第85話 遠回り

 雨が降っている――――

 空が灰色のベールに覆われ、まるで街全体が泣いているように。

 その雨の中を傘も差さずに歩く少女がいた。


 その少女の左目じりには小さなホクロがあった。

 雨に濡れるのもいとわず、ずぶ濡れのまま歩いている彼女の表情は、諦観ていかんにも似た空虚さが漂っていた――――



 大山天音は優等生だった。

 親や先生の言いつけを守り、準備や片付けなどの仕事は率先して行い、困っている人には手を差し伸べる。絵に描いたような優等生だ。

 真面目で一生懸命、人の為に何かをする、自己犠牲、それらは美徳だと思っていた。


 ある時、天音は恋に落ちた。

 初めてのカレと初めての恋、そして誘われるがままにホテルに行き初めてを捧げた。

 だが、その男には他に彼女がいて、天音はカラダ目当ての遊びだったのだ。


 打ちひしがれる天音を、優しく慰め相談に乗ってくれた先輩がいた。

 しかし、その彼も天音のカラダ目当ての男だった。


 全てを悟ったかのような気持ちになった天音は、雨に濡れながらさ迷い歩いた。



 あの、雨の日の事を忘れない――

 真面目で一生懸命? 人の為に?

 真面目な人や優しい人は搾取さくしゅされるだけだ。

 悪い人やズルい人が得をしている。

 搾取されるのが嫌なら、搾取する側になれば良い。


 ――――――――





 今日は平和だ――――

 春近がアリスに相談したところ、ルリたちのエチエチ攻撃がピタリと止んだのだ。どうやっているのかは不明だが、アリスの忠告で皆の過激な行動が抑えられるのだった。

 もう春近は、アリス大明神様と呼んで崇めたいくらいなのだ。



「あの、ルリさんや、そんなにウズウズしないでよ」

 春近が言うように、ルリが抱きつきたくてウズウズと体を小刻みに動かしている。


「だって、私はいつでもハルとくっついていたいのに」

「そ、そういうのは後で……授業はちゃんと受けないと」


 そこに咲も参加する。


「ハル、アタシにも後でサービスしろよな」

「そ、それも後で……」

「後っていつだよ! アタシとのイチャイチャが足りないぞ」


 咲も毎日イチャイチャを要求してくる。


「もうっ、ハルが島を買って、そこに皆で住めば解決なのに」

 南の島でハーレムを主張するルリ。


「そんな金はねぇ!」


「まさに鬼ヶ島ですね!」

 桃太郎みたいな話をするのが杏子だ。



「ハル君!」


 その一言で、まるでなぎ状態の海を穿つように、ルリ達の心にさざ波を引き起こした。

 声の主である天音は、ボディータッチしながら、とびきりの笑顔を春近に向けてくる。


「もう、ハル君に会えなくて寂しかったんだぞっ」

 まるで恋人同士が会えなくて寂しかったような自然な雰囲気を作り出している。


「あ、天音さん……おはようございます」

 昨日のこともあり、春近は少しぎこちなくなってしまう。


「あ、天音ちゃん……おはよう……」


 ルリが少し警戒する。

 自分が捕まっていいる時に仲良くしてもらったのには感謝しているのだが、天音だけは『ハルをつまみ食いしちゃおうか発言』から要警戒なのだ。


「皆もおはよぉ。あっ、そうそう、ハル君、今度遊びに行こうよぉ」


 咲の乙女レーダーがビンビンと反応した。

 この女はヤベぇ、地雷臭がすると……


 杏子は何故かテンションが上がった。

 これは、NTRフラグの予感だと。


「じゃあ、ハル君、また後でねっ」

 天音は小さな嵐を起こしたまま去って行く。



「えっと……何?」

 皆の疑惑の目に気付いた春近が口を開く。


「あやしい……」

「ハル、また浮気か……?」

「御主人様、NTRですね!」


 皆、勝手に盛り上がっている。


「違うからっ! 何もしてないよ。あと杏子、NTRなんて用語を使ってはいけません。良い子が真似しちゃうでしょ」




 美人で均整の取れたモデル体形、成績も優秀でスポーツ万能、性格も優しくいつも笑顔を絶やさない。一見完璧に見える大山天音だが、一つだけ足りないものがあった。

 それは、男を見る目だ。

 いつもダメ男や悪い男に引っ掛かって、残念な結果になってしまう。

 一つの欠点が、まるで他の全てを台無しにしているように。


 ――――――――






「ハル君っ!」

「うわっ!」


 放課後の廊下を歩いていた春近が、突然声を掛けられてビックリする。

 思わず『出たっ!』っと叫びそうになって、慌てて引っ込めた。


「ハル君、こっちこっち」

 天音に引っ張られて空き教室に連れ込まれる。

 

「ちょっと天音さん、昨日も言ったじゃないですか。そういうのは止めた方が……」

「だって、キミの事気に入っちゃったんだもん」


 何故だろう、何か違和感が有る――


 天音の雰囲気に、春近は何か違和感を感じた。


 やっぱり何か違和感あるよな。

 今までも無理やり迫ってくる女子はいたけど、天音さんは何かが違っているような?

