第169話.斜線陣
戦いが始まった。
いや、正確に言うと、もう何時間も前からポール将軍が戦っているため、すでに戦いは始まっていたが。
とはいえ、本当の戦いはリガルが参戦してきたこれからだ。
リガルはまず、右翼から順々に兵を進めていった。
勢いよく全軍で突撃したりはしない。
陣形が乱れて隙が生まれないように、ゆっくりと落ち着いた動きだ。
そして、このリガルの一風変わった前進により、綺麗な長方形を
と言っても、その一段一段は非常に低く、階段というよりはスロープと言った方が納得するかもしれない。
帝国軍は、このリガルの変わった戦い方に、
あくまで、受け身の姿勢を貫く様だ。
まぁ、一貫しているというところは、評価できる点だが。
そして、ポール将軍率いるロドグリス王国軍の別動隊はというと……。
何と、リガルが動き始めてから、一ミリたりとも初期位置から動いていなかった。
これには……。
「な……! へ、陛下、奴は一体何をやっているのでしょうか!? まさかここに来て裏切ったのでは!?」
隣に控えるレオも激昂する。
しかし……。
「まぁそう慌てるな。あれで何も問題は無いよ。いやぁ、本当に実力だけは完全に信頼しきる事ができるな。何も言わずとも、こちらの前進の仕方を見て、俺の戦略の意図を理解してくれたのは、流石としか言いようがない」
笑みを浮かべながら、ポール将軍を褒めちぎるリガル。
だが、リガルの戦略の意図を全く理解していないレオには、何が何だか分からない。
「ちょ、ちょっと、一人で満足してないで、俺にも教えてくださいよぉ」
「分からないか……。ま、いいだろう。というか、お前は俺の出した魔術師の配置の指示に、違和感を覚えなかったか?」
「え、違和感ですか? ……うーん、そういえば、右翼の方に精鋭部隊が固まっていたような。しかも、陛下も中央ではなく右翼の後方で指揮してますし……。何か、右翼が戦いのカギを握る働きをするんですか?」
「お、気づいたか。その通り」
レオが自分の問いに答えることが出来るとは思わなかったのか、リガルは少し驚いたような反応をする。
だが、すぐに機嫌を良くしたように、鷹揚に頷く。
「そう、この少し変わった陣形の狙いは、一気に右翼で押しつぶすこと。見た目だけはバランスの良い配置に見えて、実は質の高い兵が、右翼にばかり偏っている。相手の目を欺いて一気に片を付けようって訳だ」
「なるほど……。真正面からと攻める言った時は、正直疑問を抱いたものですが、その代わり配置を工夫したわけですか。流石は陛下です。……あれ? でもそれなら、何でこんな前進させるタイミングを乱して、斜めった陣形にしたんですか?」
「分からないか? まぁ、この世界で使われているというのは聞いたことが無いから、無理もないかもしれないが……。これは、斜線陣さ」
――斜線陣。
これは古代ギリシア世界にて、その都市国家の一つであるテーバイの総司令官である、エパメイノンダスが考案した陣形である。
この時代に主流だったのは、ファランクスと呼ばれる、重装歩兵の密集陣形で戦う戦術だ。
左手に持つ盾で、自分と左隣の味方を守り、右手に持つ槍で、敵を粉砕する。
高度な連携が求められる陣形だが、その分強さは圧倒的。
互いが互いを守り合うため、非常に防御が硬く、正面からは崩すことが難しい。
しかし、そんなファランクスにも弱点があった。
それが、右側面である。
ファランクスの一番右に位置する兵は、自分を盾で守ってくれる味方がいない。
そんな弱点をカバーするため、基本的にファランクスにおいては、一番右の列に精鋭部隊などの強力な兵を配置するのがセオリーだ。
しかし、エパメイノンダスは、そんなセオリーに
