第14話.交渉
「あぁ、今回のここに来た理由は、これだ」
そう言って、リガルは懐から杖を取り出した。
色々回りくどく話を持っていくことも考えたが、リガルはわざわざ腹の探り合いをしなければならないような立場でもない。
単刀直入に切り出す。
「えーっと、こちらは一体……?」
しかし、それだけでは当然、意図は伝わらない。
「まぁ見てれば分かる」
そう言って、リガルは杖に魔力を流し込む。
「え、ちょ……!」
慌てて声を上げる。
あまりにリガルの取った行動が驚いたようで、完全に素が出てしまっている。
まぁ、部屋の中で突然魔術を使おうとしたら、誰でもこんな反応になる。
しかしリガルも、流石に室内で危険な魔術を使おうとするほど、頭のネジが飛んではいない。
使ったのは、テラロッドが発明したアイスシールドだ。
まず、部屋に被害が出なかったことに安堵するクライスだったが、やがてリガルの持つ杖に目を向けると……。
「これは……」
驚いたような表情で、杖の先に生成された、氷の板を見つめる。
クライスは商人だが、魔道具の販売などを行っているため、多少は魔術に精通している。
そのため、氷の魔術など、これまでに存在しなかったことぐらいは分かる。
そして、その有用さも。
「氷……ですか……」
「そうだ。凄いだろう?」
「えぇ、戦闘用の魔術としては、使えないでしょうが、これは素晴らしい発明ですね」
先ほどまでは、
「俺は、この魔術を魔道具に使用できないかと考えている」
「それは素晴らしい考えですね」
リガルの言葉を、素晴らしい、などと褒める。
だが、その全く変化のない表情から察するに、その言葉は世辞。
クライスも魔道具に使うことは考えていたようだ。
「そこでだ。クライス商会長には、この魔術を利用した魔道具を作るための、資金の融資をして欲しい」
「……ふむ」
しかし、クライスは了承することも、断ることもしない。
当然だ。
商人が、見返りもなく金を渡すわけがない。
だが、ストレートに「その対価として何をいただけるのでしょうか?」などと言ったら、失礼にあたる。
そのため、回答しようとしないのだ。
その辺りは、リガルもある程度分かっているし、タダで融資しろ、などと無茶を言いたい訳でもないので……。
「もしも融資してくれるというのなら、氷の魔道具の専売権をやろう。売り上げも、10%を俺に渡してくれるだけでいい」
「…………しかし、氷の魔道具は完成する保証はありませんよね? 完成しなかった場合はどうなるのでしょうか?」
僅かな沈黙の後に放たれたクライスの返答は、芳しくはなかった。
クライスの言い分も、一見最もだと思える。
完成する保証のない物が、完成する前提で話を進めるのは間違っている。
しかし……。
「おいおい、仮にもこの国の王子である俺を試すとは、随分と肝が太いようだな」
「……!」
クライスは、リガルの言葉に驚きの表情を見せる。
「ど、どういうことですか?」
2人のやりとりに、ついていけないレイは、小さな声でリガルに尋ねる。
それを受けて、リガルは声の大きさを落とさずに、敢えてクライスにも聞こえるように解説を始める。
「いいか? 確かに氷の魔道具が完成する保証はどこにもない。だからクライスは俺の出した条件に難色を示した」
「えぇ、本来殿下の言葉に逆らうなど度し難いことではありますが」
レイはそう頷きながら、クライスをチラリと睨む。
「まぁまぁ。で、話に戻るけど、これがもうすでにおかしいんだよ」
「?」
「つまり、俺の出した条件は、
「えぇ!? 確かに、氷の魔道具が完成したら、破格と言ってもいい条件かもしれませんけど、完成しなかったときのリスクも相手にはあるんですよ?」
そう、クライスにもリスクはちゃんとある。
だが……。
「では、レイに問題です。魔道具が完成しなかったときに、クライスが払うのは、一体どんな代償でしょうか?」
「え、それは、無意味に氷の魔道具の開発資金を払わなければいけないこと……。あ……!」
言いかけて、レイが途中で気が付く。
「そう、氷の魔道具の開発資金なんて、クライン商会の財力からしたら、大した痛手にはならない」
氷の魔道具を開発するための資金は、確かに一般人からしたら大金だ。
その費用は、ざっと計算して、王国金貨800枚と言ったところ。
このロドグリス王国金貨の価値は、1枚当たり日本円のおおよそ10000円ほどだ。
つまり、800万円。
個人からすれば、相当な大金だが、大企業からすれば
そんな少ない
「それってつまり、十分な報酬を貰っておいて、なおもがめつくそれ以上のものを要求しようとしたってことですか!?」
真実に気が付いたレイが、クライスを鋭く睨みつける。
しかし、クライスは柔和な笑みを浮かべたまま……。
「ちなみに、補足させておきますと、私にはリスクもありません。仮に魔道具の開発が失敗に終わろうとも、殿下とのパイプが手に入りますからね」
(なるほど。そこまでは頭が回らなかった。コネの重要性をよく知る、商人ならではの発想か)
クライスの補足に、心の中で素直に感心するリガル。
しかし、レイだけは穏やかではなかった。
「殿下に失礼を働いておいて、何笑ってるんですか!」
レイは激おこである。
「まぁまぁ、商人ってのはそういうもんだから。むしろ俺はこの度胸を褒めたいね」
そして、これを宥めるのがリガルの役目である。
「お褒めに預かり光栄ですね。殿下。これくらいやらないと、一代で成り上がることなんてできませんから」
そう、得意げにニヤリと笑うクライス。
