第13話 久しぶりの我が家。
退出していく二人の後ろ姿を、ガイウスとハンナは深々と、メルツェデスも出来る限り頭をさげて見送ることしばし。
扉の閉まる音に揃って顔を上げると、思わずお互いの顔を見合わせてしまう。
「まさか、まさかお嬢様がこんな栄誉を賜るだなんて……いいえ、もちろんそれにふさわしい行いをなさったとも思いますけども!
ああ、それでも……これと引き換えと思うと……」
最初に口を開いたのは、ハンナだった。
改めてメルツェデスの傷痕へと目を向けると、色々な意味で目を潤ませながら、再度ガーゼをあてがう。
主であるメルツェデスの栄誉は誇らしいものの、その代償を思えば手放しに喜ぶこともできない。
それでも、女性として史上初のことであり、昂ぶる気持ちもまた嘘偽りないもの。
感情を制御しきれないハンナを見て、ガイウスは小さくため息を吐いた。
「確かにメルティはよくやったし、賜るだけのことはしたとも思う。
だが、なぁ……また別のものを背負わせてしまったようで、申し訳なくもある、な……」
誰よりも『勝手振る舞い』の重さを知るガイウスとしては、複雑にもなろう。
持っている力を、正しく使うであろうと認められたからこその『勝手振る舞い』の許し。
逆に言えば、今後は状況に応じてメルツェデスの持てる力の最善を要求される、とも言えるのだから。
それも、単純な個人の力量だけに及ばない。
個人の武力、家の政治力、経済力。
それらを総合した判断が要求される、とも言えるのだ。
もちろん、未成年であるメルツェデスに、いきなりそこまで要求されることはないだろうが、成人した後はどうなることやら。
頭を抱えるガイウスを見ていたメルツェデスが、ふと、口を開く。
「あの、お父様。逆に、もっと軽く考えてみるのはいかがでしょう」
「……何?」
唐突に、思いもしなかった言葉を向けられたガイウスが顔を上げた。
その視線を受けたメルツェデスは、穏やかな微笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「もちろん、『勝手振る舞い』を軽々に扱う、ということではございません。
けれども……今の、役職も無い私個人でできることなど、限られております。
であれば、そもそも勝手に振る舞えること自体がほとんどないのではないでしょうか。
精々、お呼ばれしたお茶会で目上の方に苦言を呈すくらい……それも、あるかどうか、でございますし」
言われて、ガイウスはしばし考えた。
確かに、メルツェデスが行使できる力は大した物では無い。
伯爵家の力を使おうと思えば使えなくもないが、同等の許しを持っているガイウスが止めればそれまでだ。
そもそも、これだけ分別があり自制の効いているメルツェデスが、『勝手振る舞い』を無闇に使うなど考えられない。
であれば、少なくとも今は、王家がメルツェデスに対して誠意を見せてくれた、と受け取るだけでもいいのだろう。
「なるほど、な。……確かに、お前の言うことにも一理ある。今はそう受け取っておこうか」
「ありがとうございます、お父様。わたくしの勝手な言葉を受け止めてくださって」
そう言ってメルツェデスが頭を下げれば、また沈黙が降りる。
今度はなんだ? と若干慣れてしまったメルツェデスが顔を上げれば、目を見開いているガイウスとハンナ。
「なあ、ハンナ」
「なんでございましょう、旦那様」
「控えめに言って、うちのメルティは天使だな?」
「はい、もちろんおっしゃる通りでございます。私、このまま魂を天に連れて行かれるかと思いました」
「二人とも何を言ってますの!?」
しみじみと真顔で語り合う二人に、メルツェデスのツッコミの声が響いた。
こうして『勝手振る舞い』つまり『天下ご免』を得てしまったメルツェデスは、それから二日ばかり王宮で静養した後、自宅へと戻った。
昼過ぎの明るい日差しの中、馬車止めからエントランスへと向かえば、バン、と勢いよくエントランスの扉が開く。
「お姉様、お帰りなさいませ! 話を聞いて、僕は、僕は……食事も手に付かないほど心配しておりました!」
そう言いながら出迎えたのは、うるうると瞳を潤ませた一歳下の弟、クリストファーだった。
母に似たらしいふわふわとした明るい茶色の髪と、同じ色の瞳。
クリクリとした目のあどけないその顔は、美少年というよりも美少女と言いたくなるほどの愛らしさ。
さらに、視線が一瞬だけメルツェデスの額、そのガーゼに包まれた部分を認めれば、その瞳は一層潤んでしまった。
そんな彼がとてとてと駆け寄ってきてギュッとしがみついてくるのだ、あまりの破壊力にメルツェデスは目眩がしそうになる。
それでも、姉としての威厳を保つ、あるいは弟に心配をかけぬために、メルツェデスは笑顔を作った。
「心配をしてくれてありがとう、クリス。それと、ごめんなさい。本当に食べられてなかったのね、顔色が良くないわ……」
そう言いながらメルツェデスは、そっと弟の頬に手を添える。
ぷにぷにと張りのある頬は、しかし僅かに元気が無い。
触れた途端に何故か血色は良くなったが、それでもまだ、十分ではないように思う。
「でしたら、今日からまた、一緒にご飯をいただきましょう?
