第157話.慎重な立ち上がり

 ――ついに、時は来た。


 簡易的に構築した矢倉の上に構えたリガルは、双眼鏡を使って、帝国軍が現れるであろうと予測される方角を、静かに監視していた。


 そして、ちょうど今、帝国軍の姿をリガルの目は捉えたのである。


「来たか」


 それに対して、リガルは小さく呟く。


 その声音からは、非常に冷静であることが感じ取れる。


 ギリギリではあるが、迎え撃つ準備は万全なのだから、ある意味当たり前だ。


 むしろ、数日前から帝国軍の襲来が分かっていたのにも関わらず、交戦する前から既に慌てていたら、リガルの能力を疑ってしまう。


 この数日間お前は一体何をやっていたんだ、と。


「どうしますか、陛下? 私ならこれくらいの距離は射程範囲ですが」


「いや、いい。こちらの存在は、向こうにだって、流石にもうバレてるはずだ。お前がこの距離を打ち抜けることは知っているが、普通にけられる。これは、実力じゃどうにもならない話だ。お前はまだとりあえず大人しくしてろ。とにかく、今はひたすら様子見だ」


「わ、わかりました」


 逆にレオは少し気がはやっているようで、早く仕掛けたくて仕方がないようだ。


 しかし、そんな攻撃をしたところで通用しないので、リガルはそれを止める。


 今のリガルは非常に冷静だ。


 安易な一手を放ったりはしない


 じっくりと敵の動きを観察する。


 北東の方角から、ゆっくりとこちらに近づいてきた帝国軍は、300m程度の距離にまで近づいてきたところで一度立ち止まった。


 一瞬何をしているのかと、疑問に思ったリガルだったが、すぐにそれが単に陣形を整えようとしているだけであったことに気づく。


 帝国軍は10分ほどかけて、陣形を構築し終えた。


 広がり過ぎずも、近づき過ぎず。


 しっかりと均整の取れた、美しい陣形を作り上げたようだ。


(非常にバランスが良いな……。非の打ち所がない、お手本のような陣形だ。が、逆にオリジナリティが無く、教科書通りあるとも言える)


 リガルは、敵の陣形を見て、心の中で「教科書通り」と評する。


 別に、教科書通りであるというのは悪いことではない。


 教科書通り――それはつまり王道だ。


 王道とは、最も優れているゆえ、そう呼ばれる。


 しかし、それをただなぞるだけでは、強者には勝てない。


 カードゲームを例に上げると分かりやすいだろう。


 例えば、あるカードゲームにおいて、最強と言われているデッキを使ってトッププレイヤーと沢山戦ったとする。


 しかし、それでは高確率で負け越すだろう。


 プレイングは、トッププレイヤーと完全に同じレベルだったとしても、だ。


 それは何故か。


 答えは、最強と言われているデッキは必ず「対策」されるからだ。


 そういう対策をしてくるトッププレイヤーに勝つためには、その対策を読んでデッキをアレンジしなくてはならない。


 そして、それは戦争でも同じだ。


 王道の策をるのは悪くない。


 ただ、それに対応してきた相手を上回る、アレンジを加えておかなければならないのだ。


(さぁ、帝国軍にはそのアレンジがあるのかな……? もしも無いのなら、本当に一捻りだぞ?)


 リガルは心の中でそう思いながらも、様子見を続ける。


 一捻り、などと言ったことを考えながらも、本当は全く油断が無いからこそ、何か敵がとっておきの作戦を用意していないかと、警戒し続けているのだ。


 しかし、それからも集中して敵の様子を伺い続けるが、特に変わった点は見当たらない。


 どうやら、アレンジは無いようだ。


 もしくは、リガルの思考を敵指揮官が凌駕りょうがしているか、の二択である。


 そして、もしもリガルがこれだけ集中して観察しても、その一端すらも見えてこないような策を敵が用意しているというのなら、今更血眼ちまなこになっても仕方がない。


 これ以上観察しようとも、成果は得られないだろう。


 敵の方も陣形を構築し終えて、いよいよ動き出そうとする。


 様子見を続け動きを見せないリガル達ロドグリス王国軍を前に、どんどん近づいてきて、その姿がリガルたちの目に大きく映ってくる。


 それを受け……。


「仕方ない。こちらもそろそろ動くぞ。最前列の魔術師は広がれ! そして攻撃開始だ!」


 ついにリガルも指示を出し、動き始める。


 と言っても、本格的な交戦には持ち込むつもりは無い。


 とりあえず最前列にいる少数の兵を使って、敵を遠距離から足止めする狙いだ。


 もちろん、狙って魔術を撃つわけじゃない。


 スナイパーでもない普通の魔術師に、この距離から攻撃を当てろと言うのは、あまりに無茶が過ぎる。


 しかし、狙わずとも弾幕のように大量に魔術を放つことによって、その何発かは敵に当たるだろう。


 数撃ちゃ当たるという訳だ。


 当然、敵も防御行動を取ることが求められる。


 そうなれば、前進することが難しくなり、リガルの狙い通り前進を止める――とまでは行かずとも、にぶらせることが出来るだろう。


(よしよし、とりあえず成功か。しかし、こんなのでは応急処置も良いところだ。とりあえず、俺が事前に立てていた帝国の領土に逆に侵略する作戦は、今日の夜にならないと使えない。だから、少なくとも今日、日が沈むまでは、正攻法で帝国の攻撃を防がないといけないのだ。もっと新たな策をどんどん打ち出していかないとな)


