第42話 冷たい裁き。

「くそっ、くそっ!」


 荒れ狂う氷の嵐に対抗する暴風のような結界の中、誰にも聞かれないのをいいことに口汚い言葉を幾度も繰り返すリヒター。

 罵り、あるいはぼやきながら、それでも集中を維持して結界を張り直し、立て直す。いや、立て直そうとする。

 それでも、自分の中に残ったどこか冷静な部分が告げてくる。

 もう限界が近い、と。

 嵐の向こうに見えるヘルミーナは、表情こそ焦れて余裕の無いものだが、その魔力はまだまだ健在。

 このままでは、またいつものようにこちらの魔力が尽きて負けてしまう。

 

 それではだめだ、だめなのだ。


 家同士で決められた婚約者だから、ヘルミーナのことを特段愛しているだとかそんな感情は無い。

 しかし、彼女の才能には敬意を持っている。持たざるを得ないとも言える。

 彼自身が優れた才能を持つだけに、それを遙かに凌駕する彼女の能力は、もはや国の宝と言っていいものだ。

 それなのに、彼女はその力を己のエゴのためにしか使わない。

 

 それでは『魔術と人の調和』を提唱するエデリブラの家へと迎えるには難がありすぎるし、何より勿体ない。

 彼女には、何か大きなことができるはず。

 そう感じるからこそ、彼女とこうして魔術合戦を繰り返し、何とか諫める機会をと考えていた。

 だが、どうやらそれは今回も無理らしい。

 

