(4)


 ★私


 お茶会と言ってもテーブルに並んでいるのは、オレンジジュースやアップルジュース、それにコーラやサイダーといったソフトドリンクだ。月に一回、公民館で行なわれるこの集まりには、町内の子どもたちが数多く参加していた。


 私はチョコレートのたっぷりかかったクッキーをつまみ上げて一つ口に頬張る。


「摩耶ちゃん、そのクッキー好きだね」


「あまくて美味しいよ、食べる?」


 私はもう一つクッキーを摘んで、隣に座る男の子の口元へと運んだ。彼は恥ずかしそうに周りをきょろきょろと見渡してから、パクっと私の指にかぶりつく。照れて頬を赤くしながら、彼はニッコリと笑みを浮かべた。


「美味しい!」


「でしょー」


 私は彼のそういう顔を見るのが大好きだった。小学校が違うから彼と会えるのは、このお茶会の時だけ。私は毎回、彼の隣に座るようにしていた。沢山お話がしたいから。このドキドキと弾む胸の高鳴りが恋というものなのだと思う。


「摩耶ちゃんって、普段は何してるの?」


「本を読むのが好き」


「小説?」


「うーん。小説も読むけど、好きなのは絵本かなぁ。私もいつか自分で描ければいいなぁって思うの」


「すごいね! 摩耶ちゃんって絵が得意なんだ!」


「へへー、すごいでしょ!」


「描いて見せてよ!」


「いいよー」


 テーブルの上にあった折り紙の裏に、私はボールペンで花の絵を描いて見せた。「本物みたいだ!」と彼は驚く。


 彼と会えるこのお茶会が私は大好きだった。



 ☆私


 人を写すガラスとは鏡のことだろうと思った。どうやら御伽の国では鏡というものが一般敵に認識されていないらしい。認識していないものについて訊ねても無意味だと思い、私はアリスの義母に掛けられた良からぬ噂話の方を訊ねる。


「アリスの義母は、事件か何かの被害にあったの?」


「どうして?」


「だって、そういうニュアンスだったでしょ?」


「うーん。僕も詳しくは知らないんだ。本人に直接聞くわけにもいかないでしょ。それにあくまで噂だからね」


 噂だからと言われてしまうとそれまでだけど。火のないところに煙は出ない。悪意という団扇で仰がれたせいで立ち昇った煙だろうけど。何かしらきっかけになるような出来事はあったんだろうと思った。


 気の強そうな彼女の発言を振り返って見る。


「町を追い出されたなんて言われていたけど、丘の上に住んでいるのは旦那さんの家だからなんじゃないの?」


「旦那さんの家というのは間違っていないよ。けど、購入したのが彼だったというだけで、結婚を気に二人であそこへ越したんだ。旦那さんは町の中心街出身だし、兵士だったから、お金に困ってるわけじゃなかった。だから、町を追い出されたかどうかは別として、彼女の発言に矛盾はないよ」


「つまりわざわざ町を出た理由が分からないのね」


「そうだね。どういうわけで実家を出たのか分からない。それにアリスをあのタイミングで養子として迎え入れたことも」


 突然、町を出て丘の上の家へと移り住んだ。町に住みづらくなったか、本当に追い出されたのか。恐らく前者だろう。追い出されたのなら、昼間働きに戻ることすら憚られるはずだし、旦那さんが兵士を続ける理由もないはずだ。


 となると、アリスの義母の身に起きたことはなんとなく想像できる。汚れた身体だと人が指をさしそうなことはそれほど多くないから。金の為か無理やりか。無理やり犯された結果、子どもが出来なくなったと仮定すると話の筋は通るんじゃないだろうか。それでアリスを養子に取ったと。


 けど、無理やりならば、被害者のことを周りは悪く言うものだろうか。自分への問いかけの答えは「言うだろう」だった。卑劣で意地汚い部分を人間は持っているものだ。


 私が中学生だった頃、クラスに馴染めなかった私に苛立ちを覚えたのか、一人の女生徒が私をイジメの対象にした。気の強そうな彼女と同じく、同調圧力の凄まじい子でクラスの殆どがそれを注意することも出来ずに、イジメられる私をただじっと見つめていた。


 担任がそのことに気がついたのは、イジメがはじまって程なくしてだ。職員室へと呼び出された私は担任から掛けられた言葉に耳を疑った。


「もう少しコミュニケーション能力を高めなさい。そうすればイジメられることもなくなる」


 まさか私自身の問題だったらしい。無論、私に何一つ落ち度が無かったと言うつもりはない。担任の指摘の通り、他のクラスメイトよりも私は内向的で、他人に対して友好的な態度を取っていなかった。それが反感をかったとするなら。それを理解した上で改善しようとしなかった私にも落ち度はあるはずだ。けど、人と接することを苦にしないように務めるべきだという指導の是非はともかくとして、あの時の私は紛れもない被害者だったことに変わりはない。


 この時、私は気がついたのだ。同調圧力だと思っていたものは、単純な共通認識によるものだと。みんな薄々思っていたのだ、「あの子は暗いからイジメられても仕方がない」と。私の耳に届いていないだけで、みんながそんな噂をしていたんじゃないかと思う。それからすぐにイジメに飽きたのか、はたまた担任がちゃんと注意をしてくれたのかは定かではないが、イジメの被害はブームのようにあっさり去っていった。