 しかし、リガルに安堵する余裕はない。


 ――さらに新たな一手を。


 そう考えたリガルであるが、そんな時だった。


「あれ? どうしたんですかね? 敵の陣形が若干乱れているようですが」


 レオが遠方を指差し、呟く。


「え? あ、本当だ」


 それを見て、リガルもレオの示す先に目をやると、驚いたように呟く。


 何と、先ほどまでお手本のように美しく整っていた陣形の、最前列あたりが急に乱れていたのだ。


 そんな大きな変化ではない。


 僅かに整頓されていたものが散らばってしまった、程度のものである。


(そう見せかけてこちらを誘っているのか? もしもそうだとしたら、敵の指揮官も平凡ではないかもしれない。が、逆にこれが単なるミスなどだったら、平凡以下だな。さて、これに対して俺たちはどうするべきか……)


 確かに、現状敵の陣形が少し乱れたからと言って、安易に仕掛けることは出来ない。


 何と言ってもロドグリス王国側は、3000の兵力しかゆうしていないのだ。


 いくら相手の陣形が乱れていても、それでは返り討ちにされてしまう。


 ここは慎重に行くべきだろう。


 結局リガルもそのような結論に至ったようで……。


「とりあえず、今攻撃の判断をするのは時期尚早じきしょうそうだろう。ひとまずはこのまま遠距離からの牽制を継続する」


「なるほど……。確かに今仕掛けるのは早いでしょう。しかし、少し弱気でもあるように思いますが。せめて、この機を利用してちょっとした奇襲くらいは試してみてもいいのでは?」


「確かに……」


 珍しく、リガルがレオの助言に納得したように黙り込む。


 そして……。


「うん。やってみよう。ちょっと単純ではあるが、お前たちスナイパーを使う。高台だとバレやすいので、普通に地上から一般魔術師に混じって攻撃を行ってきてくれ。ほんの少しの時間で良いからな? ちょっかいをかけてくる程度で良い」


「え……。いや、そんな適当な……。いくら何でも雑過ぎるのでは?」


 確かに、レオが困惑するのも最もだ。


 いくら陣形が乱れているとはいえ、普通にスナイパーを使うだけでは簡単に防がれてしまう。


 陣形が乱れているからと言って、ロドグリス王国軍に対して無警戒になっているわけではないのだから。


 しかし……。


「分かっている。それと連動して、兵を広げる動きを取る。さらにその両翼を使って、敵を包囲するような動きを見せれば、相手も慌てて陣形を少し変えるだろう。そうなれば、隙が生まれ、敵の警戒も両翼の方に向く。そのお陰で、中央からのお前たちの狙撃が使えるという訳だ」


「なるほど……」


 どうやら、リガルは左右に広がる動きを相手に見せることで、相手の注意を惹きつけ、本命のスナイパーによる攻撃を通すという作戦を行うようだ。


 そこまでひねった作戦という訳ではないが、今の敵の状態なら通用するだろう。


 何せ、敵は今陣形が乱れているのだ。


 その要因は、別にリガルたちの遠距離からの牽制によるものでは無いはず。


(多分、相手が突如陣形を乱したのは、こちらがヘルト王国の軍旗ぐんきを掲げているからだろう。となれば、恐らく相手は動揺している)


 動揺しているのならば、多少底の浅い策であったとしても、通用するはず――。


 そうリガルは踏んだのである。


 まぁ実際には、敵の陣形の乱れは、ロドグリス王国軍を誘い出すための敵の策略かもしれないので、一概には断定できないが。


 ただ、一気に仕掛けるという訳ではなく、あくまでちょっとした奇襲程度であるため、失敗したとしても大したリスクはない。


 せいぜい十数人の魔術師を失う程度だ。


 いや、程度と言うと、人命を軽んじているように聞こえてしまうが、あくまで国王としての視点で見ての話だ。


 国家運営の観点から見ると、どうしても道徳的な事ばかりは言っていられない。


 ある程度冷徹になり、人の命に価値を付ける必要性があるのだ。


 現在の場合は、十数人の魔術師を失うリスクと、敵に更なる混乱を与えるリターン。


 これを天秤てんびんにかけたまでである。


「さて、では前線の魔術師に通達! ゆっくりと左右に広がりつつ、敵を包囲するような動きを見せろ!」


 早速リガルは指示を出す。


 もたもたしていては、敵の動揺が収まってしまう恐れがある。


 やるなら即座に行動に移す必要がある。


 リガルの指示を受けて、ロドグリス王国軍の最前線にいる魔術師は、横に広がり始める。


 そして、ある程度広がったところで、両翼が少し前進して、敵を包囲するような素振りを見せていく。


 もちろん、これは敵の注意を引きつけるための行動であり、本当に包囲をしたいわけではないので、その動きは緩慢だ。


 しかし、それでも帝国軍の指揮官は、ロドグリス王国軍の動きを察知してくれたらしい。


 包囲されないように、負けじと陣形を横に広げていく。


 完全に、リガルの目論見もくろみ通りだった。


(拍子抜けだな。いや、普通はこんなもんなのか。ポール将軍との戦いが、死闘すぎただけだ)


 確かに、ポール将軍との戦いは、リガルが策を講じようとも、ほとんど看破されてしまい、中々思うように戦いを進めることが出来なかった。


 最早、成功しないことが当たり前、という感じすらあったと言える。


 そんな戦いを経験したせいで、あっさりと自分の策が成功することに違和感を覚えるようになってしまったのだ。


(まぁいい。別に敵が弱いなら弱いで、それはありがたいことだ)


「さぁ、今だレオ。一気に仕掛けるんだ」


 気持ちを切り替えて、レオに力強く指示を出す。


「了解です!」


 そして、その言葉を受け取ったレオも、力強く答える。


 そのまま矢倉を降りて、そのすぐ下で待機していたスナイパー部隊を率いて前線へと出向く。


 それから程なくして、レオは敵への攻撃を開始したのだった。

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