わたくしも、もうすっかり普通のご飯をいただけるようになりましたのよ」
にっこりと笑って見せるも、まだクリストファーは懐疑的だった。
だが、実際のところ、本当にそこまで回復してしまっていたりする。
こればっかりは、プレヴァルゴの血の成せる技か、己がたくましさ故か、あるいは両方か判断がつかない。
令嬢としてそれもどうかと思いつつ、しかし家族を安心させられるのであれば、それくらい大したことでもないとも思う。
そんな姉の様子をしばし見つめていたクリストファーは、コクリと首を縦に振った。
「わかりました、お姉様がそうおっしゃるなら。僕も、その方が嬉しいです!」
まだ九歳と幼く小柄なクリストファーが、下から見上げるようにしつつ見せる満面の笑顔。
病み上がりのメルツェデスにそれは、中々に効いた。
反射的にギュッと抱きしめると、すりすりと頬ずりなどしてしまう。
「ん~~! クリスはやっぱり可愛いですわ~~!!」
「わっぷっ! お、お姉様、苦しいですっ! それに僕は可愛くないですから!」
そろそろ男の子としての自覚が出だしたクリストファーとしては、可愛がられるのは嬉しいけれど複雑なお年頃。
ジタバタと抵抗するが、残念ながらメルツェデスの腕力には敵わない。
そのまま首だけで後ろを振り返れば、付き従うハンナへと嬉しそうな笑顔を見せる。
「ね、ハンナも思うでしょう? クリスは可愛いって」
「そうですね、クリストファー様もお嬢様も、どちらも天使のようにお可愛らしいですよ」
「ハンナまで!? 僕はもう、可愛くなんてないってば!」
追い打ちを掛けられて、頬を膨らませてしまうクリストファー。
そんな姿も可愛い、と二人は思ってしまうのだが、それを言ってさらにへそを曲げられても困りものだ。
「ふふ、そうね、クリスは男の子だものね。わたくしとしては、まだまだ可愛いクリスでいて欲しいのだけれど。
……さて、久しぶりにクリスの顔が見られて安心したことだし、わたくしは一度部屋で休みますわ」
「あっ、そうですね、病み上がりで戻られたばかりですし、お疲れでしょうから。
僕も、お姉様のお顔が見られて、安心しました」
クリストファーがそう言い終わった時には、またメルツェデスに抱きしめられていた。
止めるべきハンナも、クリスの愛らしさに目眩を起こしているため、誰も割って入らない。
しばらくもがいて、なんとかクリストファーは自由を獲得したのだった。
クリストファーの出迎えを受けてからメルツェデスは自室に戻る。
普段着であるシンプルなドレスへとハンナに手伝ってもらいながら着替えている最中、ふとメルツェデスはハンナへと問いかけた。
「ねえ、ハンナ。私とクリスは、仲が悪いとかないわよね?」
「はい?」
予想外の問いかけに、鏡の向こうのハンナが『何言ってんだこいつ』と言わんばかりの表情を一瞬だけ見せる。
もちろんそれは僅かなものであり、しかも瞬きくらいの間だったのだが、それでもメルツェデスの動体視力は、その表情の変化を捉えていた。
やはり、ハンナにすらそんな表情をさせてしまうくらいなのだな、と納得もしてしまう。
「ごめんなさい、気にしないで。クリスが男の子になっていってるなぁ、と思って。
何かの本で、そういう時って、家族に反抗することもあるって読んだことがあったものだから」
「なるほど、確かに反抗期というものは大なり小なりあるものとは聞きます。
ですが、もしその時が来ても、クリストファー様がお嬢様をお嫌いになることなど、絶対にありえませんよ」
静かに、しかし反論の余地もない重さでハンナが断言する。
そして、先程のクリストファーの言動を見るに、メルツェデスも今の段階では否定できない。
それでも。覚えているゲームの展開では、彼はメルツェデスを疎んでおり、主人公によって心が解き放たれ、最後には敵対したのだ。
将来何が起こるかなど、人の身では断言などできはしない。
できないからこそ、不確定であろう未来についてこれ以上語るのは無益だ、とも思う。
「そうね、クリスならきっとそうよね。
ごめんなさい、くだらないことを言いました」
そう言うと、またハンナに身を任せようと鏡に向き直る。
が、ハンナの腕は動き出さない。
おや? と思っていると、ハンナが口を開いた。
「く、くだらない、などとおっしゃらないでください。
お嬢様の疑問も不安も、全てこのハンナが受け止めます。
ですから、どうか何もかも私にお話しください!」
「待ってハンナ、何度も言うけど、あなたそんなキャラじゃなかったですわよね!?
本当にどうしてしまったの!?」
涙ながらに語るハンナが、ぎゅっと背後から抱きついてくる。
慌ててその手をぺちぺちと軽く叩いてみたりしながら。
日常に帰って来た、とメルツェデスはどこかほっとしていた。
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