第43話 急襲。
「やれやれ、今日は色々な意味で疲れたな……」
ピスケシオス邸から帰る馬車の中、リヒターは小さく呟く。
何しろヘルミーナの攻撃に普段の倍耐えたのだ、それに要した集中は普段の倍では効かない。
消耗した魔力と合わせれば、重い疲労となってリヒターにのしかかってくる。
あの後、ヘルミーナに色々嫌みを言われながらもお茶を頂き、例のアイスクリームとやらも頂いた。
確かに言われるだけのものがあり、彼が自らの不明をメルツェデス達に詫びる一幕もあったりしたが、概ね楽しく有意義と言って差し支えない。
「あれが噂のメルツェデス嬢か……なるほど、フランツィスカ嬢達が贔屓にするのもわかるというものだ」
実は、お茶会に出るようになったメルツェデスだが、そのお茶会は限定的で、女性のみが参加するお茶会にだけ、だった。
男性も参加するお茶会では、どこでジークフリートやエデゥアルドなどの攻略対象に遭遇するかわからない。
今現時点の関係であれば断罪対象の可能性は低いのだが、念には念を入れて、のことだ。
何しろクリストファーから「お茶会でジークフリート殿下やエドゥアルド殿下から、姉さんが来てないのか聞かれました」と幾度か言われている。
そのため、どこでどんな縁が、フラグが、ルートが繋がるかわかったものではない、と避けているのだ。
……まあそれも、来年の王立学園入学までなのだが。
ともあれ、それだけ攻略対象との接触を回避していたのだから、リヒターも当然初対面。
そして初対面の彼女が残した印象は、なんとも独特で鮮烈だった。
何しろ伯爵令嬢でありながらこんな新機軸のお菓子を提唱するかと思えば、噂に違わぬ身のこなしを見せるのだから。
「今日ばかりは、ミーナに感謝かな……と?」
若干うつらうつらとしていたリヒターの感覚に、何か違和感があった。
その次の瞬間。
強い炸裂音と共に、馬車の周囲がいきなり撒き散らされた煙りで包まれる。
「何だ、何事だ!」
「お待ちくださいリヒター様、まずは私が確認を!」
同乗していた従者がそう言って扉へと向かうと、その向こうから護衛の騎士が扉を押さえた。
「開けるな! この煙はっ、眠り、ぐす、り……」
そこまで必死に告げた彼は、ずるずると崩れ落ちていく。
屈強な、肉体的にはもちろん、魔術的な抵抗訓練も受けているはずの騎士があっさりと落ちてしまうだけの眠り薬など、リヒターも聞いたことがない。
そして、いかに公爵家の馬車といえども、完全に密封されているわけではないとなれば、いずれこの中にも煙は侵入してくる。
「くそっ、こんな煙、普段ならば……」
普段のリヒターであれば、この程度の煙を風で払うなど造作もないこと。
しかし、ヘルミーナとの魔術合戦の後枯渇した今では、とてもそんな風は起こせそうにない。
歯噛みしている間に、どうやら護衛の騎士達は全員倒れ伏したらしい。
扉は従者が押さえていたのだが、窓までは手が回らなかった。
ガシャン、とあっけなく窓ガラスが割られ、そこから手が差し込まれる。
と、その手が玉のようなものを落とせば、そこから広がる煙。
せめて吸い込まないように、と呼吸を我慢するが、それにも限界がある。
ならばと自分の顔の周りだけは風を送り、少しでも眠りに落ちるまでの時間を稼ごうとした。
それが、功を奏したと言えばそう、なのだろうか。
「……へっ、風使いで有名な公爵令息様だが、風一つ起こせないらしい。
どうやらボスの言った通り、魔力がもうないみてぇだな」
狼藉者の、そんな声が聞こえてくる。
『ボス……? そのボスは、なぜそんなことを知っていた……?』
どうにか誤魔化していたのも限界が来て、ついに煙を吸い込んでしまったリヒターは、薄れ行く思考の中で、そんなことを考えていた。
「ヘルミーナお嬢様、お手紙が届いております」
「私に? 随分と珍しい」
お茶会の終わった後の夕刻、自室で椅子に座って本を読み寛いでいたヘルミーナは、メイドが差し出してきた手紙を小首を傾げながらも受け取る。
あるいは今日のお茶会に対してのメルツェデス達からの手紙か、とも思ったが、流石に先程帰途に付いたばかりの彼女達が送れるわけもない。
となれば、ろくに心当たりはないのだが、と訝しげに封を開ける。
内容に目を通した途端、ヘルミーナの眉間に皺が寄った。
「あの大口叩き、何やってるの……」
ぼそりと呟くヘルミーナの迫力に、長く彼女の側仕えをしているメイドすら、びくっと身を竦める。
そこまでの不機嫌オーラを背負いながら、ヘルミーナは顎に手を当てて考えることしばし。
不意にメイドの方を振り仰いだ。
「……確か今日、お父様は諸侯会議で遅くなるよね?」
「は、はい、そう記憶しておりますが……」
「そう、ありがとう」
普段ならばピスケシオス侯爵とて帰宅していてもおかしくない時間だが、今日は会議の後食事会もあると聞いている。
であれば、帰りは深夜。
この手紙に書いてある刻限には間に合わない。
王城へと使いを出すのも、恐らく見張られているからできはしない。
「……もうしばらくしたら、出かける。供はいらない。むしろ、ついてきてはだめ」
「はい? え、ちょ、ちょっとお嬢様、それは流石にできませんよ!?」
侯爵令嬢が、夜にもなろうという時刻に一人で出歩くなど、到底許されることではない。
慌てて止めようとするメイドに、ヘルミーナは首を振って見せる。
「ええと……そう、知り合いの馬車が迎えに来るから」
「その知り合いってどなたですか、お聴きしないと安心できません!」
などと抗議されながらも、ヘルミーナは最終的には押し切った。
何しろ、受け取った手紙にはこう書かれていたのだ。
『お前の婚約者の身柄を預かった。こいつの命が惜しければ、一人で来い。半刻後、門前に迎えの馬車をよこす』と。
彼の命が惜しいか惜しくないか、で言えば、残念ながら、むかつくが、惜しいと言わざるを得ない。
彼女とあれだけやり合えるのだ、今後も実験台として確保しておきたいのだから。
だからと言って、彼女一人で行ってどうなるものか、と言われれば、それもわからない。
それでも。
行かねば、確実に彼の命は失われる。それは、少しばかり惜しかったのだ。
だからヘルミーナは、無謀とわかっていても一人招きに応じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます