第105話 戦いの終わり
「王子っ!」
カルスが駆け寄ろうとするが、不用意に近づけないようだ。
目の前のウェイン王子はその場に倒れている。
見た目上の傷はない。
その口からドロリとした泥のようなものが吐き出された。
「うっ……がはっ!」
俺は剣を鞘に収めてウェイン王子に近づく。
そして、ウェイン王子が吐き出したものに目をやった。
どす黒い泥の塊だ。
日の光に照らされて泥は解けるように消えていった。
それがデスの骸だったのだと、なんとなく理解できた。
「……お、王子は無事なのか!?」
「はい、傷ひとつつけていませんよ」
それを聞いてカルスがウェイン王子に駆け寄り抱き起こした。
そこへ、アーシェたちもやってくる。
「シスン! ……勝ったんだよね?」
「ああ、破壊の神デスは死んだ。俺たちの勝ちだ」
アーシェが俺に飛びついた。
「つっ……! アーシェ!?」
「シスン、シスン……!」
「……アーシェ。心配かけたな。でも全部終わったよ。みんなで帰ろう」
「うん、うん……」
俺の胸の中でアーシェは泣いていた。
《ブレイブモード》を使用した影響で俺は疲れ切っていたので、なすがままだ。
アーシェの背中に手を回すことすらままならない。
彼女が今手を離せば、俺はそのまま倒れてしまうに違いなかった。
……あれ?
いつもなら、アーシェと争い俺に飛びついてくるはずのティアが黙っていた。
俺と目が合うと、
「今日ぐらいはアーシェに譲ってやろうと思うての。なんせ、ドラゴン化した主様を元に戻したのはアーシェじゃからの」
「は、はうぅ……!」
照れたように言った。
何故かそれを聞いたエステルが顔を赤らめて、明らかに動揺している。
なんだ?
俺は違和感を覚えた。
「じゃが、主様が元に戻ったのはよかったものの、その手段が気に食わん。アーシェにはあとでキツく言わねばならんのう。あと、公平を期すため、妾は主様にキッスする権利が発生したからの」
「ええっ!? そ、そそそそうなんですか!?」
またティアが勝手なことを言い始めた。
どうしてティアにそんな権利が発生するのか、いまいち把握できない。
エステルはそれを真に受けている。
「ちなみにエステルにはまだ早いからの」
「な、なんでですか!」
エステルがティアのメイド服の袖を引っ張りながら言う。
《識別眼》の酷使による後遺症を心配したが、これだけ動ければエステルの体も大丈夫だろう。
「ティア、さっきからいったい何の話をしてるんだ? エステルが困ってるじゃないか」
「……む? 何ってキッスの権利のことかの?」
「ああ。どうしてそんな話になるんだ?」
「不可抗力とはいえ、アーシェだけずるいじゃろ。平等を喫すため、妾もその権利を主張したまでじゃ」
「……?」
俺は意味がわからず首を傾げる。
「……俺がドラゴン化しているときに何かあったのか?」
「「「…………え?」」」
アーシェ、ティア、エステルが揃って目を見開いた。
俺を見上げるように顔を向けているアーシェが口をパクパクしている。
ん……なんだ?
マリーさんがため息をついて笑った。
「あの皆さん、シスンさんは覚えていらっしゃらないようですね」
「えっ!」
アーシェがまた驚いたような声をあげる。
「え、シスン……おぼえてないの?」
「なんの話だ? ごめん、よくわかってない。俺は何かを忘れているのか?」
「…………」
無言で俺から離れるアーシェ。
支えを失った俺は、地面に尻を打ちつけた。
「いってぇ……! な、なんだよアーシェ?」
「もう、知らないわよ」
な、なんだぁ?