いつの間にか、最初の頃の平身低頭な態度から一転、どこか不敵さを感じさせる態度に変わっている。
(これがこいつの本性か。ま、最初のめんどくさい態度よりもよっぽどいいけどな。にしても……)
「クライス商会長、あなたは本当に度胸があるよ。その舐めた態度。
本気で、クライスの身を案じたリガルだったが……。
「ははは、御心配には及びません。人を見る目には自信があるものですから」
飄々とした態度で、心配無用とばかりに応える。
リガルが、多少の無礼を許す人間であると見抜いたようだ。
最も、リガルが無礼者を処罰しないのは、別に心が広いから、などという訳ではないが。
「まぁいいが。それよりも、さっきの条件で受けるのか?」
無駄話は切り上げて、リガルが本題に戻す。
「えぇ、先の条件でお受けさせていただきましょう」
今度は、普通に受け入れるクライス。
仕掛けた罠を見破られたクライスに、これ以上策を弄するのは得策ではない。
「して、いくらの融資をお望みで?」
「そうだな……」
リガルは一度、思考を巡らす。
開発に必要な資金は、金貨800枚ほど。
本来ならその数字をそのまま言えば良いだけ。
だが……。
(別に怒っている訳ではないが、こいつは人を試すような舐めた態度を取ってきた。少し仕返しでもしてやるか)
「王国金貨1000枚だ」
堂々と、宣言するリガル。
クライスも、必要な資金がいくらかは、脳内で計算で来ているはずなので、少し無茶かと思ったが……。
「分かりました。用意しましょう? いつ用意すれば?」
それを即座に了承するクライス。
予想外の言葉に、リガルは驚いて目を丸くする。
「おいおい、本気か?」
「えぇ、先ほどのお詫びもかねて、少々色を付けて出資させていただきましょう」
それに金貨数百枚程度は端金ですから、と付け加えて、クライスは笑った。
お詫びの気持ちが無いことが丸分かりの台詞だが、その恐れを知らない態度に、リガルは怒る以前に苦笑いするしかなかった。
「まぁいい。そういうことなら、交渉成立だな」
「えぇ、しかし、いくら殿下と言えど、契約書にはサインをしていただきます」
そう言って、クライスは紙を取り出すと、さらさらと何かを書き始める。
内容は、口ぶりからして先ほどの契約内容だろう。
出された紅茶を飲みながら待つこと3分。
クライスが手を止めた。
「ここに殿下の署名をお願いします」
そう言って、契約書とペンとインクを渡してくる。
リガルは、渡された契約書に問題が無いかを確認すると……。
「いいだろう」
そう言って、自分の名前を書き記した。
この時、ついに日本にいたときの高崎想也の名を書こうとしてしまったのは内緒だ。
ちなみに、自分の書いた字が、クライスの物と比べてあまりに下手だったのが、すごく恥ずかしかったようで、リガルは赤面している。
「では、これで契約成立ですね」
「あぁ」
こうして、契約は結ばれた。
「そういえば、資金の方は、いつお渡しすればよろしいでしょうか?」
大仕事を見事こなして、安心して帰ろうとしていたリガルに、クライスが声を掛ける。
(おおっと、達成感に浸って、完全に頭から抜け落ちていた)
まだ、ミッションは終わっていないのだ。
リガルは再び気を引き締める。
「そうだな。今渡してもらおうか」
「い、今ですか!?」
思わず、驚きのあまりクライスも大きな声を出してしまう。
しかし、これはリガルにとって、冗談でも何でもない真剣な言葉だ。
「そうだ。俺はこういう立場である以上、あまり外を出歩くわけにもいかないしな。金貨1000枚なんて端金なんだろ?」
そう言って、リガルは挑発気味に笑う。
「ぐっ……。分かりました。すぐに用意いたしましょう。しばしお待ちいただけますか?」
「あぁ」
そう言って、今度はクライス自らが部屋を出る。
10分ほど経過しただろうか。
まだ来ないのかと、リガルが落ち着きを失い始めた時……。
「お待たせしました」
クライスが帰ってくる。
右手には、大きめの麻袋のようなものを持っていた。
中身は当然、金貨だろう。
見るだけでぎっしりと詰まっているのが分かる。
「ご確認ください」
「いや、クライス商会長のことは信用しているさ」
麻袋を渡されて、確認を頼まれたリガルだったが、その中身を見もせずに受け取る。
信用、などと耳障りのいい言葉だが、実際のところは、1000枚もの金貨を確認することが面倒だっただけである。
流石のクライスも、こういった商人としての信用の生命線で、騙したりはしないだろう。という読みもあるが。
リガルは、要は済んだと立ち上がるが、その瞬間もう一つだけやることが残っていたことを思いだす。
「それと。帰る前に頼みたいことがもう一つ」
「え……」
新たな頼みごとに、少し動揺を見せるクライス。
だが、リガルが頼もうとしていることは、そんな無茶なことではない。
「まぁそう恐れるな。紹介状を書いてもらいたいだけだよ。次来た時に、今日のように突っぱねられるのは勘弁だからな」
「な、なるほど。それならば、予備がありますよ」
そう言って、部屋の棚から紙を取り出してリガルに渡す。
(元々何枚か用意しておくのか)
紹介状と言ったら、その場で書いてくれるものだと思い込んでいたリガルは、感心した。
「では、今度こそ」
クライスから紹介状を受け取り、それを丸めて懐にしまい込むと、部屋の扉へ向かう。
「見送らせていただきます」
クライスも、後を追う。
こうして、リガルは魔道具の開発資金を手に入れることに成功した。
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