第53話 全てを捧ぐ

 雨が降る中を一人の少女が歩いている。

 背が低く小柄で、長く艶やかで美しい黒髪をしていた。

 髪の先が雨で湿っているのが逆にその美しさを際立たせ、動く度にハラリと肩に流れる黒いシルクには、誰もが視線を奪われそうだ。


 そして、綺麗な柄の傘をさして歩く姿は、まるで絵画のような雰囲気を漂わせ、立ち止まっていれば繊細に作られた人形のような容姿をしていた。


梅雨つゆですか……」



 百鬼アリスは空を見上げる。

 その顔は、以前の他人を拒絶するようなものではなく、彼女が本来持っていたはずの誰もが惹きつけられるであろう表情だ。


 教室に入ると阿久良忍が近寄ってきた。

「あ、あの、おはよう」

 心配そうな顔をして恐る恐る声をかけている。


「おはようです」


 アリスが挨拶を返すと、忍の長い前髪の隙間から優しそうな笑顔が見えた。

 こんな何気ないクラスメイトとの会話が、アリスには新鮮で嬉しかった。



 病院では特に異常も無く検査入院である。陰陽庁に関連する病院であり、アリスの情報から医師も看護師も彼女を怖がり怯えていた。


 その光景をアリスは面白いと思っていた。


 ふふっ……

 あれが普通なのです。

 鬼を怖がらないハレンチ君が変なのです――――


 ――――――――




 休み時間になると、忍と一緒にアリスが春近のクラスにやってきた。


「色々と世話になったです」

 そう言ってアリスが軽く頭を下げた。


「百鬼さん、無事で良かった」

 春近が応える。


「わたしは大丈夫です。それより暴走した呪力の中に飛び込んでくるのは自殺行為です」

「えっと、あの時は無我夢中で……」



 笑って呑気に話をする春近に、アリスは色々と考えていた。


 この男が無事で本当に良かったです。

 それにしても、酒吞瑠璃が……わたしを怪我させたのを気にしているのだろうか……?

 いや、気にしているのは、この男の事か……?

 彼女も春近を助けようとして、わたしの呪力を止める為にやったのだろう。

 そういう意味では、わたしも彼女も同じだったわけなのです――



「まあ、でも酒吞かハレンチかどちらかのおかげで、わたしの周囲に展開していた呪力が壊れたのには感謝しているのです」


 二人に対して礼を言うアリス。どのような原理か分からないが、厄介な呪力磁場が消えたのには感謝しているのだ。


「あと……ハレンチ君がわたしを狙ってるのは分かっているのです。今日は覚悟を決めてきたので、好きにしろや……です」

 そう言ってアリスが春近の膝の上にちょこんと座る。


「え、え、えっっ!」

 当然、春近は動揺する。


「な、何でも好きにしろやです」

「何でもとかダメだからぁぁぁぁーっ!」


 膝の上にのる軽くて小さいアリスの体に、春近は益々動揺してしまっていた。


「やっぱりかーっ! これ、何度目だよ!」


 咲の言葉を皮切りに、一同が何度目か分からない同じリアクションをした。


 ――――――――






 そして、放課後――――

 春近はアリスに連れられ校舎内にある和室に来ていた。

 普段は使わない校舎の奥にある場所だ。



「学園内にこんな部屋があったんだ」

 室内を見回しながら春近が言った。


「元は茶道部や華道部が使っていたけど、今は廃部になって誰も使っていないです。今なら誰も来ないから、ヤりほうだいです!」


「えっ?」

 アリスの発言に、春近が聞き返す。

 ん、今……何か変な言葉が聞こえた気がしたけど……気のせいかな?


 そんな疑問には答えず、アリスは話しを進めた。


「その辺に座れです」

「う、うん」


 春近が壁際に座ると、何故かアリスは脚の間に座って、春近の方に体を預けてきた。

 そのまま、もたれ掛るように密着させ体重を乗せる。

 彼女のシルクのように綺麗な黒髪がハラハラと体に当たり、気持ち良いようなくすぐったいような不思議な感覚になった。


「んっ………………」

 そのままアリスは黙ってしまった。


「あの……百鬼さん?」

「苗字は好きじゃないのです……名前で呼べやです……」

「じゃあ……アリス……」

「うむ」


 呼び方は気に入ったらしい。

 しかし、この状況に春近の頭が付いて行かない。

 アリスの体が小っちゃいので、何だか分からないが背徳的な気分になってしまう春近なのだ。


「あ、あの、アリス?」

「さっきも言ったけど、好きにしろです。でも、あまり変態すぎるのはダメです」


 完全に良い雰囲気になっているのに、春近はまだ混乱している。


 アリス、どうしちゃたんだ?

 前まで、あんなにオレの事を嫌ってたはずなのに……。


「あの、アリス? どうしちゃったの?」

「ううっ……」


 アリスは一旦離れ、畳に寝転び仰向けになって目をつぶった。


「今日はハレンチをしても良いです。何しても構わないと言っているのです」


「何しても良いとか言われても……。いきなりそんなこと。アリス……もっと自分を大切にしないと」


 スタッ!


 アリスは立ち上がり春近の方を向いた。

 その顔は少し怒っているように見える。


「むううっ、むっきぃぃっ! こっちは、ハレンチ君のおかげで厄介な呪力が漏れなくなったし。あの時は危険を顧みずわたしを助けようとしてくれて、ちょっと良いなとか思っちゃったし。おかげで友達もできたし。毎回エッチなことばかり見せつけられてムラムラするし。だから全て身を任せようと思ったのです!」


 アリスはマシンガンのように怒涛どとうの言葉が出てきて止まらなくなった。


「せっかく覚悟を決めて来たのです! いつもハレンチな事ばかりしているくせに、肝心な時にはヘタれて何もしないとか最低です! 女のわたしに恥をかかせましたね! もう、最低の最悪です!」


 バタバタ、バタバタ!

 ジタバタと手足を振っている。


「ちょっと、アリス落ち着いて」

「これが落ち着いていられますか! これでは、わたしがバカみたいです! うわぁっ!」

「危ない!」


 勢いよく足を上げたアリスが滑って倒れそうになる。そこを春近がギリギリで掴んで抱きとめた。

 偶然にも、二人は抱き合う形になる。


 春近の胸の鼓動が激しくなる。


 あ、アリスの体が小さくて、強く抱けば壊れてしまいそうだ。

 彼女の体温と鼓動が伝わってくる。

 温かい……


 春近は、微かにアリスの体が震えているのに気付く。

 強がっているけど、本当は怖いのだろうかと。



「あの、アリス……。そんなに急がなくても、こういうのはもっとお互いを知って親密になってからの方が良いと思うよ」

 ぎゅっと抱きしめたまま、春近はそう囁いた。


「んっ、しかたがないです。もうちょっと待ってやるです」

「うん……」


 二人は、そのまましばらく抱き合ってから、どちらともなく離れて一緒に部屋を出て行った。

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