1_リスペクトとトレースが似て非なる断定はできない ③

「大体の奴は、赤点があっても一、二科目でその科目の教科書だけを写せば済むレベルなのに、お前は更にノルマがあって大変だな。ま、本来留年だったところをノートを写すだけで進級させてくれた学校の優しさに深く感謝しながら真面目に学校生活を送れよ」

「ヲ前偉ッソウダナ。誰ニ向カッテ物申シテルンダ?」

「邦改の劣等生かつ問題児、平原圭にだけど。何か問題でも?」

 今日も今日とて、コイツは嫉妬心から俺にナメた口聞いてきやがるな。

「フ~、フルル~、落チ着ケ俺様。今ハソノ時デハ――ンンッ?」

 自分の心を静めていると、視界の端にとある人物が映った。

 永田大地を放置して、そいつの側まで移動する。

「ヲイ、ヲ前!」

「はい? あ、平原先輩」

 俺が声をかけたのは、一時的に平原軍団に入団していた元信者一年のうちの一人だ。

「この前の乱闘は残念でしたね」

 一年は苦笑いしながら先の乱闘を回顧かいこしているようだが、俺的にアレは未だに納得がいってない。

「ヲ前等ガ抜ケタセイダワ。腰抜ケ連中メ」

「代わりに平原先輩を反面教師にしたら、真面目に生きることの大切さに気づきました」

 まるで俺が真面目に生きてないみたいな言い草はよせ。

 お、そうだ。ひらめいた。

「ナラヴァ、ソノオ礼ヲシロ!」

「お礼、ですか?」

 教師の俺から学びがあったのなら、それ相応の対価がないとな。

「今俺ハ全科目ノ教科書ヲノートニ写シテイル。ソレヲ手伝エ」

 一年は俺がお礼の話を出してから怪訝けげんそうな表情をしていたが、お礼の内容を提示した瞬間に苦笑いを浮かべて後頭部に手を回した。

「いやぁきついっす。平原先輩のノルマを第三者が手伝うのは不真面目ですし、それに僕に何の得も――あ、そうだ」

「ナンダ?」

 一年は卑しい表情を浮かべて、

「空羽さんとデートできるなら、手伝います」

 とニヤつきながら答えやがった。

「人様ノ彼女トワンチャンアルトカ思ウンジャネーゾ!?」

 まったく、本当に失礼な奴だ。こんな無礼な輩、仮に自己退団してなくても遅かれ早かれ俺の方から破門にしてたわ。

「ちぇっ、残念だなぁ」

「横恋慕ノ方ガヨッポド不真面目ダワ」

 結局元信者を取り込むことは叶わなかった。

 仕方ないが、当面は新山と二人のマンパワーでどうにかノルマを潰していくしかない。


    ♪


 期末試験当日を迎えた朝。

 俺はエナジードリンクを摂取しつつ、教室でラストスパートをかけていた。

「サスガニ、三夜漬ケハシンドイゼ……」

 俺は人生で初めて三夜漬けした。

 更に言えば、人生で試験前にこれほど勉強したことはなかった。

「二年連続ノ仮進級ハデキナイカラヤムナシカ……」

 ウチの学校では仮進級は一回のみ。二度目はない。既に仮進級の切符を使ってしまった俺にあとはない。赤点を取ったら即留年が決まる。それは親に申し訳が立たない。

「私立ナンダシ、補習ニ参加シタラ赤点回避ニサセロヨナ」

 進学校でもないくせに、補習も再試験もしてくれないのは厳しいよな。ま、だからこそ俺はほぼ全科目赤点の大記録を打ち立てたんだけどな!

「公式ノ見直シヲスルカ」

 特に苦手な数学の教科書を開いて公式を三度脳に叩き込む。


『平原が真面目に勉強してる……』

『さすがの奴も、赤点は取りたくないんだろ』

『えー、大人しく留年しろよ』

『それもそれで、今の一年が来年可哀想なことになるんだよな』


 嫉妬にまみれたギャラリーどもは、通常営業で俺への怨嗟えんさを展開している。

「ヲ前等ヨォ。俺ヲ意識シテバカリイネェデ英単語ノ一ツデモ覚エロヤ」

「「「………………」」」

 ギャラリーどもは俺の正論を無視して教科書を眺めはじめた。

 ったく、何も言い返す気概もないなら、はじめから雑音を出すんじゃねえよ。


 朝のHRが終わり。

 かくして期末試験が幕を開けた。


 初っ端から苦手科目の数学だが、暗記した公式を当てはめれば、多少は解けそうだ!

