第162話.強さへの信頼

 ――翌日。


「陛下! 陛下!」


 リガルの寝室にいきなりレオが侵入してきて、焦ったようにリガルを呼ぶ。


 それに対して……。


「な、何だ!?」


 リガルは慌てて飛び起きる。


 普段のリガルなら、この程度ではすぐに起きたりしないだろう。


 身体を揺さぶられるなりして、ようやく不機嫌そうに目を覚ます。


 それから寝室を出るまでには、大体10分程度は掛かるはずである。


 しかし、そんなリガルが今日は珍しく、一瞬で目を覚まして、体も起こしたのである。


 やはり、リガルもピンチが続き、現在は常に不安に駆られている状態だ。


 そのため、レオの声に敏感に反応したろう。


 リガルは飛び起きるとすぐに窓の外を確認する。


 しかし、外界はまだ暗闇に覆われていて、まだ真夜中もいいところだ。


 それを見て、リガルの脳内に嫌な予感が浮かび上がってくる。


(まさか、また帝国軍が夜襲でも狙ってきていたりしないだろうな……)


 だが、その予感は最悪なことに現実となってしまう。


「それが、帝国軍がもうすでに動き出しているとの報告が……!」


「マジかよ!?」


 レオの言葉に対して、信じられないと言うように声を上げるリガル。


 別に、そこまで驚くほど、あり得ないことではない。


 しかし、昨日は夜中に仕掛けてくるようなことは無かったため、今日も大丈夫だと思ってしまったのだ。


 普段のリガルならばこんな油断はしないだろうが、やはり平常でないため、このような初歩的なミスが出てしまう。


(クソ、これも俺の油断を誘うために、敢えて1日という間を空けて来たのかよ……! ムカつくくらいに、こちらの嫌な所を突いて来やがる……)


 リガルは敵の手のひらで踊らされた、と歯噛みするが、これも普通に間違っている。


 深読みのし過ぎだ。


 敵の指揮官は、昨日は魔物の群れに襲われて兵も疲れているだろうからと、夜の行軍は控えただけ。


 そこにリガルの油断を誘おうなどと言う意図は、全くない。


 単純に、そんな安直な判断が、奇跡的にリガルの嫌がることと合致したのである。


 ロドグリス王国側の視点で考えれば悪夢。


 帝国の視点で考えれば僥倖ぎょうこう


 それがまた起こってしまったのである。


(どうする? もうこうなったら、腹を括って一か八か戦ってみるか? ここで籠城して……。いや、無理か)


 リガルはこうなったらいっそのこと戦ってみようか、などと考えるが、すぐにそれが無謀であることを理解し、考えるのをやめる。


 籠城したところで、防御力が格段に上がるかと言われれば微妙なところだし、逆に自分から逃げ道を閉ざしてしまうというデメリットも存在する。


 兵力差が顕著な現在の局面で、籠城の選択は出来ないだろう。


 打つ手がない現状だが、一昨日おととい同様、幸いなことに完全に接敵する前に気が付くことが出来た。


 今から逃げれば、まだ1時間程度の距離は空けた状態を保つことが出来る。


「よ、よし、とりあえずさっさと出発だ。兵の方はどうなっている?」


「まだ行軍準備は整っていませんが、もう行動を開始してはいます。恐らく10分程度で準備は整うかと」


「そうか」


 出発準備は整っているらしい。


 出発することは、すぐに出来そうだ。


 リガルも大急ぎで準備を整え始める。


 どうやら今日の朝食も、レーションを行軍中に食べることになりそうだ。






 ー---------






 ――しかし、この地味な鬼ごっこに終止符が打たれる時は、案外早く訪れた。


 帝国との戦いが始まって4日目の夕方――。


 いよいよ空が朱色に染まりだして、日が沈むことを予感させる中、リガルたちは終わりを予感していた。


 今日もまともに睡眠を取らせてくれなかったため、満身創痍。


 士気は最悪の状態で、何とか行軍しているという状態なのだ。


 1時間ほどしかなかった距離など、すぐに詰まる。


 朝は1時間だった距離は、もう互いの軍勢を肉眼で視認できるほどに縮まっていた。


 もうこうなっては、交戦は必至。


 どうやったって、避けられないという状態である。


(ヤバい、マジでどうする!? いよいよもう逃げ切れない……。絶体絶命だ……)


