第112話

「バーグ連邦の人口が激減しただって?」


 ラックは妹のリムルから届けられた書簡に目を通して、驚きのあまり内容の一部を口に出してしまっていた。

 バーグ連邦は、ファーミルス王国の南西に隣接している国だ。

 書簡に書かれていた内容は、連邦の状況についてと、それが理由でのお願い事。

 彼の国では謎の奇病が大流行。

 治療方法は今のところなし。

 その病に罹患した場合の致死率は、なんと100%という恐ろしさ。

 現在判明しているだけで、既に連邦の総人口の3割が死亡している。

 ファーミルス王国は連邦からの魔石の輸入量が急に減少したため、宰相が原因の調査に人を出す指示をしていた。その結果、判明した原因がそれだ。


 そうした情報を知ったリムルは、王都に病が流行する可能性に恐怖し、息子のフォウルと共にゴーズ領への移住をラックにお願いして来たのだった。


「大変恐縮ですが、私は返答の書簡を持ち帰って来るように主人リムル様から申しつけられております」


 使者を務めている女性は、トランザ村にスーツで来訪していた。但し、ラックやミシュラは彼女の魔力量を騎士爵級の500ではなく、推定で男爵級の2000超えだと判断している。

 彼女の使用しているスーツが、外観からだけでも必要魔力量の多い特別製だとわかるからだ。

 ゴーズ夫妻から見たそれは、外観からして完全な移動特化型を目的として作られており、所謂量産品とは出せる出力が桁違いだと思われた。端的に言って、脚部とバックパックの部分の作りが、明らかに異なっているのである。

 長距離を無補給で高速に移動することを前提として作られている以上、見た目が通常のスーツと違う特徴を持つのは必然ではあるのだけれど。


「それはわかった。けれど、今この場で即答はできない。判断するのに時間を貰う。来客用の部屋へ案内させるから、そこで休息も兼ねて待機していて欲しい。食事など必要な物は言ってくれれば用意するように家の者に指示を出しておく」


 使者の女性はラックの言葉に従い、応接室からの移動に応じた。

 そして、ゴーズ家の当主は正妻を伴って執務室へと移動し、どうするのかを話し合うことになったのであった。




「関所に到着した時点で、彼女のことは調べてある。ゴーズ家に悪さをしに来たわけではなく、純粋にリムルからの急使だね。彼女は妹の公爵令嬢時代からの完全な子飼いの部下で、双方で信頼も厚いみたい」


 訪れた女性はゴーズ領では初顔であったため、当然の如く関所で超能力者の接触テレパスの行使を受け入れている。

 もっとも、内心を丸裸にされた側は、実際に何をされたのかは理解できてはいないだろうけれど。


「そうですか。ところで、治療方法がわからない不治の病のようですけれど。それであれば、ここに居を移しても安全とは言い切れないでしょうに。何故トランザ村を選んだのでしょうか?」


「それはわからない。避難以外の理由は書かれていないからね」


「まぁ、気にはなりますが、そこは今は良いです。で、どう致しますの?」


「どうしようか。保留にはできないからはっきりと返事をしなくちゃいけないことだけは確かだね」


 ラックは勿論のこと、ミシュラからしても、義妹リムルは必ず助けなければならない親族と言うか、血縁関係者ではない。関係性で言えば甥にあたるフォウルも、それは同じである。


「ま、元々入り婿でフォウル君を将来迎える予定はあったんだし、そう決まっていた相手を今回の件で受け入れ拒否して病死という結果に繋がったら寝覚めは悪いよね」


「そうなりますわね。では、受け入れるとして、その人員規模の制限と謎の奇病とやらを持ち込ませない対策が必要となりますけれど」


 そんな言葉を口にしながらも、ミシュラは待たせている使者に持たせる書面の作成に入っていた。書き上げた後はラックにサインを貰った上で、書簡として持たせるだけの話である。


「連れて来たい人員については、最小限にして貰おう。事前にリストを貰って、個々に可否の判断をした上で、可とした人員には関所でのアレも受けて貰う。その結果で撥ねられる人間が出た場合は、それを許容する宣誓も必要だね。但し、場所をサエバ領と旧デンドロビウ領の領境にする。あと、病を持ち込ませない意味で、ガンダリウ村に5日ほど滞在して貰って、発症していないことを確かめる」


 ラックの言う旧デンドロビウ領は、位置的にはトランザ村の西隣となる騎士爵領相当の広さを持つ地だ。その中心部にはデンドロビウ村があり、関所の部分が門前町のような感じの小さな村になっている。4つある関所の村は南から時計回りにガンダリウ村、ギガンダリウ村、ガンダミウ村、ガンダニュウ村と名付けられていた。

