第57話 ダボンヌ製糸工場のマリー

「そう、名前はイクゾーと仰るの。では私もマリーとだけ名乗っておきますわ」


 高級レストランといった趣の店の二階の奥まった静かな席に座り、注文を終えたところで俺から名乗った。ただし、名前だけで苗字は伏せた。この異世界でフルネームを言うと、荒井戸幾蔵あれいど・いくぞうがアレー・ド・イクゾーになって貴族と勘違いされてしまうのだ。今は潜入捜査中なのでそれを避けたかった。

 

「マリーさんですか。あなたに良くお似合いです」

「お世辞は結構ですわ。それよりも、お話の続きをしましょう」

「続きと言いますと?」

「私から何を訊き出したくて近づいてきたのかしら?」

 やはり、おとぼけは通用しないか。

 俺が本当に話を聞きたかったのは不幸な少女たちからなんだが。

 とりま、予定変更してこの女から情報を得ることにしよう。


「ガッカリさせると思いますので食事の後にしませんか?」

「いいえ、このままだと消化に悪いので先に聞かせてもらいますわ」

「分かりました。でも聞いた途端にため息をつかないで下さいね」

「貴方次第ですわね」

 細いフレームのインテリ眼鏡の奥でパープルアイが鋭く光った。

 ふざけたことを言ったらお仕置きされそうなオーラが出てる。


「実は僕、ダボンヌ製糸工場に転職しようと考えていまして」

 バッグの中から署長にもらった新聞を取り出してテーブルに置き、該当する求人欄を人差し指でトントンと叩いてみせた。

「それで?」

 え、この女、意外と察しが悪いな。頭が良さそうな秘書風のルックスなのに。

「面接を受ける前に、工場で働いている方から内情を聞きたかったんです」

「就職前のリサーチというわけですわね」

「はい、ぜひ教えて頂けませんか」

「具体的にどんなことをお知りになりたいのかしら?」

 マリーの表情から硬さが薄れ、その分、好奇の色が増した。

 どうやら、俺に少しは興味を持ってくれたようだ。


「まず、社長のビル・ダボンヌ氏のことが知りたいです」

「あら、最初にそこをお聞きになるのね」

「おかしいでしょうか」

「そうね。普通はまず待遇面や勤務形態を聞かれることがほとんどよ」 

 おっと、怪しまれたかな。

 だが、このぐらいは想定内。いくらでも修正がきく。


「会社のトップの方の人となりや経営理念は大事だと考えていますから」

「意識がお高くて結構なことですわ」

「ありがとうございます」

 お礼を言いながら、じゃあ教えてくださいと目で訴えた。

「社長はダボンヌ製糸工場を一代で築いた偉大な創業者よ」

 何も知らない新成人を食い物にしといて偉大もクソもないだろうに。

「ただ、既に高齢で満足に会社の経営が出来なくなっているわ」

 んん、じゃあ誰が工場を切り盛りしてるんだ。

「社長の甥と工場長が舵取りをしているのが現状よ」

 となると、黒幕はビルじゃなくてそいつらの可能性があるな。


「そのお二人はどんな方なんでしょうか?」

「俗物だわ」

 マリーが吐き捨てるように言ったのでちょっと驚いた。

 うーむ、相当嫌ってるようだな。これはチャンス来たかも!

 よし、本題を切り出してみよう・・・


「実は工場のある噂を聞いて気になっていました」

「あら、どんな噂かしら」

 口元は笑っているが、両目は細められ眼光に敵意がにじんだ。

「田舎から出てきた何も知らない若者たちを悪条件で働かせているとか」

「まぁ、そんな酷い噂があったなんて初めて知りましたわ」 

 よく言うよ。内部にいるアンタが知らないわけだろ。


「事実無根ということですか?」

「私の口からは何も言えませんわ」

 あぁ、部外者に下手なことを言ってクビされたらかなわんってことか。

 いくら社長の甥と工場長が嫌いだからって自分の生活を犠牲にできんわな。

「申し訳ありません。配慮に欠ける質問をしてしまいました」

 俺は工場にいるはずの薄幸の美少女を救いに来たんだ。

 さらに不幸な美魔女まで作るわけにはイカン。ここは引いておこう。


「・・・仮に、事実だったら貴方はどうするおつもりなのかしら?」

 あれれ、俺が引いたらマリーが押してきたぞ。

 やはり、劣悪な労働条件で搾取されている少年少女たちに同情はしてるんだろうな。悪い人間には見えないし、言動はむしろ良識派だ。賭けてみるか。


「救い出します」

 

「貴方の様な新成人になったばかりの坊やがどうやって救うというの?」

 年齢はまだ言ってないんだが、幼く見える容姿をディスられたようだ。

 ま、ガキみたいな俺がこんな大言壮語を吐いたんだから仕方ないわ。

 それよりも何とかしてこの女を味方につけないと。

「それはまだ言えません。ですが・・・」

 あなたの出方次第ですよ、と目で熱く語り返事を待つ。

 マリーは俺の目を覗き込みながらしばらく考えると、納得のいく答えを出したようだ。そして、初めて俺に笑顔と優しい目を向けてこう言った。


「貴方のお話次第では、私もご協力させて戴きますわ」


 釣れたっ!!