ある日侵略してきたスパルタ軍に対して、エパメイノンダスは野戦を挑み、そこで左側に大量の兵を配置した、世にも奇妙なファランクスを用いたのである。
世に言う、レウクトラの戦いである。
一体、何故エパメイノンダスは、こんなセオリーと真逆の戦術に出たのか。
それは、「右翼が弱いなら、右翼を全力で叩き潰してしまえばいいじゃない」という考えがあったからだ。
脳筋的な発想過ぎて、バカなんじゃないかと思うかもしれないが、エパメイノンダスはバカでは無かった。
自分たちの弱点である、右翼の対策もしっかり考えていたのである。
それが、「右翼が弱いなら、そもそも戦わなければいいじゃない」という考えだ。
いや、それが出来たら皆やってるわ、そんな都合がいい作戦ある訳――。
あるんです。
それこそが、斜線陣だ。
斜線陣は、左翼から右翼に行くにかけて、徐々に進軍するタイミングを遅らせる。
それにより生まれる形状が、まさに斜線の様であるから、斜線陣という訳である。
一番最初に進軍したのだから、当然一番最初に敵に当たるのも、左翼となる。
逆に、弱点である右翼は敵と戦うのが非常に遅れる。
斜線陣を用いた結果、倒しても倒しても無限に現れる兵の前に、スパルタ軍右翼は敗走。
対するテーバイ軍の右翼と、スパルタ軍の左翼はそもそも戦いにならず。
こうして、最強と謳われるスパルタ軍に対して、エパメイノンダスは見事に勝利を上げたのである。
ちなみにこのエパメイノンダスは、アレクサンダー大王の父親である、フィリッポス2世の師匠だったりする。
まぁ、その話はひとまず置いておくとして。
リガルは、これを流用したのだ。
魔術師には、特に右翼が弱点だのということは無いので、別に弱点をカバーするために斜線陣を使ったわけでは無い。
右翼に精鋭部隊を配置したのも、完全なる気まぐれだ。
別に精鋭部隊を配置するのは左翼でも良かった。
斜線陣を参考にしたのは、どちらか両サイドに、質の高い兵を固めるのを決めた後。
当たり前のことだが、軍隊というのはどこか一点に大量の兵を置いたり、質の高い兵を置いたりすると、どこか別の部分が弱くなる。
都合よく、強化だけしてデメリットは無し、といったことは不可能なのだ。
故に、その強化によって生まれた、他の部分の弱体化は、何か対策をしなければならない。
そこで、リガルは斜線陣を用いて、弱点部分が戦わずに済むように対策したという訳である。
それをリガルは、レオに説明してやると……。
「な、なるほど……。シンプルな戦術ですが、確かに言われてみると効果的ですね……。これまで聞いたことも無いような戦術をこうも簡単に思い付いてしまうとは……」
普段は、ふざけているのかと思うこともしばしばあるが、やはり天才なのだと思い知らされる。
まぁ実際は、地球の先人の知恵を借りただけなのだが。
そんなことは、レオが知る
感心するのも当然だろう。
「まぁね。さ、無駄話はこの辺までにするぞ。もう帝国軍の攻撃が来る」
リガルはレオの言葉に対して、謙遜するでもなく特別誇るでもなく、軽く受け流す。
そして、真剣な顔つきで正面をジッと見据えた。
気が付けば、もう最前列のロドグリス王国軍魔術師は、帝国軍の射程に入っていたようで、攻撃魔術が飛来してくる。
だが、ロドグリス王国軍魔術師は、そのことごとくを鮮やかに搔い潜り、歩みを止めない。
まぁ、正確には歩んでいるのではなく、駆けているのだが。
普通なら立ち止まって攻撃を防ごうとしそうなところを、迷うことなく突っ切っていくのだから、敵からすれば本当に恐ろしいことこの上ないだろう。
しかも、そんな雑にも思えるやり方なのに、誰も被弾しない。
リガルが見た限りでは、誰一人としてやられているロドグリス王国軍魔術師はいなかった。
やがて、そのまま突き進んでいくと、リガルのいる最後列にまで魔術が届くようなる。