 もっとも、各村はガワの整備が済んでいるだけで、配置済みなのはゴーズ家の家臣のみ。所謂、ゴーズ家クオリティの一般住民ゼロな村だったりするのだけれど。


「わかりました。病への対策はそうするのですね。あとは、もしゴーズ領に謎の奇病が入り込んだ場合の治療法ですけれど」


「菌やウィルスに関しては、冷凍庫として使っていないほうの極点付近に持ち込める物は持ち込んで、マイナス50度で24時間放置して死滅させる。人に関しては罹患した人間は僕が隔離して、その後治療を試みる。そっちはぶっつけ本番なので、結果はやってみないとわからない」


 ラックは答えながら、ミシュラが差し出して来た書面に目を通してからサインを済ませる。

 超能力者は、使者を送り出した後、バーグ連邦を独自に調査するべきかどうかを迷っていた。彼が千里眼を駆使して、現場の状況確認をざっとするのだけは確定事項なのだが、病の原因を調べるために現地に赴いての綿密な調査をするかどうかはまた別の話であるからだ。

 そうした部分に思考を振り向けつつも、ゴーズ家の当主は使者に返事となる書簡を託して送り出したのだった。


 時刻は夜の帳が降りるまでには、まだ少しばかりの余裕がある時間帯。

 夕食時に妻たちと話をするのは決定事項であるとして、ラックは執務室の席へ戻った後、とりあえず千里眼を発動したのであった。




「ふぅ。ゴーズ家の受け入れ許可自体は出ているけれど、条件がついていますわね。まぁ、こちらも無条件に何でもありだとはさすがに考えていませんでしたけれど」


 リムルは使者として出した配下から受け取った書簡の内容を把握して、ため息を1つつくと共に、誰に聞かせるともなく感想を言葉にして口に出した。


「母上。では私は王宮を出ることになるのでしょうか?」


 近くに居たフォウルは、感想を聞いて出てしまった疑問をそのまま母親にぶつける。そこには、深い考えなどない。


「貴方はまだ王族のままですから、許可を得なくてはなりません。それと、連れて行ける人員が限られますから、そこを王家にどう呑ませるかも考えねばなりません。ですが、方向性としては、そうするつもりです。バーグ連邦で発生中の奇病がファーミルス王国に入り込んで来ない。または、入り込んでも流行しない。奇病を根治させる治療方法が発見される。その辺りの部分が確定すれば、このまま王宮に留まっても良いですけれどね」


 この時点で、リムルは自身については離婚して王族籍から抜けることを決めていた。

 彼女のした選択は、実行に移すと通常であれば実家に出戻りするしかない。それは、実家の当主の意のままに操られる駒に戻るという意味でもある。本来ならば。

 だがしかし。彼女は過去にラックと会って、もしもの事態が発生した時はゴーズ領に身を寄せる内諾を得ている。そうである以上、彼女が王族籍から離脱すること自体に抑止力が働かないのは至極当然の話なのだった。

 尚、兄妹ラックとリムルの会話が成立した日の時点で、彼女の王族籍からの離脱が既定路線だったのは、彼女自身と超能力者のみが知る秘密だ。つまり、当事者にとっては、それはもしもの事態でもなんでもない、ただの決定事項であったのは些細なことである。


 息子のフォウルに関しては、王族籍からの除籍を捥ぎ取りたいところなのだが、さすがに今の段階では王家からそれを認められる可能性は皆無に等しい。残念なことだが、それは容易に想像できてしまう。

 リムルの一粒種は、王家とヤルホス公爵家の契約がある限り、実質的に王位に就くことができないはずの王族である。そうであるにも拘らず、現時点では次期王太子の唯一のスペアであることに変わりがないからだ。

 しかしながら、彼女はたった1人の愛息を手放す気などない。

 国王、宰相、フォウルの実父の3人をどう言いくるめるか?