 よーしよしよし、美魔女の良心に賭けて大正解だったな。

 あとはマリーが納得する現実味のある救済案を俺が提示すればいい。


「実はダボンヌ製糸工場に転職という話は嘘でした。申し訳ありません」

「それは分かっていましたわ」

 ニコリと微笑み、謝罪は不要だと表情で伝えてきた。美しい。

「僕はこれからいくつかの事業を起こす予定です」

「転職するのは貴方ではなく工場で不当に働かされている若者ということね」

 話が早くて助かる。アンタやっぱり賢いじゃないか。

「その通りです」

 俺もニッコリと無邪気に笑い返した。これは上手く行きそう予感。


「具体的な事業計画をお聞きしたいですわ」

「ウェラウニの町はご存じですよね」

「アトレバテスの北にあるベッドタウンですわね」

「そこで今、町おこしの計画が進んでいるのですが、僕は町長の相談役として実質的な運営者になります」

「そうでしたか。しかし、それだけでは心許ないのではないかしら」

 これだけで納得してもらえるとは俺も思っちゃいないさ。


「町長は冒険者ギルドのマスターも兼任していまして、この度、若手冒険者たちの為の訓練施設を作ることにしました。その建設・運営も僕が担当しますので、多くのスタッフを雇用する予定なのです」

 これでどうだ。

 働く環境は真新しい施設だし、同じ若者たちを相手に汗を流す仕事だ。

 待遇だってちゃんと実績に応じて上げてやるしボーナスも出すぞ。

 これほどの条件はなかなか無いはずだ。どやっ。

 

「都会から離れたくない若者も多くいましてよ」

 そうきたかー。

 だがな、その点も既に対策済みなんだよ。

「ここアトレバテスにバランスボールを販売する会社を設立します。僕が今日この街に来たのはゴム職人に開発依頼をする為だったんですよ」 

 ふふふ、これでもう俺の話に乗るしかあるまい。

 さあ、覚悟を決めて不幸な美少女たちを俺に紹介するんだ!


「口だけではなく、受け入れ態勢のことを確りとお考えだったようですわね」

「もちろんです。他人の人生を左右しようというのですから」

「ただ、私には絵に描いた餅としか思えませんの」

「そこは僕を信用していただくしかありません」

 さすがに慎重だな。ギルマスみたいに簡単に丸め込めないか。

 

「何か貴方という人間を信じるに足る保証はおありですの?」

 そう言われても困る。

 赤の他人を信用させる担保なんて今の俺には無い・・・あっ!

 アレがあったな。

 ちょうど場所も良い。ここで使わせてもらうか。

「分かりました。僕の身分を明かしましょう」

「あら、ついにフルネームを教えて戴けるのかしら」

 そうだ。聞いて驚け。そして俺に従え。


「僕の名前は荒井戸幾蔵あれいど・いくぞう、東の島国ジャパンの貴族です」


「アレー・ド・イクゾー、それが本名で貴族だと仰るのですか・・・!?」

 その顔が見たかった!

 体が固まり目を見開いて驚いてるわい。ハハハ、愉快愉快。

 だが、次第に嘘でしょって感じの疑いの眼差しになってきたな。

 ここはキッチリと念を押してとどめを差しておかねば。


「アトレバテス南署の署長の立会いのもとでグロリア司祭の神判を受けました。僕の身分をお疑いなら問い合わせてみてください」


「・・・アレー様、とお呼びするべきかしら」

「いえ、これまでのまま、イクゾーでお願いします」

「お忍びでの活動といったところなのね、イクゾー君」

「善行は人知れずするものですから」

 ま、これは善行 with 巨乳美少女という煩悩だらけの偽善だけどな。


「ご立派ですわ。さすがは貴族様でございます。感服致しました」

「おおっ、それでは僕にご協力していただけますか」

 これで決まったな。あとは俺好みの美少女を選抜するだけだ。ムフ

「それは出来かねます」

 ・・・は? 何で? この流れでどうしてそうなる?

 俺のプレゼンは完璧だったろ。

 どこにも穴なんて無かったはずだ。なのにどうして。ホワ~イ?


「ど、どういうことでしょうか?」

 笑顔がひくついてしまうのは当たり前だと思うんだ。

「貴方のご要望には応えられないということですわ。アレー・ド・イクゾー様」

「何故? どうしてですか?」

 エマと同じパープル・アイが妖しく光り、ピンクの唇が嘲笑を形どる。

 そしてマリーはとても愉快そうに隠していたフルネームを教えてくれた。


「だって私の名前はダボンヌ、マリー・ダボンヌですもの」

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