16

レイラが中庭で日課であるラズベリーの木へ水やりをしていると、すっとブノワトが現れた。



「お手伝い致します、お嬢様」


「あら、ブノワト。ありがとう」



ブノワトはきれいな子だった。

黒い髪に鮮やかなオレンジの瞳。勝ち気な目元がすごく伯爵令嬢らしい。



「でもねブノワト、わたくしの専属はマリーだから、マリーに任せてくれればいいのよ」



にこり、とレイラが笑みを向けると、ブノワトははっと伸ばしかけた手を止めた。


「す、すみません…!」


「いいのよ」


ブノワトが立ち去ると、近くにいた他のメイドが小さく口を開く。



「新人が立場もわきまえないでお嬢様のお世話だなんて、差し出がましい真似を…」


「いいのよ、そんな風に言わないで。ブノワトもわからないことが多いはずだわ、教えてあげてね」


「っ、お嬢様…!お耳を汚してしまい申し訳ございません!」



使用人の世界もなかなか複雑だ。

ましてやブノワトのように御令嬢として育った子には苦労が多いだろう。


レイラは「仲良くしてあげてね」とメイドに微笑みかけて、さて、と顔を上げた。



「わたくしのかわいい侍女はどこに行ったのかしら?」



マリーは先日無事に執事学校に入学した。

いまはノアとブノワトと毎朝一緒に通学している。


マリーが学校に行っている間、レイラも家庭教師がついて勉強している。一日のタイムスケジュールは以前とあまり変わらないのだけれど、ふとしたときにマリーの姿が見えないとすこし寂しい。


レイラもやっぱりマリーが好きなのだ。



「マリー、ここにいたの?」


「お嬢様!」



マリーは厨房にいた。片手には料理長のお手製のフルーツティー。以前と逆ね、と思えば、なんだかおかしかった。


「探したわよ。帰ったら一番にわたくしのところに来てくれなきゃ嫌よ」


「お嬢様…」


マリーはぎゅっとグラスを握って俯く。むぐむぐと言葉を飲み込むように唇を食んでいて、なにかしら?とレイラは首を傾げた。


目があった料理長も筋骨隆々な肩を竦める。



マリーは学校に通い出してからなんだかすこし元気がない。

以前嘆いていた通りレイラと離れたくないということなのだろうが、それだけが理由とも思えなかった。



「マリー、わたくしも一緒にいいかしら?」



レイラの申し出は料理長によって断られてしまった。

「フルーツティーは持っていっていいから、厨房でやるな」と二人揃ってつまみ出された。これからディナーの仕込みをしないといけないらしい。


「マリーと二人でお茶するのは、なんだかずいぶん久しぶりね」


「お嬢様…」


マリーはさっきから同じことしか言っていない。なのに不思議と思っていることが伝わってくる。レイラはマリーとの絆を感じていた。



「レイラ」



二人で廊下を歩いていると、玄関ホールの方から現れたルチアーノに声をかけられた。一歩後ろにはブノワトがいる。どうやらここまでルチアーノを案内してくれたらしい。



「レイラ!…と、ルチアーノ様?」



さらにその後ろからトマまでやって来た。


レイラは侍女マリーと顔を見合わせて、フルーツティーのピッチャーを抱えたまま、行き先をサンルームへと変更した。



「申し訳ございません。お嬢様にこのようなことを…」


「いいのよ。もともと自分達で飲むつもりだったんだし」



テーブルにピッチャーを置くと、そっとマリーが謝ってきた。顔を合わせてから「お嬢様」以外の言葉がまず謝罪だったことに苦笑しか浮かばない。


マリーもいっしょにどう?と誘ったが断られてしまった。ルチアーノもいるので仕方がない。



「今日はどうしたんですの?」


「ああ、レイラに会いに来たんだ。…はじめて飲むお茶だな」


「フルーツティーです。わたくしのお気に入りですわ」



レイラのお気に入りと聞いて、ルチアーノはすこし嬉しそうだった。


令嬢に出すものではないと料理長に渋られるくらいなので、本当はルチアーノにすすめるのも失礼なのだろう。


「オレもはじめて飲む」


「でしょうね」


レイラはトマの言葉に短く返した。

マリーとの時間を邪魔されたようで気が立っていたのだろう。



「ブノワト、あなたはもういいわよ。マリーがいるから」



追い立てるようにブノワトに退出を命じて、いつものようにマリーを側に控えさせる。

これが普段のゆめかわお茶会なら、マリーも席についているのに。



「見ない顔だな?」


「地方伯爵の四女なんだ。執事学校に通うためにモンタールド家で預かってるんです」


「伯爵家の四女が執事学校?それはまた…」



トマの短い説明で、ルチアーノは十分ブノワトの現状を理解したらしい。



「それより今日はレイラにこれを」



ルチアーノはにっこり笑ってベルベットの平たい箱を取り出す。



「まあルチアーノ様の御髪みたいに素敵な箱」


「箱を褒めないでほしいな。開けて?」



箱の中にはいくつものダイヤが使われた見事なネックレスが鎮座していた。



「わ、なんて立派な…!」



レイラは目を丸くさせた。公爵家の御子息からとはいえ、なんでもない日にもらうプレゼントとしては立派すぎる。


ルチアーノは照れたように笑う。



「侯爵令嬢相手なら、これくらいのものを用意しないとと言われて…」



宝石商にですか?

ルチアーノ様、完全に唆されていますわね…。



流行のデザインではあるし、品質も間違いない。けれど『私』の記憶を思い出す前ならともかく、いまのレイラの趣味とはかなりかけ離れている。


ゴージャスかわいいを飛び越えているのよねぇ…。


ルチアーノはレイラの誕生日パーティーから、なぜか贈り物に精を出していた。

レイラはもらう度に申し訳ない顔を見せるのだが、ルチアーノにはまったく伝わらない。お返しにも困るのだ。そして返すとまた戻ってくる。



「ありがとうございます。でも、これをつけるのは、もっと何年かしてからかしら」


「え、あ、そう?そう、か…」



レイラの言葉にルチアーノは頬を赤らめる。

どうやら喜んでくれたらしい。…なぜかしら。



「トマはなんの用だったの?声かけてくれたでしょう?」


「え?えー…と」



トマはちらちらとルチアーノを横目で気にしている。


なんだ?とレイラとルチアーノが揃って首を傾げると、トマは諦めたように深くため息をついた。


そうして取り出したのは、飾りひとつないただの紙の箱だった。

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