「コレハアノ公式デ解ケルナアァ!!」

 すらすらと回答を答案用紙に記入していく。

「アッヒャアアアアァァーーーーッ!? シャー芯ガ折レチマッタァァァ!!」

 俺は苛立ちから自分の机をドンッと拳でぶっ叩いて叫んだ。

「平原、うるさいぞ。退室させられたいのか?」

「サーセン」

 試験官の教師に注意されてしまった。

 充実した夏休みを送るために、燃え尽きる覚悟で臨むぜ!


 こうして全科目の試験が終了。

 後日、試験が返却された。

 結果は――――


「ヨッッッシャアアア!! 中間ニ引キ続キ、全科目赤点回避ヲ達成シタゾ!!」


 達成感から、俺はガッツポーズを決める。

「平原、今回も頑張ったな。全科目30点台でギリギリだが、及第点は及第点だ。二学期以降も励め」

「ウィーーーーッス!」

 努力は実を結ぶってマジなんだな。こんなに優秀な成績を叩き出すことができるとは。

 教師は素直に関心しており、クラスメイトどもも「あの平原が……」とかなり動揺していた。

 頑張った甲斐があったってもんだ。非常にすっきりした気分だ。

 俺の心は、窓から広がる青空と同じくらいに晴れ渡っていた。


    ♪


「……カラノ教科書写シノ地獄ハ終ワリガ見エナイ!」

 期末試験の余韻に浸る暇もなく、次なる試練が俺を待ち構えている。

「こっちの指もいい感じにボロボロになってきたぜ。悲鳴を上げてら」

「ヲ前ハ悲鳴バカリノ男ダナ。女々シイ奴メ」

「そうは言うけど、ペンだこはマジで痛いぞ」

「ペンノ持チ方ヲ矯正シロヤ」

 期末試験は終わったが、裏を返せば教科書写しのノルマも期限が近いということ。期末試験の勉強で進捗がストップしていたため、今まで以上のハイペースで進めないと間に合わない。

 無心で! 無の心で!

「腕が違う意味で鳴りそう。主に骨が」

「写シガ全テ終ワッタラガタガタ言ワセテヤッカラ今ハ集中シロ」

「骨をガタガタ……? 不穏さしか感じないんだわ」


 とにかく日々図書館に籠城ろうじょうして教科書を写す。

 俺も新山もどうにかなりそうなくらいに右手を使う。

 そんな日が続き、終業式が明日に迫った時。


「ミッション、コンプリートオオオオオォォォォォ!!」

「終わったーーっ!!」


 地獄のトレース作業、完遂。

「イヤハヤ、アトハコレヲ提出シテノルマ達成ダ」

「地獄を味わったぜ。もう二度とごめんだわ」

 新山もそうだが、俺も非常に憔悴しょうすいした。拳同士のぶつかり合いの方が断然楽だと思えるレベルだった。

 テスト期間だけならまだしも、それ以前もその後も睡眠時間を大幅に削っての作業だったからな。

 揚げ句の果てにテスト期間以外は普通に部活もある。部活、勉強、ノート写し。高校生にはもう少し青春に捧げる時間を与えてくれてもいいのではないか。

 だが、それもおしまい。貴重な人生経験だったと思うことにしよう。

 期末試験も教科書写しも滞りなく終わったことだし、打ち上げでもするか。

「ヨシ、打チ上ゲスッカ」

「いいね。どこ行く?」

「ドコモ行カネェヨ。ココデ指相撲ヲ決行スル」

「……はぁ?」

 打ち上げの提案に新山は唖然あぜんとしているが、俺はそんなのお構いなしに右手をスタンバイする。

「負傷した手で指相撲とか、正気の沙汰じゃないよ」

 言いつつ、新山も右手を出して指相撲ができる状態にする。

「コノ数週間、ズット頑張ッテクレタ右手ヘノ労イノ意味ヲ込メテ――勝負ナリッ!」

「うおおおおーーーーっ!!」

 俺と新山で親指を動かすことしばし。


「痛タタタタタタタタタタタタッタッタヌキノタックル!!」

「指が痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」


 指の痛みで二人とも指相撲の体勢を速攻で解除した。

「労いどころか悪化したわ! ペンだこプラス腱鞘炎けんしょうえんで手は満身創痍まんしんそういです!」

「打チ上ガッタノハ痛ミダッタヨウダナ」

「上手いこと言ったつもりだろうけど、これっぽっちも上手くないからな!?」


「――――またあなたたちですか! 静かにしろと何回言えば……! よっぽど出禁にされたいようですねっ……?」

 鬼の形相ぎょうそうでカミナリを落とす女性司書に俺と新山はひたすら土下座した。


 今になって思うと、なぜ打ち上げで指相撲をしようと考えたのか。

 その時の俺はきっと、疲労で頭の回転が鈍くなっていたんだろうな。


 俺の留年危機が一旦回避された代償として、俺と新山はペンだこと腱鞘炎けんしょうえんになったのだった。

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