 誰かが悪意の危険に晒された時、人はその人がその被害に合うべき人間かどうかを見極めようとする。私はクラスメイトに好意を抱かれていなかったから、被害に合うべき人間だ、と思われて仕方ないとも言えるが、本当に恐ろしいのは嫉妬心がこの判断に影響を与えてしまうことだろう。


 脳裏に過ぎったのは、摩耶のことだった。彼女が金の為に身体を売っていると知れば、みんなはどういう反応を示すだろうか。「素直で人懐っこくいい子で綺麗だったあの子が、身体を売るなんて」と同情の声が上がるだろうか。私の耳に聞こえてきたのは、「ざまあみろ」という薄汚れた誰かの声だった。


 素直でいい子に生きるというのは同時に敵を作る危険性も孕んでいる。アリスの義母がそうだったかは分からないけど。だが、人から嫌われる理由なんて、いくらでも考えられるのだ。



 ★人さらい


 兵士たちが城の警備をサボって無駄話をしていたのは、雲に隠れ、月の出ていない薄暗い夜のことだった。まさか、当直でもないこんな真夜中に私がいるとは思わなかったのだろう。背後から咳払いをすると、三人は慌てた様子でその場に居直った。


「申し訳ありません」


 甲冑の音を鳴らして、三人は深く頭を下げた。篝火の灯に輪郭の曖昧な影が揺れる。喋っていたことを激しく責め立てるつもりはない。真夜中の警備は眠気もあるだろうし、敵国が良からぬ策略を練っているという情報もないから、基本的には暇な職務だ。もちろん、油断はしてはいけないのだが。だけど、寝てしまわないよう程々に会話をすることは目を瞑るつもりだった。


「こんな夜中にどうされたんですか?」


「眠れなくてな。少し考えることが増えたせいだろう」


「敵国との情勢はそれほど悪いのですか?」


「そうだな。直ぐというわけではないが。向こうだって、それを望んでるわけじゃないはずだ。だが、時期に戦争になるだろう。それは避けれそうにない」


「そうですか。戦争などないに越したことは無いのですが、仕方ありませんね」


 兵士の一人には家族がいるらしい。最近、初子が生まれたばかりだと教えてくれた。可愛らしい男の子だという。


「心配はするな。私がいる限り鬼のような所業はしないさ。志願が無い限り、家族がいる者は出兵を遅らせるつもりだ」


「ですが、それでは不平等になります」


「そうかもしれないな。だが、子どもや妻を置いて戦場へと向かうことほど辛く苦しいことはない」


「兵士として使えている以上、有事の時の覚悟は出来ています」


「それは分かっている。誰もが同じだけ覚悟をしているさ。守りたいものがあるから武器を取るんだ。だが、この国にいて護衛をする、それもまた重要で危険な任務の一つ。敵の国の命を狩るだけが守ることじゃない。それに子どもというのは国の最大の財産だ」


 兵士の言う通り、出来れば戦争など起きないに越したことはない。生半可な考えだと笑われることだろう。だが、それは本来あるべき真っ当な願いだ。それを失うわけにはいかない。


 上手く話をつけさえ出来れば、血を流すことなどなく終えることだって可能なはず。この国が、今のような一方的な要求を繰り返さなければだが。


「隊長は存外優しい人なんですね」


 別の兵士が呟く。うかつな発言だと思ったのか、彼はとっさに口元を塞いだ。


「いや、優しくはないさ。ぬるいだけだ」


 本当は非情な采配をしなくてはいけない。もちろん、然るべき時にはそうするつもりだ。子どもや妻を残して武器を取れ、という命令を私は下さなくてはいけない。想像をすれば胸が痛む。だが、それ以上に戦場へと向かう兵士の胸は傷んでいるはずだ。


 兵士たちは押し黙ってしまった。それもそのはずだ。上司が卑下すれば、否定も肯定も出来ない。私はとっさに話題を先程までの三人の無駄話へと切り替えた。


「さっきは何を話していたんだ?」


「獣の袖引きの話です」と初子が生まれたという兵士が答える。


「それもまた悩ましい問題だな」


 だが、真面目に兵士たちが事件の話をしていたわけでないはずだ。暇な警備中に推理を働かせるほど、お喋りをしていた三人が仕事熱心には思えない。


「何か面白い噂でもあったか?」


「それがですね、」


 もうひとりの兵士が答えてくれた。「うさぎが出るらしいです」


「うさぎ?」


「そうです。そいつが人の袖を引いていると」


「随分、可愛らしい獣だな」


 噂話ならもっと凶暴な獣を用意すればいいものを。狼が若い女の肉を求めて夜な夜な徘徊しているという話の方が、納得がいく。

 

「噂ですからね。それに面白い噂ならまだ」


「まだあるのか?」


「隊長も意外と噂好きですか? 人さらいが起きているのはいつも舞踏会の夜だって話ですよ」


 細かい事件の日付は報告の遅れなどを鑑みて、推理の条件から外してしまっていた。起きているのは、週末の前後ではあるので、舞踏会の日と重なるというのは強ち間違いではない。もちろん、噂側が辻褄を合わせにきているだけなのかもしれないが。


 けれど、噂というのは存外頼りになるものでもある。


 初子が生まれた兵士が、「この誘拐事件も謎のままですね」とボヤいた。


「いや、直にうさぎの正体を掴むさ」


 舞踏会の日は多くの人が外出をする。その混乱に乗じて犯行に及ぶ可能性は低くはないはずだ。

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