 昨日は運に助けられて何とかなったが、奇跡はそう何度も続かない。


 今日ばかりは本当にどうにもならなそうだ。


 必死に打開策を考えるが、焦れば焦るほどドツボにハマり、思考はぐちゃぐちゃになっていく。


 そもそも、今日朝から丸一日考えていても思いつかなかったのだ。


 今の数分で閃く可能性は、限りなく低いだろう。


 少数の兵で奇襲して時間を稼ごうとしても、焼け石に水。


 悪あがきに過ぎないだろう。


 まさに万事休す。


 こればかりとはどうしようもないと、リガルもついに降伏を狙う方向に舵を切ろうとしたその時だった。


「へ、陛下……! アレを……!」


 さっきまでリガルと同様、絶望的な表情を浮かべていたレオが、突如表情を明るくして左斜め前方を指さす。


「え……?」


 心身ともに疲れて切って、顔を伏せていたリガルであったが、レオの希望を見出したような声を聞いて、ゆっくりと顔を上げる。


 するとそこには、嘘みたいな光景が広がっていた。


 何と、ロドグリス王国の国旗を掲げた軍勢が、リガルたちの方に向かって近づいてきていたのである。


「あ、え、え……? 何だあれ……」


 一瞬、リガルは自分の目を疑った。


 こんなところにロドグリス王国軍の軍勢がいるわけが無い。


 もしや敵軍がロドグリス王国の国旗を掲げているだけなのでは、という疑いも持った。


 そのため、逆に警戒したリガルであったが……。


「な……! アイツは……」


 直後に見知った人間の顔を発見する。


 その見知った人間というのは……。


「あれはまさか……。ポール将軍ですか!?」


「あぁ、どう見てもそうだな」


 そこには、つい1週間ほど前まで宿敵と言うべき関係であった、ポール将軍の姿があった。


 ポール将軍の方も、リガルたちのことを視認したようで、スピードを上げてリガルの方にやってくる。


 そして……。


「リガル陛下。この忠臣ちゅうしんポール・ロベール。今にも野垂れ死にそうな陛下を救援すべく、ロドグリス王国軍3000を率いて、参上致しました」


 膝まづき騎士の礼を取るポール将軍。


 口調と見た目だけは、ちゃんと敬意を払っているように見えるのだが、その言葉の内容は、あまりに王に向かって放っていい言葉ではない。


 やはり、リガルに敗北したことを未だに根に持っているようだ。


 プライドの高さと負けず嫌いは健在、と言ったところだろうか。


 絶対にリガルに対して従順になりはしない――。


 不敬罪で死刑というのならそれでも構わない――。


 そんな強い意思を感じる。


 リガルも別に無礼など気にしないし、仮にそれを直させようとしても無駄なことは分かっている。


 そのため、特に言及することは無かった。


 何より、今はポール将軍が助けに来てくれたことのインパクトが大きすぎて、最早無礼な発言など、何とも思わなかったというのもある。


 だが、結果論的には助けに来てくれて良かったとはいえ、ツッコミどころはある。


「助かりはしたが……。貴様、何故ロドグリス王国軍を率いている? お前を自由にした覚えはないぞ?」


 ポール将軍を自軍に引き入れた以上、裏切りなどのリスクはある程度承知の事。


 それに怯えて、いつまでも拘束したまま、ということはリガルもしない。


 とはいえ、流石にこの戦争中にゴタゴタが起こるのは勘弁してほしい。


 ということで、後々ロドグリス王国軍に組み込むつもりの捕虜たちは、とりあえずロドグリス王国領内の都市に拘束したままにしていた。


 そのはずだが、ポール将軍が自由にここまでやってきている。


 しかも、ロドグリス王国軍魔術師を率いて。


 これは冷静に考えると大問題である。


 しかし……。


「ハイネス将軍に頼まれたのですよ。陛下を助けに行ってくれ、ってね。責任は全て彼にあります」


「ハイネス将軍が?」


 ポール将軍の言葉を聞き、リガルは信じられないというような反応をする。


 ハイネス将軍は、真面目を絵にかいたような人間で、王の意向には絶対に逆らわない人だ。


 そんな男が、このゴタゴタを避けたい時に、ポール将軍を自由にしたりするだろうか。


 ポール将軍も馬鹿じゃない。


 このタイミングでポール将軍に自由を与えることのリスクを、分かっていないわけではないだろう。


(あり得ない。普通は絶対にありえない。だが……)


 だが、事実ポール将軍は、こうしてリガルの前にその姿を現している。


 ポール将軍は、しっかり拘束してあったのに、だ。


 それはもう、ポール将軍の言っていることが本当で、ハイネス将軍が自由の身にしたのだろう。


(いや、今はそんなことどうだっていいか)


 しかし、そこでリガルは「どうだっていい」と思考を放棄する。


 そう、ポール将軍がハイネス将軍によって自由になっていようと、何かリガルに分からない特別な策をって自由になっていようと、関係ないのだ。


 今のリガルには、ポール将軍を信じて、この苦境を脱するしかない。


 ポール将軍が仮に裏切っているのなら、もうリガルはここで殺されてゲームエンドだし、逆にそうでないのならリガルにデメリットは何一つない。


 リガルの許可なく、ポール将軍という危険因子が自由になっていたのは問題だが、それも終わり良ければ全て良しだろう。


「まぁ、いい。とりあえず助かった。それでは早速命令だ。8時間でいいから、帝国軍を足止めしてくれ」


「了解です」


 リガルのあっさりとした命令に、軽く答えるポール将軍。


 あっさりとリガルの言葉に頷いたが、リガルの命令はそう簡単なものではない。


 たった3000の兵で10000の相手をする――。


 それ自体は、リガルも初日にやった事。


 しかし、リガルの時は高台に陣取っていたし、落とし穴なども掘って、迎撃げいげき準備は万全だった。


 今回はただの平地。


 準備も何も整っていない。


 だが、それでもリガルはポール将軍に安心してこの重要任務を任せられる。


 裏切るかもしれないというリスクはある。


 だが、裏切らなければ――味方になってくれれば、ポール将軍ほど頼もしい人間はいない。


 敵として死闘を繰り広げたからこそ生まれる、「強さへの信頼」がそこにはあった。

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