第110話

「当主交代の時期を検討したいだって?」


 ルウィンは、北部辺境伯領の領都からやって来た弟の言葉に驚いていた。

 いずれある事態であるのは覚悟していたことなのだが、それでもいきなり話が飛躍し過ぎではないかと思ってしまったが故の驚きだ。

 そして、ついでに言えば、驚いたのは持ち込まれた話の内容だけではない。

 彼らは昨日バスクオ村にて、「次に顔を合わせるのはいつになるかな? 再会を楽しみにしよう!」と、握手をして別れたばかりでもあったからだ。

 予想外の早過ぎる再会には、両者ともに苦笑するしかないのである。


 ルウィン的には、当主権限の委譲が徐々に行われつつ、当主交代の話が具体化する物だとなんとなく思っていたし、過去の例に照らし合わせれば、それが慣例でもある。

 それに加えて、現在のサエバ領の代官の交代という面の話もある。

 本来の筋書きと言うか予定としては、眼前に居る弟が伯爵位を得て家を興し、サエバ領を領地として受け継ぐ話でシス家の内部では合意していた。

 引継ぎの準備もなく、直ぐにそれが行なわれるなど、通常ならあり得ない事態の進行になってしまう。

 だからこそ、「時期を検討」となったのであろうが、それにしても予兆がなさ過ぎる唐突な話には違いないのであった。


「シス家の、ゴーズ家への借りが増大し過ぎているのは、兄貴も何となく理解しているだろう?」


「ああ。それは勿論。って待て。今日そんな話が出るのは、また借りが増えたのだな? つまりバスクオ領で殲滅戦となる砲撃を行ったのは」


 ルウィンがそこまで口にした時、シス家の次男は彼の言葉を仕種で制した。


「それについては、確証もなく推論を口にするのはやめておいた方が良いと思うぞ。父上が兄貴にそれを確定情報として知らせないのは、そういうことだろ? あと、事後処理を手伝って貰っている部分だって、バスクオ家から謝礼は支払っているが借りには違いないぞ」


「そうか。そうなるのか」


 納得した兄の様子を確認してから、シス家の次男坊は更に発言を続ける。


「話を戻すが、以前ならうちの方が爵位が上であったってのもあって、言葉は悪いが、『いずれ借りは返すから今は我慢してくれ』と、フランの嫁ぎ先に強いていると周囲に受け止められるのは、良いことではなくとも許容範囲だったんだ」


「そうだな。それが通せる程度には関係を維持しているとも見られるしな」


「だが、今はゴーズ家の爵位が上になってしまっている。このままでは不味いんだ」


 そこまで話が進んで、ルウィンは疑問が増える一方となってしまう。

 シス家の当主交代が、ゴーズ家へ借りを返す話とどう繋がるのかが理解不能であったからだ。


「不味いのは俺だって理解できるさ。だが、それとうちの当主交代の話は関係がないだろう?」


「ゴーズ家はその成り立ち上、所謂、経験豊富な年長者が居ない家だと、兄貴も知っているだろう? ゴーズ卿は、父上に『相談役になってくれ』と頭を下げたのさ」


「おいおい。ちょっと待てよ。俺にだって、父上の力は必要なんだぞ?」


 ルウィンは、いきなり北部辺境伯家の当主として、放り出されるような錯覚に陥った。

 借りを返す方法には、漸く話が繋がったわけだが、それはそれとして、感情面では行われる予定の事柄が許容し難い。彼からすれば、実の父親を養女フランに奪われる感覚になるのである。

 そして、その考え方で行くと、実は奪われるのは父親だけではないのだけれど。

 更に言えば、彼の実子からしても、本来なら同居するはずだった頼りになる祖父や祖母が不在になるという面もある。

 次期当主の正妻や第2夫人からすれば、気楽になる部分もあるのだろうけれど。


「慌てるなよ。兄貴に今直ぐ当主の仕事を全部こなせって話じゃない。経過期間を設けて引継ぎも実務の補助もしっかり行われるさ。要は、それが済んだら、父上が”母上たち”を連れて、ゴーズ領に移住するってだけだぞ。辺境伯家ではあまり例がないが、引退後に王都に居を移すケースと大差ないだろ」


