第9話『空の思い出』


「澤田星空は先日亡くなりました」そう告げられた。


 私は大きく息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出した。覚悟していた事とはいえこれはきつい……。


「それはいつの事でしょう」発した私の声が震えている。鼓動がいつもより少し早く打つ。


「二十日ほど前になります」

「死因は……」今、私はどんな表情をしているのだろう。きっと目を見開き蒼い顔をしているに違いない。

「滑落による事故死です。立ち話も何ですので、どうぞ中へ」

「はい」


 私は玄関で靴を脱ぎ客間に通された。隣の部屋へのふすまが開いている。そこは仏間なのだろう。隙間から仏壇らしきが見えて線香の匂いが漂ってくる。座卓を挟み村田清美と向き合って座った。

 すぐにふすまを開けて先程の使用人らしき女性が現れた。大きな湯飲みに茶を注ぎ出て行った。


 私は湯飲みを手に取りゆっくりとお茶を啜った。口へと広がる緑茶の香りと渋み。幾分落ち着きを取り戻す事が出来た。


「あの、それで……」

「はい、お話します。それは……」


 村田清美は訥々とつとつとあらましを語り始めた。


 ソラちゃんはどうやら獣医になったようである。彼女の理想からはそう外れている訳ではない。そして、二十日前に彼女の勤める動物病院から突如連絡が入った。彼女はその日無断欠勤したそうである。心配した同僚が電話を入れたが連絡も付かない。事情を知らないかというものだった。

 里親である村田清美はソラちゃんのアパートへ向かった。彼女のアパートはもぬけの殻で車も見当たらなかった。テーブルの上に小包だけが置かれていたそうである。その日のうちに思いつく限りの連絡先に当たった清美は、夕方に警察に出向き事情を説明して捜索願いを出した。

 二日後、町はずれの山中でソラちゃんの車が発見された。その場所は地元の人しか知らない街を見下ろす夜景の美しいスポットだった。

 翌日、周囲の捜索が始まり、がけ下に転落しているソラちゃんが見つかった――。


 当初警察は事件・事故の線で捜査を開始したが、付近に設置されたオービスでその時刻にその場所を通ったのがソラちゃんの車だけと判明し、事故の可能性が高いと断定された。しかし、その時、問題となったのは私の下へと送られてきたこの小包だったのである……。


 中に入っていた手袋はソラちゃんが大事にしていたのを、周囲の人間は知っていた。さらに住所がソラちゃんのアパートではなく里親の家になっているのが問題となった。ソラちゃんがアパートを引き払う予定であると言う話は無かった。だとすると自分が近日中に返信を受けられなくなると確信していたと言う事になる……。彼女は自殺を疑われたのだ。


 小包は地元警察によって証拠物件として押収されたそうである。中を開いて確認もされた。しかし、結局どこからも遺書らしきは発見されず、ソラちゃんの死は事故として処理された。


 その後、返還された小包は私の下へと発送された。


「一言、添えて頂ければよかったのに……」私は思わずつぶやいた。

「それは……随分と長い間会っていないと聞いておりましたので……伝えるべきかどうかと……」動揺した様子で清美が答える。


 成程……。結局この小包の所為でソラちゃんの自殺が疑われることになったのだ。彼女を引き取った里親としては複雑な心境だったのだろう。もしかすると、その所為ですでに誰かから咎められる様なことを言われたのかもしれない。連絡先などが書かれていなかったのもその所為だと思われる。



「それで生前の星空さんはどんな風でした」

「はい……」


 清美は少し緊張した様子で語り始めた。やはり、この人はこの家を守るため必要以上に気を張っている様子が伺える。為人ひととなりは厳格そうだが決して悪い人間ではない。むしろ凛とした佇まいの似合う旧家のお嬢様だったと思われる。そして、彼女は包み隠さずソラちゃんの事を教えてくれた。


 村田清美の語るソラちゃんは私のかつて知っていた彼女の姿と重なった。明るく前向きで、多少強引ではあるがなんにでも首を突っ込みたくなる性格。少し違うのは彼女が負けず嫌いで諦めないと言うところだろうか。私の知っているソラちゃんは飽きっぽい性格だった……。


 本を読み始めたと思ったらすぐに投げ出し、宿題を始めると猫を追いかけて駆けだした。手編みの手袋だって結局親指の所が作れず靴下になってしまっていた。


 ――ああ、懐かし思い出だ。それでも、私はもう彼女に会う事は出来ないのだ……。



 高校時代にこちらに引き取られたソラちゃんはここで暮らし市内の高校へと通った。相当に頑張って勉強をし学年でトップクラスの成績を収めていたそうである。そして、高校を卒業してからは島根の大学へ通い獣医の資格を得たそうだ。それから高校時代のつてを頼りに町はずれにある動物病院で働き始めたそうである。


 友人関係も良好で、ここでは幸せに暮らしていた事が伺える。ただし、最近の仕事関係では少し塞ぎがちだったとの同僚からの証言もあったそうである。


 その後、私は覚えている限りで幼いころのソラちゃんを語った。清美は静かに目を瞑り少し頷きながら話を聞いた。ただ一つ、どうしても手袋を渡した経緯は思い出す事が出来なかった。


 話し終え外を見ると日が沈み暗くなり始めていた。私は最後に仏間に行ってソラちゃんの位牌に手を合わせた。

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