第9話 退屈令嬢は向き合う。

 身の危険を感じて最後まで抵抗したメルツェデスだったが、予想に反して湯浴みはいつも通りに行われた。

 その後のケアもいつも通り。

 いや、いつも通りと思える湯浴みやケアを、通常の三分の一の時間で終わらせたことがまずおかしいのだが。

 ともあれ、ハンナのご奉仕によりメルツェデスは無事に身なりを整え、ガイウスが帰ってくるのを待つことができた。


 そして態勢を整えてから数分で、衛士が来客を告げる。

 時間的には完全にハンナの計算通りのタイミングだったのだが、その内容は完全に予想外だった。


「こ、国王陛下とジークフリート殿下がいらしたのですか? 一体、何故……」

「はっ、プレヴァルゴ伯爵令嬢へのお見舞いだそうです」

「わたくしの……お忙しいでしょうに、そんな、わざわざ……」


 わざわざ見舞いなどに、と思わなくも無いが、国王陛下の訪問をお断りするなどできようはずもない。

 一応、この歳でも貴族であるのだから。

 ……若干、かつての社会人時代を思い出してしまい、憂鬱になったりもするが。


 そんな気持ちを抑えながら上半身を起こせば、ハンナが素早く背中にクッションを当ててくれた。

 なんだかんだ有能なのではあるのだ、彼女は。

 ハンナのサポートに感謝しながら、緊張気味に姿勢を正す。


 そして扉が開けられれば、メルツェデスは頭を下げて来客を迎えた。


「目を覚ましたばかりのところにすまないね、メルツェデス嬢。

 君の身体のことが、私としても心配だったんだ」


 そう言いながら入ってきたのは、国王クラレンスだった。その後ろに控えるのは父ガイウス、そして第二王子のジークフリート。

 あの時の現場に居た主要人物が全員、ここに集まったことになる。

 ある程度整えたとはいえ寝間着姿で迎えたメルツェデスは、なんとも居心地の悪そうな顔ながらも、小さく頷いて見せた。


「お心遣いありがとうございます、陛下。このような格好で拝謁賜りますご無礼、お許しください」

「いやいや、私が無理を言って押しかけたのだからね」


 そう言ってさらに頭を下げようとするメルツェデスを押しとどめるように、右手を挙げ微笑んでみせるクラレンス。

 最上位権限者が許すというのだから、彼女とてそれ以上は何も言えず、顔を上げる。


 その上げられた顔を改めて見たのだろう、ジークフリートが息を呑む音が聞こえた。

 額を覆う、真っ白なガーゼ。幾度も換えられたそれは、血の汚れ一つ付いていない。しかし、未だそれが、そんな大きさで貼られている。

 聞いてはいたが、その意味するところを改めて突きつけられ、ジークフリートは小刻みに身体を震わせていた。


 だが、間近で対面しているクラレンスは微笑んだまま眉一つ動かさない。

 ……この今の状態のメルツェデスと顔を合わせる覚悟を決めてきていた、ということだろうか。

 であれば、メルツェデスの状態を気に掛けていたということであり、そのことについて思案もしてきた、ということでもある。

 そう考えたメルツェデスの胸に訪れたのは、暖かいとも言える感情だった。


 それを裏付けるかのように、クラレンスが向けてくる視線は真っ直ぐなもの。

 決意のようなものを滲ませたそれを見たメルツェデスは、もしや、と思い至る。


「重ねて無理を言っているのは重々承知なのだけどね。……そのガーゼを取って、傷を見せてくれないかな?」


 クラレンスの言葉に、驚き半分、やはり、と思うこと半分。

 むしろ、後ろで聞いていたジークフリートの方が驚きを露わにしているくらいだ。

 その顔を見たせいか、それとも半ば予想していたからか、メルツェデス本人は落ち着いたもの。

 ちらり、視線でガイウスに問いかける余裕すらあった。

 その視線に一瞬だけガイウスは驚いたが、直ぐに小さく頷いて見せる。

 『お前の好きなようにしろ』と言っているのだ、とメルツェデスは理解した。


「かしこまりました。陛下のお心のままに」


 あっさり頷いて見せたメルツェデスに、またジークフリートがギョッとする。

 流石のクラレンスもこの反応は予想外だったのか一瞬だけ眉が動き、ガイウスは色々と堪えているせいか顔も目元も真っ赤になってしまっていた。

 ハンナなど、フルフルと小さく、しかし確かに首を横に振っている。

 そんな四人それぞれの反応を意に介した風もなく、メルツェデスは額のガーゼを、あっさりと取り払う。


「なっ……」


 ジークフリートの息を呑む声が聞こえた。

 一瞬だけクラレンスが目を細め、ガイウスなど、歯が砕けそうな程に噛みしめている。

 そして、傍で静かに控えていたハンナが顔を伏せたことを気配で察した。

 この場にいる人達がそれぞれに、感情を動かしてくれている。

 そのことが如実に伝わってきて、メルツェデスはどこか誇らしい程の清々しさを感じていた。


「見苦しいものをお目に掛け、誠に申し訳ございません」

「いや、そんなことは決してない。だが……申し訳ない、こんな痕を残してしまって……」


 権謀術数渦巻く王宮の頂点に君臨するクラレンスが、この傷痕を前にして出せる言葉はほとんど無い。

 よほど、なのだろう。そのことは、いまだ己の傷を見ていないメルツェデスにも強く感じられた。

 それでも、非公式の場であっても、国王が臣下に向かって、まして子供に向かって頭を下げるなどとんでもないこと。

 慌ててメルツェデスは首を横に振った。


「そんな、陛下! わたくしなどに謝るなど、とんでもないことでございます。

 そもそもわたくし……」


 謝罪するクラレンスを宥めていたところで、ふと気付く。

 ついで、傍に控えるハンナへと顔を向けた。


「ハンナ、手鏡を取ってもらえるかしら」

「はい? え、お嬢様、まさか……お、おやめください、そのようなことは!」


 それだけでメルツェデスが何をするつもりか理解したハンナは、ぶんぶんと音がしそうな程に首を横に幾度も振る。

 そう、彼女は未だ、自身が負った傷痕を見ていない。

 その傷痕を手鏡越しでも見せるなど、ハンナにとってはとんでもないことだった。

 

 必死にハンナが止めようとするが、その程度ではメルツェデスも諦めてはくれない。


「いいのです。大丈夫、どの道、いつか向き合わなければいけないことでしょう?」


 メルツェデスが微笑みかければ、ハンナはぐっと涙を堪え、唇を噛みしめる。

 覚悟を感じ取ったのか、落ち着いて居ると判断したのか。

 身を翻して鏡台へと向かったハンナは、程なくして手鏡を持って戻り、メルツェデスへと、震える手で手渡した。

 受け取ったメルツェデスは、目を伏せて一回だけ深呼吸。

 それから、手鏡を覗き込んだ。


「……なるほど。これは、皆様のお気持ちもわかります」


 目に飛び込んできたのは、毒々しいほどに生々しく鮮やかで、歪な深紅の三日月。

 それが、額にしっかりと刻み込まれていた。

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