第40話 婚約者、のはず。

「ああ……これは、至福……」


 早速アイスを一口頬張ったヘルミーナは、プルプルと震えながら、ほぉ、とため息を吐いた。

 純粋な氷に近いシャーベットと違い、アイスクリームは乳脂肪を含んで固まったもの。

 その舌触りは冷たくも柔らかく、牛乳と卵、それに砂糖が加わった独特の甘い味わいは優しくも濃厚だ。

 初めて味わう感動にしばし打ち震えたヘルミーナは、はっと我に返ると猛然と食べ始める。

 

 流石にそこまではしたない食べ方はしないが、エレーナもスプーンの動きは普段の彼女達からすればかなり速い。

 一人フランツィスカは、じっくりじっくり、味わうように丁寧に食べていた。


「……メル、このアイスクリームの作り方、後でもう一度教えてもらえるかしら」

「ええ、もちろん。ふふ、フランのお口にも合ったみたいで良かったわ」

「合ったどころか、これはもう、革命的よ。なんとしてもうちのシェフにも覚えさせないと……」


 噛みしめるように、フランツィスカは呟く。

 恐らくこのアイスクリームは、今後の社交界において一世を風靡する。

 であれば、エルタウルス公爵家として遅れを取るわけにはいかないのは言うまでもない。

 フランツィスカの呟きに、エレーナもハッと顔を上げた。


「メル、私にも教えてもらえる?」

「もちろん。フランに教えてエレンに教えない、なんてことはできないわ」


 メルツェデスが快く応じれば、エレーナはほっと胸をなで下ろす。

 そして、ちらりとフランツィスカを見やれば、バチリと二人の視線がぶつかり合った。

 今となっては親友と言ってもいい二人だが、派閥の違う公爵家の令嬢として譲れないものはある。

 例えば物珍しいお菓子のレシピ。あるいはメルツェデスからの親愛。

 いや、後者に派閥は関係ないが。

 ともあれ、公爵令嬢として一人の乙女として先んじかけたフランツィスカに、そうはさせじとエレーナが食いついた形だ。

 残念ながら、二人が視線でやりあっているところを、仲が良いなぁとメルツェデスは解釈しているのだが。


 そんな和やかに不穏な空気に割って入るように、ヘルミーナが小さく呻き声を上げた。


「くぅっ……おなかが、痛い……っ」


 テーブルに突っ伏すヘルミーナの横を見れば、二人が牽制し合っていた間に、あれだけ作ったアイスクリームが半分以上食べられていた。

 思わずがくりと崩れ落ちそうになったメルツェデスは、自身を叱咤して膝に力を入れる。

 そもそも今のヘルミーナの状態は、ある意味彼女の望んだ通りのもの、でもあるのだから。


「いくら何でも食べ過ぎですわ。冷たいものの食べ過ぎはお腹によろしくないのです」

 