 ルリのように無邪気に欲求をぶつけてくる子とも、渚様のように猪突猛進に激しい愛情表現を向けてくる子とも違う。何か無理しているような気がするんだよな……。

 ハッキリとは分からないのだけど。


「ハル君、ヒドいぞっ! 私がこんなにしてるのに」


 天音は一気に距離を詰め、春近の胸に手を置いてきた。

 そして、制服のブラウスのボタンを外し、スカートを降ろしてしまう。


「あ、天音さん……」

「良いのよ、好きにしても……」


 セクシーなレースのランジェリーから胸の谷間が見え、髪からはシャンプーの良い香りが漂ってきてクラクラしてしまう。

 少し透けた下着から伸びるスベスベの脚を、春近の股間に潜り込ませて密着させる。


「ほら、もう……こんなに……」


 脚を前後に動かし刺激しながら、手で胸板や首筋を撫でている。

 凄いテクニックで、春近は気が遠くなりそうだ。


「天音さん……ダメですよ……」

「もうっ、ハル君ってマジメだなぁ。気持ちよくなっちゃって良いんだよっ」


 胸板を撫でていた手が徐々に下に移動して敏感な部分を刺激し始めた。



 ダメだ、気持ち良過ぎる――

 一瞬だけ快感に身を委ねそうになる春近だが、頭にルリたちの笑顔が浮かんで思い留まる。


 そうだ! オレはルリたちの気持ちを受け止めると決めたんだ。一時の快楽に負けて裏切るようなことはできない!

 オレは誓ったんだ!




「ダメです!」

 春近は天音を引き放して距離を取った。


「前にも言ったじゃないですか。こういうのは好きな相手とするって」


「でも……興奮してたくせに……どうせやりたいんでしょ!」


「それは……否定しません。で、でも、男が皆、女のカラダ目当てだと思わないで下さい! そりゃ、天音さんみたいな魅力的な人に迫られたら、誰もがしたくなっちゃうのかもしれないけど……。でも、気持ちとか愛とか、そういうものも大事だと思います。」


「ハル君はバカだな……マジメで優しい……でも、マジメな人や優しい人は損をするよ。優しい人は搾取さくしゅされ続けて擦り減ってしまうのだから……」


「えっ……」


 天音さんが何の事を言っているのか分からない。

 でも、確かに良い人は損をする……それは分かる気がする。

 昔からクラスの狡賢ずるがしこいヤツらは、オレみたいなマジメな陰キャに嫌な仕事を押し付けて、楽をして良い所だけ取って行った。

 それで損をしたことは数え切れないほど有る。


 社会でもそうだ。詐欺師や汚職で金を儲けるヤツらが得をして、真面目に働いている人は貧乏なままだ。

 でも……それでも……。


「確かに……マジメで優しい人は損をします……。でも、それでも、悪いことやズルいことをして得をするより、たとえ損をしても優しい人やマジメな人が多い世界になって欲しいから。だからオレはバカであり続けますよ。バカなままでも優しい人と一緒にいたい」


 帰ろうとして扉まで行った春近だが、天音が心配になって振り返る。

 天音は、いつもの笑顔が消え、陰りの有る表情になって項垂うなだれれていた。


「……くせに……」


「えっ?」

 天音が何か言いかけたが、小声で春近には聞こえなかった。


「私の事、汚れてるとか汚いって思ってるんでしょ! そうだよ、キミみたいなドーテー君は、私のような中古は汚れてるからイヤなんでしょ!」


「汚れてなんかない!!」


「っ…………」


「天音さんは汚くなんかない! 何でそんなこと言うの……。天音さんは綺麗だ! どこも汚れてなんかない!」


「だって……私は……」


「天音さんは汚くなんかないです。とても綺麗で優しい人です。だって、ルリが捕まっている時も優しくしてくれたんでしょ。呪いで逆らえなかったのに、栞子さんを殺さないよう手加減してくれたとも聞きました。それに……オレは過去なんか気にしない。今の天音さんは凄く綺麗です」


「うっ、ううっ……」

 天音の瞳が溢れる涙で煌く。


「ううぅ……泣きたくなんかなかったのに……。春近君のバカぁ……ううっ」


 ガバッ!

 天音は慌てて春近の胸に顔を当て、涙が見えないようにする。


「天音さん……」

「ううっ、うううっ……」


 そうだ……私は、その言葉が欲しかったんだ――

 誰かに『汚くない』って言って欲しかったんだ……。

 何でこんな事をしていたんだろ。

 随分遠回りをしちゃったな。


 もっと早く……彼に出会えていれば……。

 いや、もっともっと早く……。

 初めてが彼だったのなら良かったのに。


 ――――――――――――





 天音と和沙は、再び昼休みの屋上で景色を眺めていた。


「私……本気になっちゃったかも……」

 天音が突然切り出した。


「は、おい、やめろよ。問題起こすなよな」


「だって……しょうがないじゃない。好きになっちゃったんだもん……しょうがないよね」


「はああっ……なんでアイツなんだ」


「私って……男を見る目無いかな?」


「あのハーレム王を選ぶくらいだから無いんじゃね」


「ふふふっ」

「ははっ」


 秋も近づき、何処までも続くような雲一つ無い澄み切った空を見ながら、いつまでも二人は笑い合っていた――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る