 シス家の次男は、ここでこれ以上の突っ込んだ話は”兄貴が受けるショックが大きくなり過ぎるだろう”と、あえて情報を伏せた部分がある。

 ゴーズ家が必要としているのは、経験豊富な年長者の相談役だけではない。

 要は、優秀な家宰や侍女長、料理人、侍女などが必要だという話。

 彼の家は新興の成り上がりの家だけに、一般的な上級貴族の視点に立つと、足りていないアレコレは意外に多い。

 これまで、それらがさして問題にならなかったのは、当主であるラックがそういった部分に無頓着であったせいなだけ。

 今までは直臣扱いの娘たちが交代で回して誤魔化していた部分を、今後は爵位に見合った専門の人材に徐々に置き換えて行く必要があるのだ。


 シス家の現当主は、ゴーズ家の家内を回す、次代を担う人材の育成役として、自家の自慢の主要人物を引き抜いて連れて行く気満々なのだった。

 勿論、人材の流出で北部辺境伯領にある領主の館が困っては意味がない。

 それ故に。北部辺境伯は、ラックとの基本合意が済んだ後、即座に連れて行ける人材の選定に入り、彼らに引継ぎを行うように指示を出していたのだが、それは些細なことなのである。


「わかった。予定の調整をして、明日父上に会うとしよう。夕食を共にする感じで、一泊して、翌朝出立すると伝えてくれ。そっちはそれで良いとしてだ、ここの引継ぎの話もせねばな」


 そんな感じで2人の話は続き、必要な情報のやり取りが終わって解散となる。

 ラックの前話109話での失言は、このように、北部辺境伯家の内部にも影響が多大に出たのだった。




「バスクオ領から戻した娘が、子を授かっていただと?」


 東部辺境伯は、寄子の子爵家の当主からもたらされた報告に驚くしかなかった。

 先頃発生したバスクオ領とバスクオ家の後継者と後見人に関係する問題は、王宮からの問い合わせがあったせいもあり、彼は損切りの決断と指示を済ませていた。

 実務的にも、関係各所でもう既にそのように対処が済んでしまっている。

 彼からすれば、「今更、そんな話を持ち出してどうする?」な事柄なのだった。


「出戻りで、父親不明の子を出産するのは風聞が悪過ぎます。子供の性別はわかりませんが、魔力量は男爵基準以上で生まれて来る可能性がそこそこ高く、運が良ければ子爵基準に届くやもしれません。当家としては、バスクオ家に連絡を取り、認知させたいと考えます」


「いや、それは不味い。もしも男爵基準の2000を超える魔力量の男子だった場合、其方の娘がバスクオ家に残った第2夫人と前当主とで交わした契約が有効になる。第2夫人は嫌々後見人として残った以上、嬉々として当主交代の手続きをするであろうし、本人はバスクオ家に子を残して条件の良い嫁ぎ先を探すであろうよ」


 元第2夫人は現当主の実母であったが故に、貧乏くじとなったバスクオ家に残された。

 実家からの支援は受けられず、実家だけではなく、その寄親からも実質見捨てられてだ。

 彼女の実子は男爵家当主ではあるが、肝心の魔力量が足りていないために単独で爵位を維持できず、特例の適用を受けなくてはならない。

 つまり、嫁探しという難事が残されていて、首尾良くそこを乗り越えたとしても、嫁に迎えた女性の実家の影響を強く受ける。すなわち、実態は傀儡と言って良い。

 要するに、彼女は当主の実母として、”今も将来も”大きな顔ができる立場ではないのである。


 だがしかし。逆に言えば実家の子爵家からも東部辺境伯家からも切り捨てられているが故に、元第2夫人は背後にしがらみのない魔力量4500を持つ若い女性だ。

 彼女は出産実績もあって、子を産める女性であることが確定している。そのため、独り身扱いになってしまえば、男爵家以下ならば家内の序列はともかくとして、妻にと望む家は意外と多く出てきてしまう。しかも彼女の場合は、持参金はなくとも、自前の下級機動騎士が付いてくる。