 諦めの感情に支配され掛かった彼の視界に、ふと、何か見慣れぬ者が飛び込んで来たのは、その時だった。




「まったく、ほんとに、諦めが、悪いっ!」


 渦巻く嵐が立てる轟音の中、ヘルミーナもまた口汚く罵っていた。

 魔術師として一線で働く大人の魔術師にも匹敵する、むしろ凌駕することも多い彼女が、それでも楽に倒せない唯一の同年代。

 その彼は、今もまだ、これだけ押されていながらもなお、挫けていない。

 それが、どうにも癪に障る。


 親同士で決められた婚約者である彼に対して、どうという気持ちも最初はなかった。

 彼女からすれば、大体の人間は詰まらない人間でしかなかったから。

 だが、幸か不幸か、彼は違った。

 魔術的な知識はもちろん、実践においても優秀な彼は、時にヘルミーナを凌ぐ発想を見せる。


 今もそうだ、こうして彼女が考えもしなかった防壁で彼女の氷の嵐を打ち砕いている。

 元々相性的には風属性の方が有利。受けに回るよりは攻撃に出た方が魔力を有効に使えるのは確かだ。

 だが、それで互いに攻撃魔法を打ち合っても、ヘルミーナの魔力が属性相性に勝り、打ち勝ってきた。

 そこで攻撃を防御に使うというこの発想。

 これにより、普段の倍の時間耐えられ、ヘルミーナの魔力もそれだけ使わされている。

 それが、癪に障って仕方ない。


 なぜそう感じるのか考えたことも無いが、とにかく癪に障るし、勝つことはできるからそれを抑えることもできた。

 今も、彼はどうやら限界を迎えそうになっている。

 ならばとどめを、と詠唱すべく口を開いた時だった。


「はい、そこまで」

「もがっ」


 この轟音の中、それでも何故か聞き取れた柔らかくも凜とした声。

 次の瞬間、開いた口に突き入れられた冷たい感触に、ヘルミーナは思わず妙な声を漏らしてしまう。

 ついで感じられる甘酸っぱい味に、思わずその突き入れられた棒状のそれをペロペロと舐めて確かめた。


 これは、オレンジシャーベット。

 そう見当を付ければ、身体は反射的にそれを求め、シャクリという小気味良い音とともにそれを囓り折った。


「あら、良い食べっぷり。もう一口いかがです?」


 そう言いながらメルツェデスが勧めてくれば、考えるまでもなくカシカシと口が動く。


 落ち着いて見れば、口に入れられているのは、オレンジ色をした棒状のもの。

 先程まで食べていたオレンジシャーベットに棒を刺し棒状に固めた、つまりアイスキャンディーだった。


 それを食べれば当然詠唱も途切れ、吹き荒れていた氷の嵐は静まっていく。

 後には、飛び散った氷の欠片で荒れ果てた訓練場と、両膝に手を衝いてなんとか身体を支えながらもまだ立っているリヒターがいた。

 その光景に、しかし先程までのような焦燥を感じないのは、氷の冷たさのせいだろうか、それとも甘さのせいだろうか。


「ふふ、どうやら頭も冷えたようで、何よりですわ」


 見透かしたかのようなメルツェデスの言葉に、むぅ、と眉を寄せながら、鬱憤を晴らすかのようにガシガシと最後まで食べきってしまえば、ヘルミーナは口を尖らせた。


「……なんで邪魔したの」

「どう見ても勝負ありでしたからね、これ以上は無意味でしょう?」


 剣呑な視線を向けたつもりだったのだが、メルツェデスは涼しい顔。

 この程度では怯まないのか、冷たく甘い氷で頭が冷えた自分を見透かされたのか。

 どちらにしても面白くなくて、尖った口は戻らない。


「別に審判は頼んでないし、勝負に水を差すのはどうかと思う」

「あら、わたくし『勝手振る舞い』を許されておりますから。お気に召しませんでしたら、ご免あそばせ?」


 武門の家であるメルツェデスには効くかと思った言葉に返されたのは鮮やかな笑顔と、前髪をかきあげて見せた『天下御免』の向こう傷。

 勝手に暴れていたのがこちらなら、勝手に止めたのがあちら。

 実際に止められてしまった身としては、止められた自分が未熟だったのだと言えばそうなのだろう。


「はあ……もう、一体どうやってここまで来たの」


 何しろ、氷の嵐が荒れ狂う激しい打ち合いの最中。

 嵐の中心地ではなかったが、ヘルミーナの周辺もそれなりに氷の塊や破片が飛び交っていたはずだ。

 メルツェデスは涼しい顔でそこにいる。

 ……いや、よく見れば着ているドレスの端々が切れているのが見て取れた。


「どうやって、って、普通に歩いて」

「……どう考えても普通じゃないでしょう、それは」

「まあほら、私も水属性ですから、水や氷に対してはそれなりに防御もできますし?」


 などと嘯いているし、恐らくいくらかは結界か何かで防ぎはしたのだろう。

 けれど、大半は避けてここまで来たのだ、メルツェデスは。

 どれだけの反射神経と運動能力があればそれができるのか、ヘルミーナには想像もつかない。

 

「まったく……このお菓子も、いつの間に作っていたの」

「お話をしている間に、メイドのハンナが作ってくれましたの。

 まだありますし、魔力も使ったことですから、お茶を再開しませんか?」


 そう言って手を差し伸べられれば、苦笑しながらも拒むことができない。

 身体は糖分を求めていたし、心は落とし所を求めていた。


「仕方ない、ここはメルツェデス様に預けよう」

「そう言って頂けて嬉しいですわ。では、参りましょう?」


 はぁ、と小さくため息を吐けば、ヘルミーナは差し出された手を取った。

 くすりと微笑んだメルツェデスがフランツィスカ達の待つ方へと向き直ったところで、リヒターへとも顔を向ける。


「エデリブラ様もご一緒にいかがです? 疲れた時には甘い物が一番ですわよ?」


 少し離れた場所で様子を見ていたリヒターは、驚いたような顔になり、ついでやはり苦笑を返した。

 彼の位置からは、流れるような動きで氷の破片を避けながらヘルミーナへと接近したメルツェデスの動きがよく見えていたのだが、その直後に何でも無いような顔で誘われれば、苦笑以外できないだろう。


「お誘いありがとうございます、喜んでご一緒させていただきますよ」


 そう返しながら、膝と背中に力を入れてぐいっと身体を起こし背筋を伸ばす。

 若干悔しそうなヘルミーナの顔が見えたから、見栄を張った甲斐もあっただろうか。

 魔力が尽きかけて重い身体に鞭を入れつつ、リヒターはそんなことを考えながら中庭へと向かって歩き出した。

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