それを見てマリーさんが口元を押さえながら吹き出すと、ティアは眉間を抑えて首を振り、エステルは苦笑いをしていた。
わけがわからないけど戦いは終わったし、まぁ……いいか。
俺は理解できないまま、周囲を見渡す。
周りには多くの冒険者の姿があった。
負傷している者が多い。
死者もいて、仲間の死に冒険者たちは素直に勝利を喜べないでいるようだ。
それだけ、今回の戦いは凄惨だったということだ。
「魔族め、厄介なモンスターを用意していたものだ」
そこへやって来たのは、カルスに肩を担がれたウェイン王子だった。
アルスもいる。
どうやら大事には至らなかったらしい。
「アルス、カルス、残る四天王と魔王を急ぎ討伐するぞ。これ以上戦いを長引かせるわけにはいかん」
「ウェイン王子、四天王のエドマンドとゲルビョルンは俺が倒しました。魔王もです」
「……なんだと?」
ウェイン王子が俺を怪訝そうな顔で見る。
「魔族は戦争に反対していた魔王復活抵抗派が平定して、事態も収束すると思います。ですから、俺たちが魔族と戦うことに意味なんてありません」
「貴様、王子に向かって意見するか!」
アルスが激高するが、それを止めたのはウェイン王子だった。
「本当に魔王を倒したのか?」
「はい。復活直後に倒しました」
それを聞いてウェイン王子は苦い顔をした。
俺が嘘を言うとは思っていないだろうし、これで戦争を止めてくれるといいんだが。
「くっ……! しかしだ、魔族が我々人間にとって危険な存在であることに変わりはない。やつらを駆逐せねば、真の平和など訪れない」
すると、冒険者たちを掻き分けて、重厚な鎧を纏った壮年の男がやって来た。
すぐうしろには五人の兵が付き従っている。
「王子、それは聞き捨てなりませんな」
男はウェイン王子に近づいて、アルスとカルスに目をやった。
「……マルスか」
マリーさんが、「あの方がシヴァール王国のマルス将軍です」と耳打ちしてくれる。
あれがマルス将軍……。
アルスとカルスの父親か。
「父上、あまりにも遅いではありませんか!」
「王子に危険が迫っていたというのに、兵を動かさないどころか父上まで高見の見物とはどういうことです!」
アルスとカルスがマルス将軍に詰め寄る。
「下がれ。私はウェイン王子と話をしている」
「アルス、カルス。言うとおりにしろ」
ウェイン王子はアルスたちを下がらせた。
「マルス、何か俺に言いたいことがあるようだな? 言ってみろ」
「僭越ながら申し上げます。シヴァール王国は国王を始め、第一王子、第二王子も魔族との戦争は望んでおりません。他の国もそうでしょう」
「ふん、何をいまさら。だったらどうしてこれほどの兵がここへ集まっている。これが戦争でなくて何だと言うのだ?」
「あくまでも復活間近とされていた魔王を討伐するためです。五十年前の魔族との戦争で、彼らの多くは魔王への恐怖から付き従っていたとわかっています。これは当時の【剣聖】とその仲間たちが証明しています。マリー、そうだな?」
マルス将軍はマリーさんに顔を向ける。
「はい。好戦的な魔族もいますが、大半は新たに組織された四天王に扇動されていたと思われます。それに、そのようなことは魔族に限らず人間やエルフ、ドワーフや他の国でも普通に起こりえることです」
「エルフが何を……!」
「王子、辺境の番人バジルからも詳しく事情を聞きました。王子にも言い分はあるでしょうが、あとは国へ帰ってから話をしましょう。国王も王子の帰りを待っておられます」
マルス将軍の話によると、集結した各国の軍は兵を退くという。
魔王討伐のためだけに組織されたというのは本当のようだ。
ウェイン王子は納得がいかないのか、マルス将軍を睨み続けている。
「帰りたければお前たちだけで帰るがいい。だが、俺の考えは変わらんぞ。魔族は危険な存在だ。俺はこれから魔族の街を順に潰していくだけだ。のちに世界中の者が俺の行動を称賛するだろう。行くぞ、お前たち」
「はっ」
アルスとカルスは付き従うが、マリーさんとゴリラスは動かなかった。
「……所詮はエルフか。まぁいい。ゴリラス、行くぞ」
「お、おでは……」
「王子、【拳聖】ゴリラスはあなたの玩具ではございませんぞ。彼は立派な戦士であり冒険者ですから、所属する冒険者ギルドひいてはシヴァール王国の国王の民です。ゴリラスの故郷の保証を盾に従えていたようですが、それも解決しております」
「……なに?」
「先代【剣聖】がいるイゴーリ村に村人全員が移住する手筈になっています。イゴーリ村は肥沃な土地が広がっています。ただ、そのせいで野盗に狙われることもありますので、狩りに秀でたゴリラスの村の者がいればその問題も解消されるでしょう。互いにとっていい関係になることは想像に難くないでしょう」
ゴリラスの故郷の村人が爺ちゃんや神父様のいるイゴーリ村に……。
それはいい考えだけど、一体誰が手を回したのか。
「くっ……! そうか、グレンデルだな? やつは先代【剣聖】の担当者だったからな」
そうか、グレンデルさんが爺ちゃんと話をまとめたのか。
「もういい。俺たち三人でも十分可能だ、行くぞアルス、カルス!」
「本当に行くのですか?」
「クドい! 俺の力だけでも魔族どもを根絶やしにするには十分過ぎるほどだ」
マルス将軍は眉間を抑える。
ウェイン王子の言うとおり、【勇者】の力があれば時間はかかるだろうが魔族の街を滅ぼすのは難しいことではないだろう。
だが、そんなことを許していいはずがない。
俺はゆっくりと立ち上がる。
まだ体の倦怠感は抜けていないが、少しぐらいなら体を動かせそうだ。
そして、ウェイン王子に向かって足を進める。
アーシェたちは黙って俺を見送った。
「む……、なんだおまえは。この話におまえは関係ない」
「王子の仰るとおりだ。貴様はたちは国へ帰ったあと、タダで済むと思うなよ?」
アルスが脅すように厳しい目を向けてくる。
「ウェイン王子、これ以上魔族には手を出させません」
「なんだと? シスン、おまえ誰に口を聞いている。国へ戻ればおまえの【剣聖】の職業を剥奪してやる。冒険者の資格も失うことになるだろう。身をもって知――」
言い終える前に、俺のパンチがウェイン王子の顔面に炸裂した。
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