第139話.敗北の傷

 ――一方、リガルが人生初の敗北をきっした戦いの翌日の朝。


 つまり、ポール将軍が二日酔いによる、最悪の目覚めを味わっていた日の朝である。


「……朝か」


 リガルもまた、最悪の気分で起床していた。


 その理由は当然、二日酔いなどではなく、ポール将軍に敗北したためである。


 もちろん、自分は負けない、などと驕っていた訳ではないし、いつかは敗北を味わうことになるというのは分かっていた。


 ただ、分かっていたというのは、あくまで頭の中での話。


 実際に味わってみると、そのショックは想像以上だった。


 また、落ち込んでいるのはリガルだけではない。


 ロドグリス王国軍の魔術師たちも、リガルの初めての敗北に、かなりの精神的ダメージを負っていた。


 そのせいで、軍全体の雰囲気は昨日の夜からずっと、お通夜ムードだ。


 アドレイアが死んだ中、ロドグリス王国軍魔術師の心が完全に折れることなく戦い続けてこれたのは、リガルの「無敗」という実績。


 しかしその支えとなっていた、無敗という名の柱は、昨日ポッキリ折れてしまった。


 今、ロドグリス王国軍魔術師の中には、この戦いで勝てるのかという不安が渦巻いていることだろう。


 たったあれだけの敗北でここまでなるか? と思うかもしれない。


 だが、それほどまでにアドレイアの死は大きく、この敗北の前からすでにロドグリス王国軍は、ヒビが入ったような、非常に脆い状態だったのだ。


 そんな訳で、兵力的な損害は大したことが無いが、精神ダメージがかなり痛い。


(はぁー、クソ……。どうすればいいんだ一体……。策も全然思いつかないし、思いついたとして、我が軍の魔術師がこんな状態じゃあ、とても戦えない)


 気持ちがネガティブなため、思考すらも悪影響が出ている。


 ――これからどう戦っていくのか。


 それらを考えなければならないのに、上手く思考がまとまらず、アイディアも沸いてこない。


 そして、リガルが仮にその状態から立ち直れても、魔術師たちが着いてこないという絶望的な状況。


 幾重いくえにも重りがのしかかってきていて、とてもそれをけてこの状況を脱することなど、出来そうもない。


 ――挫折を味わったことが無い者程、敗北を味わった時のダメージは大きく、立ち直ることが難しい。


 よくそんなことを言われるが、リガルはまさに今、それを痛感していた。


 下手に日本で手に入れた知識を使って、この世界での戦争で勝利してきたが故に起こってしまった悲劇である。


 結局、この状況を打破する案は思いつかぬまま、ただ時は流れ、ロドグリス王国軍は最悪の雰囲気のまま、ただただヘルト王国軍を追いかけるのだった。






 ー---------






 ――それから8時間後。


 それまでは何事も怒らず平和にただ時が過ぎて言っていたが、昼過ぎにしてようやく事態は進展を見せ始める。


 きっかけはもちろん、ヘルト王国軍。


 なんと、これまでずっと真っ直ぐロドグリス王国軍の中央部を目指していただけだったのが、突如兵を二つに分けたのだ。


 そして、分けられたその二つの軍勢は、とあるロドグリス王国の都市に向かって、急速に方向を転換した。


「こ、これは……。ついに動いてきましたよ、陛下。どうしますか?」


「……分かっている。今考えているところだ」


 少し不安げにリガルに尋ねてくるレオ。


 それに対し、若干の焦りを見せながら、リガルは答える。


(標的にされている都市は、ラッヘとミスティ。どちらも中規模の都市だ。仮にもロドグリス王国の中心部に近い都市なので、落とされたら当然痛いが、かといって別にめちゃくちゃ重要なのかと問われると、疑問符が残る)


