第41話




 一睡も出来ないまま夜が明けた。

 あれから三人共一言も口をきかなかった。膝を抱えて炎を睨んで夜を過ごした。

 空が白むと、秘色は洞穴の外に出て、辺りの様子を窺った。

 よく一人で外に出られるものだとときわは思った。昨夜あんなことがあったというのに。

 ああ、しかし今日はまたこの森を歩かなくてはいけない。あの恐ろしい生き物がひそむこの森を、無防備なまま進んでいかなくてはならない。それを思い、ときわはあらためて寒気がした。出来ることなら、このままこの洞穴にいたいくらいだ。

 だが、戻って来た秘色は早速ときわの尻を叩いた。

「ほら立って。日の高いうちに森を抜けちゃうわよ」  

 日が昇った途端、秘色の元気も回復したようだ。口調が明るくなっている。

(どういう神経をしているんだ)

 ときわは横目で秘色を睨んだ。だが、彼女はそんなことにはおかまいなしで、

「明るいうちはあの化け物も出てこないわ。さっさと抜けるわよ。こんな薄気味悪い森」

「でも、この森を抜けたって、次の林にもまた何か化け物がいるに決まっているよっ。こんな化け物だらけの世界、もう嫌だよっ」

 ときわは頭を抱えた。

「でも……」

 秘色が何か言おうと口を開いたのと同時に、それまで隅にうずくまっていたかきわが立ち上がった。

「ど、どこへ行くの?」

 そのまま洞穴を出ていこうとするかきわを、ときわは慌てて呼び止めた。かきわは振り返りもせずに言った。

「ぐえるげるの森へ行く」

 かきわの口調は静かに落ち着いていたが、どこか暗い響きがあった。

「緋色は俺にトハノスメラミコトをみつけてほしがっていたから。それに、この森でもう一晩過ごすのは御免だ」

 そう言って出ていこうとしたかきわを、今度は秘色が呼び止める。

「待ちなさいよ。あんた一人でどうやってぐえるげるの森へ行くつもり? 運良く林を抜けられたとしても山で遭難するのがオチよ。森までの道のりは巫女しか知らないんだから」

 かきわは振り返って秘色を見た。

「何が言いたい? 」

「あたしが案内してあげるわよ」

 ときわは驚いて秘色を見上げた。

「ぐえるげるの森までは一緒に行ってあげるわ。ただし、途中であんたが何かに襲われても助けないわよ」

 かきわはふんっと鼻を鳴らして口角を吊り上げた。

「何たくらんでやがる」

「あんたがいたほうがこの子が安心するみたいだから」

 秘色はそう言ってときわを見下ろした。ときわはぎくりとした。

「本当ならあんたなんか道に迷おうが何しようが知ったことじゃないんだけどね。ときわがこの世界に慣れるまではあんたがいたほうがいいみたい」

「そいつのために俺を利用するってわけだ」

「そうよ。あたしはときわの巫女だもの」

 きっぱりとそう言い放つ秘色を見て、かきわはほんの少し眉根を寄せた。

「巫女っていうのは、俺達のためにそんなになんでもしなくちゃいけねえもんなのか」

 ごく短い間をおいて、秘色はこっくり頷いた。そして、かきわの握り締める朱色の鈴を指差して言った。

「その鈴は巫女だけに与えられる不思議な力を持つ鈴よ。持ち主に危険が迫った時、一度だけ助けてくれるの」  

 ときわはかきわの手の中の鈴を見た。あざやかな朱のきれいな鈴だが、そんなにすごい力があるとはとても思えなかった。

「緋色は、その鈴を自分のためには使わなかった。かきわの巫女として最も誇り高い死に方をしたのよ。あたしだって同じ。あたしの命もこの鈴も、ときわのためにあるのだもの」

 そう言うと、秘色は振り返ってときわににっこり笑いかけた。

「だから、心配しなくて大丈夫よ。あたしが守ってみせるから」

 秘色はあっけに取られているときわに手を差し出した。

「行きましょう。ぐえるげるの森へ」

 これ以上怖い目にあうのは御免だ。けれども二人の言うように、このままここにいてもどうしようもないことはときわにもわかっていた。

(進むしか、ないのかもしれない)

 ときわはしぶしぶ秘色の手を取り立ち上がった。

 ふと見ると、かきわは手の中の鈴を悲しげにみつめていた。

「俺の周りの人は、みんな死んじまう」

 鈴をみつめたまま、かきわはぽつりと呟いた。


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