「そう言えば村田家を訪ねた時にもお会いすることができなかったので、私は何もお聞きしてなかったですね」
「その村田久さんは、現在、内閣官房長官の補佐官をやられています」
「!」
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