 ここに来て初めての都市狙い。


 と来ると、そろそろタイムリミットも怖くなってきただろうし、ロドグリス王国の重要拠点を狙ってくるかと思ったのだが、そうでもないようだ。


 何より、ここからもうあと半日ほど行軍すれば、ロドグリス王国の経済の中心とすら言えるような大規模な都市がある。


 まぁ、経済の中心と言っても、王都よりは潤っていないが。


 そこを狙うことをやめての、ラッヘとミスティへの進軍。


 これは間違いなく、何らかの意図がある。


(考えられるとすれば、手薄な都市をとにかく速攻で落とすことにより、こちらの士気を下げること、とかだろうか……。しかし、流石に俺たちも、目の前で都市を落とすことなんてさせない。普通に考えたら、都市の防備など関係なく、今のタイミングで都市を落とすこと自体が不可能だ。何か他にも特別な策があるのか……?)


 リガルは考え込む。


 敵がすでに兵を分けるという行動に出ているため、ロドグリス王国軍としてものんびりとはしていられない。


 現在は、タイマーが起動しているような状態なのだ。


 しかし、だからと言って、適当な手を打つのもマズい。


 リガルは焦燥に駆られながら、敵の狙いを必死に分析する。


(そもそも兵を分けた意味は何だ? ヘルト王国軍が攻めようとしている2つの都市はそこまで重要じゃない。だったら、俺たちロドグリス王国軍は、片方の都市を無視して、もう一方に兵力を集中させることが出来る。そうなれば、分けた一方のヘルト王国軍魔術師は各個撃破されてしまう。一見すると明らかな作戦ミスだと思ってしまうが……)


 今回のポール将軍の判断は、リガルにとってあまりに不可解に思えることが多かった。


 ただ、リガルはもうこれまでの戦いで、ポール将軍がそんなミスをするような将ではないことは重々承知している。


 となると当然この行動には……。


(これは必ず意味がある。何なんだ? ポール将軍は、兵を分けてまで何を狙ってる?)


 リガルはポール将軍の意図を読もうと悩み込む。


 隣でレオがそわそわしているが、今のリガルには関係ない。


 すでに自分だけの世界に入り込んでいる。


 そしてついに……。


(そうか、分かったぞ! 俺たちが第一次ヘルト戦争の時に採った作戦をパクってきたんだ!)


 閃く。


 ポール将軍の真の意図。


 第一次ヘルト戦争の時に、リガルたちが採った策。


 それは、敢えて兵を分けて、相手の各個撃破を誘うことによって、他の戦場で戦果を拡大しようというもの。


 つまり……。


(もしこの仮説が正しいとすると、恐らくポール将軍は、数は均等に分けたものの、魔術師の質はどちらかに偏っているはず。そして、精鋭ばかりを集めた方に俺を誘導しようとしている……?)


 第一次ヘルト戦争の時、ロドグリス王国軍は、アドレイアが率いている部隊に敵のヘイトを集めようとした。


 アドレイアは精鋭部隊を率いていたため、敵に狙われても持ち堪えやすいからだ。


 しかし、今回はリガルたちに敵の軍勢についての情報は無い。


 ポール将軍がどちらかを率いているならば、リガルがそちらを狙うかもしれないが、それも分からないのだ。


 誘導のやりようがない。


(どういうことだ……? それとも、別のところで何かあるのか? 俺の考えを誘導する罠が……)


 リガルは読む。


 ポール将軍の放ってきた一手の意味を。


 そして至る。


(いや、そうか! 一つ決定的な伏線を見落としていた! そこに行きつけば、この問題は簡単だったんだ)


 答えに行き着いたリガル。


 その答えとは……。


「分かったぞ。レオ。奴らが兵を分けた理由。そして何故、ラッヘとミスティなんていう微妙な価値しかない都市に向かったかがな」


「……! な、何故なんですか!?」


 そして、ついに待ちに待ったリガルの見出した回答に、レオは食いつく。


 実際にリガルが考え込んでいる時間はせいぜい10分も無かったのだが、何もせずただリガルが答えに行きつくのを待っているだけのレオには、それが何時間とも思えるほど長く感じられた。