もっと前の方にいる魔術師たちが、敵の攻撃を魔術で防いだりもしているため、飛んでくる量は少ないが。
もちろん、リガルとレオもこの程度の魔術はヒラリと躱していく。
リガルは指揮官としての活躍が目立つが、戦闘能力自体も非常に高い。
事実、子供時代にエイザーグ王国の王子である、アルディアードに、体力の問題さえなければ無双できたほどだ。
まぁ、それについては戦い方の工夫が大きな勝因だが、それだけでは勝てないため、運動神経が一般人よりもだいぶ高いことは間違いない。
レオについても、昔は運動神経が悪かったが、今は平均よりはちょっと上のレベルにまで改善された。
昔のレオは、自分には才能が無いのだと悲観していたが、人間死ぬ気何年も継続すれば、ある程度の場所までは到達できるものだ。
まぁ、死ぬ気でやっても「平均よりちょっと上」程度なのが悲しいところであるが。
とにかく、そのようにしてロドグリス王国軍右翼はあっという間に、帝国軍に食らいついた。
その勢いは圧倒的で、最初はロドグリス王国側の斜線陣を、指揮系統の混乱かと勘違いしていた帝国軍指揮官も、ここに来てようやく気が付く。
――右翼に精鋭部隊を固めていたのだと。
指揮系統の混乱などではなく、これまでの行動全てが、リガルの描いたシナリオ通り。
しかし、それに気が付いたところですでに手遅れ。
帝国軍も、兵をいくらか左翼回して、左翼の突破を防ごうとするが、それは逆効果。
ハイネス将軍率いるロドグリス王国軍左翼が、一気に薄くなった帝国軍右翼を包囲しに掛かる。
帝国軍も数で勝っているため、物量で何とか持ちこたえるが、一度守りに回ってしまうと、ロドグリス王国軍の勢いを中々押し返すことが出来ない。
徐々に右翼が突破されそうになり、左翼はロドグリス王国軍に包囲されていく。
そして、後もう一押しというところで、ついに
それは、ポール将軍の事である。
ロドグリス王国軍の別動隊として、リガル達とは少し離れた右の方に陣取っていたポール将軍。
彼は、これまでリガルが動いても、ずっと待機したままで動かなかった。
しかし、敵が崩れかかった所を見て、満を持してトドメを刺すべく動き出したのである。
帝国軍は、ただでさえ押されていたというのに、そこにポール将軍まで加わっては、持ち堪えることなど出来るわけもない。
間もなくして、帝国軍は敗走を始めた。
「帝国軍が逃げました! このまま追撃します!」
これまでリガルの隣で戦況をずっと見守っていたレオが、前線に躍り出ようとしながら叫ぶ。
だが……。
「その必要はない」
リガルがそれを制する。
「え……」
てっきり、当然追撃するものだと思い込んでいたレオは、驚いたようにリガルを見やる。
どう考えてもロドグリス王国軍の勝利は確定的。
確かに日は落ちかけていて、視界も悪くなっては来たが、ここで追撃しない手は無いように思える。
しかし、リガルはそうは考えていないようで……。
「今、我々ロドグリス王国は、ヘルト王国の持っていた膨大な領土を飲み込んだばかりだ。それを完全に消化し、吸収するには、かなりの時間が掛かる。少なくとも数年の間はあまり帝国と険悪な関係にはなりたくない。どうせ、ここで帝国軍の兵力を、削ろうと削らなかろうと、この戦いは
ヘルト王国の半分の領土を奪うと言うのは、もうそれはそれは後世に大事件として語り継がれるような、大きすぎる戦果だ。
――
さらに多くを望んでは、不幸に襲われることになるだろう。
「それもそうですね」
そう言って、レオが冷静になったように杖を納める。
こうして、夕空が闇に変わろうとする頃、帝国軍とロドグリス王国軍の戦闘は終結したのであった。
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