 そう言いながらメルツェデスがヘルミーナの脇腹に手を添え、小さく呪文を呟けば、その手に水色の光が灯る。

 しばらくすると、苦悶の表情を浮かべていたヘルミーナの顔が、穏やかになっていく。

 実は、メルツェデスは既にある程度の治癒魔術を使えるようになっていた。

 大怪我などは無理だが、この程度の腹痛を治す程度は十分可能。

 だからこそ、こうなることも見越して今回の作戦を採ったのだが。


「はふぅ……面目ない、ありがとう、メルツェデス様」

「いえいえ、これくらい大したことはありませんわ。私も水属性ですが、ヘルミーナ様と違って攻撃魔術がさっぱりな分、こういうことはできませんと」


 言われたヘルミーナは、ふと、考え込む。


「……ということは、治癒魔術も併用したら、いくらでもアイスクリームとシャーベットを食べられる……?」

「い、いえ、さすがにいくらでも、は……それに食べ過ぎはよろしくないですよ、太ってしまったりしますし」


 名案、とばかりに得意げなヘルミーナへと、メルツェデスが首を横に振った。

 どちらもそれなりに糖分があり、アイスクリームに至っては乳脂肪分まである。

 当然、太らないわけがないのだが、ヘルミーナは平然とした顔だ。


「大丈夫、魔術をどかんとやれば、大体解消する」

「いえ流石にそれは……え、できてしまうのですか……?」


 あまりに自信満々な様子に、メルツェデスも自信がなくなってしまう。

 確かに以前、フランツィスカのぽっちゃり脱出の際に、消費できていなかった魔力が脂肪となっていたため、それを大量に消費するためにフランツィスカに過酷な運動を課した。

 であれば、摂取カロリーが脂肪となる前に、魔力として使ってしまうのも手段としてはあり、なのだろうか。

 横でフランツィスカが聞き耳を立てていることには触れないであげながら、メルツェデスは頭を捻る。


「……それに、ちょうど魔力を消費させてくれる相手が来たみたいだし」

「はい? ……確かに人の気配が。え、まさか」


 辺りに微かに漂い始めた魔力の気配に、まずヘルミーナが反応した。

 ついで、気配だとかに鋭敏なメルツェデスも。

 少し広めの歩幅と高めの身長。恐らくは男性。そして今までの会話から類推するに、やってきているのは。

 メルツェデスの推理は、しばらくして正解だったと知らされた。


「おいミーナ、ここにいたのか。

 っと、これは失礼。まさかミーナがご友人方とお茶会をしていたとは……」


 表れたのは、さらさらとした明るい灰色の髪を短めに切りそろえ、眼鏡をかけて少々神経質そうな表情を見せる同年代の美少年だった。

 リヒター・フォン・エデリブラ。『エタエレ』における攻略対象の一人の、公爵令息である。

 ゲームにおいてはヘルミーナによって自尊心をばっきばきに折られ、どこか卑屈さのある皮肉屋として登場。

 主人公と知り合い触れあうことで少しずつ自信を取り戻していく、というのが大まかな流れだ。

 だが、今の彼は、見たところまだ折られてはいないらしい。


「ご無沙汰しています、フランツィスカ様、エレーナ様。

 それから、そちらは……? ああ、失礼。リヒター・フォン・エデリブラでございます、どうぞよろしく」


 公爵家同士ということで面識があったのだろうフランツィスカとエレーナに挨拶をした後、メルツェデスへと礼をしたのだが、その仕草は実に流麗なもの。

 表情にも陰のようなものは感じないし、ヘルミーナ相手に怯えているような様子もない。

 そんなことを観察しながら、メルツェデスも椅子から立ち上がり、そっとスカートの裾を摘まむカーテシーを見せながら挨拶を返す。


「こちらこそ名乗らず失礼いたしました。わたくし、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴでございます。

 どうぞお見知りおきくださいませ」

「ああ、あなたが……」


 その後に何か続けそうだったのだが、リヒターはその言葉を飲み込み、何も無かったかのように笑顔を見せる。

 この辺り、彼もまた貴族としての教育はしっかりと受けているらしい。


「なるほど、ミーナが急に予定をキャンセルしてくるから何事かと思いましたが、この集まりなら納得です。

 ……しかし、まさかミーナにお茶会をする社交性があっただなんて」

「もちろんそんなものはないのだけれど、今日は特別。お菓子という文化において偉大なる革新が生まれたのだから」

「いや、そこは胸を張って言うところじゃないだろ……。

 それになんだ、偉大なる革新って、たかがお菓子に」


 ちらりとヘルミーナを見ながら若干嫌みのようなことをリヒターが言えば、まるで自分のことかのように誇らしげなヘルミーナ。

 それに対してリヒターが呆れたように言えば、傍で見ていたフランツィスカが口を挟む。


「いいえ、リヒター様。このお菓子はまさに革新的、革命と言ってもいいものでした。

 すぐにでも我がエルタウルス家でも取り入れねばと思うほどに」

「そうですわね、憚りながら我がギルキャンス家でも。遅れてはならぬ流れが生まれたと確信しておりますわ」

「……お二人にそこまで言わせるだけのお菓子、ですか。俄には信じがたいものがありますが」


 信じがたいが、しかし、二人の表情を見るに嘘ではないのだろう。

 と、そこで終わっておけば、リヒターとて半信半疑で受け入れたのかも知れないのだが。


「ふ、これだから理屈ばかりの石頭は。自分の狭い世界だけで考えるから、新しいものを受け入れられない」

「……なんだと? 地に足が付かず、突拍子もないことばかりやらかす奴よりはましだ」


 ヘルミーナとリヒターの視線が、交わる。

 それは、どう考えても婚約者同士の甘いものではない。


「頭が固いから、空気を読んでるつもりで上滑りになってるやつが何を言っているのやら。

 ああでも、来たタイミングだけは空気を読めていたね。ちょうど腹ごなしの運動がしたかったところ」

「ほう……こちらとしてもキャンセルされて不完全燃焼だったんだ、相手になってやろうじゃないか」


 にこやかな笑みを浮かべている二人から、既に臨戦態勢、とばかりに魔力が滲み始める。


「……ねえ、なんであの二人、会って一分で一触即発になってるわけ?」

「喧嘩するほどなんとやら、というから……そういうことにしておかない?」

「拳と拳で友情を深める、みたいなものかしら」


 若干表情を引きつらせたエレーナが言えば、フランツィスカも額を押さえた。

 一人前世の少年漫画などを思い出したメルツェデスがずれた事を言っていたが、二人はスルー。

 

 そうこうしている間に、ヘルミーナとリヒターは、場所を変えよう、とばかりに移動を始めていた。

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