 そのせいか、レオの食いつきようは多少大袈裟とも思えるほどだった。


「地形だよ。ただ、細かく説明している場合じゃないな。とりあえずさっさと……」


 ――行動に移そう。


 そう言おうとして、リガルは固まる。


「……? どうかしましたか?」


「…………」


 突然言葉を失ったリガルに、レオはキョトンとした顔で伺う。


 しかし、リガルはうつむき沈黙したままで動かない。


 思ってしまったのだ。


 ――本当にこれで大丈夫なのか、と。


 自分の読みに自信はある。


 しかし、100%とは断言できない。


 当然だ。


 読みに100%なんて存在しない。


 確定していないことを予測するのが、「読み」なのだから。


 なのに、今のリガルには、そんな至極当たり前な事実が恐ろしくて仕方がなかった。


 ポール将軍の行動を読んでも、その読みをもとに対策を実行できなければ、何の意味も無い。


 たった一度の、敗北という呪縛が、リガルを名将からただの知将に落としてしまったのだ。


「や、やっぱり待て! さっきの話は何でもない。全軍でラッヘに向かったヘルト王国軍を攻撃する」


 その結果、リガルは自分が考えた読みを全て覆した指示を出してしまう。


 リガルの出した指示は、敗北する可能性がかなり高いが、リスクはかなり低い選択であった。


 勝ちに行くのではなく、ただ一時的に負けから逃れるためだけの策。


 まさに、その選択は今のリガルの心中を投影していた。


 だが……。


「陛下。私には、陛下の読みはほとんど理解できない。けど、それでも分かります。陛下の言っていることは間違っている、と」


「え……」


 レオはリガルの言葉を一蹴した。


 通常、王であるリガルに対して、間違っている、などと断言するのはあり得ない。


 失礼すぎる行為だ。


 それを聞いていた周囲の魔術師たちは、ギョッとしたような表情を浮かべるが、リガルはただ一人だけ呆気にとられたような顔をしていた。


 予想外の言葉過ぎて驚いた、という訳ではない。


 いや、ある意味ではそうかもしれない。


 自分でも間違った判断を下した自覚のあるリガルに対して、レオの言葉はあまりに図星だったのだから。


 そんな中、レオはさらに続ける。


「ポール将軍は、第一次ヘルト戦争の時に、あれだけの大敗をした。しかも、人生初めての、です。しかし、彼は陛下と違い、絶対にやり返してやると不屈の闘志で今回また再戦してきましたよ?」


 今度は、明らかに挑発と取れる発言。


「何が言いたい……?」


 普段は、どんなに失礼なことを言われようとも、怒ったりすることは無いリガルであったが、今回ばかりは怒りをあらわにして、レオに問い返す。


 もちろん、レオの言わんとしていることが理解できなかったわけではない。


 しかし、リガルが怒ろうとも、やはりレオは動じず……。


「違うなら証明してください。自分を信じて、ポール将軍に再び真っ向から立ち向かうことが出来る、と」


「……っ!」


 好き放題言いやがって、とリガルは内心思った。


 自分の読みを信じられない心の弱さなんて、他人ひとに指摘されるまでもなく理解している。


 しかし、それを分かったうえで逃れることが出来ない、総指揮官という、国の命運を左右する立場が与えるプレッシャー。


 負けたらどうしよう、などという不安が否応いやおうも無く襲い来る。


 だが、それがレオの挑発により、どこか一瞬だけ吹っ切れた。


「うるせぇな! やってやるよ! さっさと兵を半分に分けろ!」


 唐突に何かが爆発したように、レオに怒鳴りつけるリガル。


 最早ヤケクソだった。


 本来、指揮官がヤケクソで判断を下すなんてあり得ない。


 しかし、今回はリガルが敗北というトラウマを乗り越えることができるかという問題。


 これをきっかけに、リガルは再び動き出すのだった。

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