 元第2王子妃だった女性の頭脳はフル回転していた。




「つまり、『王孫の1人であるフォウルをゴーズ領に移動させたい』と言いたいのか?」


 国王代理内定者の王子は、現在、引継ぎの真っ最中であった。

 そんな中で、第2夫人から自身の他に国王、宰相が同席する面会予約が取られた。

 そうして、出された話題に対して彼が問い直したのが、前述の発言となる。


「ええ。王位継承権1位の王孫が別で居る以上、リスクを分散させるべきだと申し上げています」


 リムルの主張の主旨は、端的に言えばバーグ連邦で大流行している死病への対策だった。

 王都は自給自足が可能な地ではない。勿論、危機対応のために王都内の全住民に我慢を強いればという条件付きで、半年程度は籠城可能な物資の備蓄はある。

 だが、基本的に物流と人流を完全に止めて、やって行ける場所ではない。要は、伝染病と思われる死病が、王都に入り込む可能性はかなり高いのだ。

 そうである以上、王位継承権の1位と2位を同じ場所に留めるのは、全滅のリスクがある。

 彼女の主張はそのような理屈だ。

 そして、彼女が疎開地として候補に挙げたゴーズ領は、伝染病が入り込む可能性で条件比較すれば、王都に対して圧倒的に優位性があるのである。


 リムルの話を黙って聞いていた国王に至っては、「なんなら俺もそこについて行ったらだめかな? まだ死にたくないし」と、脳内でアリやナシや会議が発生していたりもした。まぁ普通にナシなのだが。


「しかしですな。王位継承権の順位を考えると、いざという時に王となれる教育を受けられる環境が必要ではないですかな?」


 宰相は、リムルが一番面倒だと思っている部分を的確に指摘してきた。


「わたくしの愛息がこれまでに受けてきている教育では、足りていないのは事実でしょう。ですが、過去には王が急逝して、教育が済んでいない幼い王子が戴冠した例もございますのよ。宰相殿は勿論、ご存知ですわよね?」


 リムルの反論に宰相は短く肯定を返す。

 言を弄することが得意な彼を以てしても、過去の事実は認めるしかないのだ。


「わたくしも、アスラ様も、ある程度の教育は施せますし、若干名の教師を帯同させることで、王位継承権2位の座に値する教育に近づける。今は緊急事態ですし、その程度は柔軟性がある対応でも問題ないかと思われますが?」


 そんなこんなのなんやかんやで、大枠でのフォウルの疎開は、国王と宰相の2者により了承された。但し、”1年毎に継続するかどうかの協議を行う”という条件が付いたけれど。

 ちなみに、話の内容を理解したくない思いもあって、茫然としているリムルの夫を蚊帳の外状態で放置したまま、それが進められたのは些細なことである。


「おい待て。フォウルをゴーズ領へ行かせる話に、何故君がそこに居ることになっている?」


 漸く我に返った間抜けな男は”聞き捨てならん”とばかりに、疑問をぶつけた。

 彼のその発言によって、国王と宰相のそれぞれから、”手遅れで、無駄な足掻きだろう”という哀れみを含んだ視線が、発言者に向けられることとなる。

 そうした状況に当人だけが気づいていなかったのが、せめてもの救いであろうか。


「わたくしは、元第2王子の正妃としての役割はもう十分果たしたと考えています。そして、正妃であるからこそ嫁いで来たのですから、今の第2夫人の座に未練などありませんのよ?」


 やや遠回しに。

 それでも彼女自身の意思がはっきりと伝わるように。

 リムルは夫に言葉の刃を突き付けた。

 所謂、離縁の宣言である。

 そして、彼女からの夫をどん底に叩き落す発言は、まだ終わりではない。


「国王陛下。わたくしの王族籍からの除籍をお願い致します」


 国王は、「自身の妃を繋ぎ止める能力すらない愚息に、代理とは言えこの国の最高権力を握らせて大丈夫なのか?」と、内心では呟く。

 他者からすれば、「お前がそれ言う?」状態な話だが、幸いなことに彼は内心で思ったことを現実の言葉に出したわけではないのでセーフであった。

 そして、それはそれとして、国王は離縁についての許可は出す。但し、”国が緊急に戦力を必要とする場合は可能な限り協力要請に応じること”という最低限の条件は付けたが。それでもすんなりと許可が出されたのである。


 国王と宰相の共通の視点からすると、直ぐに答えは出た。

 彼らは彼女の強い意志が宿る目を見てしまったことで、”拒否した場合は暴走が避けられないであろうことを悟らされてしまった”という現実から、出さざるを得なかった容認の答えでもあったのだけれど。


 こうして、ラックは妹と甥のゴーズ領への滞在許可を出した。

 超能力者の預かり知らぬところで、国王代理となる人物が甚大な精神的ダメージを負ってしまったのは、ゴーズ家としてはどうでも良い話で済んでしまうのである。


 無自覚にひっそりと。実は最上級機動騎士が操れる魔力量の保持者を、統治下の領内にガンガン増やしているゴーズ領の領主様。それを知った狂気の技術者兼研究者からは、「乗り手が増えれば、機体も必要よね?」と、謎のプレッシャー。叔母様の容赦のない発言に、げんなりするしかないラックなのであった。

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