 要するに、娶る側からすれば「未亡人だが超が付く優良物件」とも言えてしまう。


 東部辺境伯視点からすれば、最大の問題は、本人がそうした状況を承知しており、独り身扱いでの婚姻を望むだろうという点だ。

 その場合、バスクオ家の元第2夫人は、実子を元正妻に養子として押しつけるであろうことは想像に難くない。


「秘密裏に出産させるのであれば咎めはしない。生まれた子は、両親不明の高魔力持ちの赤子として、養子に迎えるのが良いのではないだろうか?」


「そ、それではあまりにも娘が。いえ。でも仕方がないですね。そのように致しましょう」


 子爵は言いかけた言葉を呑み込み、方向修正した。

 彼は、自身をジロリと睨んだ東部辺境伯の視線の圧力に屈しただけの話なのだが。


 2人の話はそのように纏まって終わった。が、こうした秘密は外部に漏れないように気を使っても、内部の人間の口に戸は立てられない。それが現実である以上、子爵家の家内では、所謂公然の秘密という物になって行く。

 そして、バスクオ家に残された夫人の実家は同じ東部辺境伯の配下であり、しかも、同格の子爵家。つまり、彼の家は完全な外部の人間の扱いではないのだった。


 そうした状況下で何が起こるかと言えば?


「俺の娘は切り捨てざるを得なかったというのに、あの家の娘は。子が生まれた後、性別と魔力量の情報が判明したならば、バスクオ領へそれが”何故か”流出するかもしれんなぁ」


 バスクオ家の元第2夫人の実家であるもう1つの子爵家の当主は、そのように呟いたのである。


 そんなこんなのなんやかんやで、北部辺境伯はバスクオ家の後見人の調整を済ませ、ラトリートらが漸く馴染んできた頃に、同時進行で事態は動いて行く。

 前述の子爵の独白があったのは、奇しくもラックやミシュラがバスクオ領で魔獣の集団相手に砲撃を行った日と同日だったりする。

 そして、このような事柄は、往々にして状況が悪化する方向に動く未来が待ち受けて居たりする物なのだ。

 シス家の三男坊は、そういう意味では、やはり持っている男なのであろう。

 それを羨む者が誰も居ないであろうことは、確定の方向性なのだけれど。




「父上。急な話過ぎませんか?」


 次期北部辺境伯となるルウィンは、現当主である父と夕食を共にしながら率直に言葉をぶつけた。


「そう言われればそうかもしれんが、元々当主交代の時期を明確に決めていたわけでもない。それを決めようというだけの話だぞ? もし嫌なら、その席を弟に譲り渡す権利がお前にはある」


「できもしない選択を、さも、選ぶことが可能であるかのように言わないでいただきたい」


 実父のあまりな物言いに激昂しかけたルウィンは、同席して居る弟へ視線を向けてから少しばかり気を落ち着かせる。

 彼はここで感情的になって、将来の補佐役に無様を晒すわけにはいかない。


「兄貴が『どうしても』と言えば、私がその役目を引き受けざるを得ませんが、お互いの妻や子供たち、妻の実家との関係もありますから、現実的ではないですね」


 シス家の次男坊は、すまし顔でさらりと発言しつつも、「この期に及んで、これまで進めてきたアレコレをやり直しとかやめてくれ!」と、心の中では叫んでいた。

 彼も彼の妻2人も、ついでに言えば妻の実家の2家も、ルウィンとその息子の両者が不測の事態で亡くなりでもしない限りは、元スペアの彼が北部辺境伯家の当主になるという事態を容認するつもりなどない。

 彼的には、当主となる兄の補佐をしつつ、任された領地で気楽な立場で生きて行く人生設計が既に出来上がっているのだから。


「急であると感じるかどうかはお前の問題だ。そこは自身の中で折り合いをつけるのだな。私としては、直ぐにでも当主交代を行いたいが、では明日からというわけにも行かない。で、いつからならそれが可能になる?」


 この話は本来であれば、北部辺境伯は嫡男に頭ごなしに決定事項として通達しても良い。が、彼としては、ラックとの話の成り行きで当主引退後の余生を過ごす場を、急遽変更することにしてしまった。

 それは、次期当主から見れば当てが外れる話になる。

 現当主はその点に理解が及ぶため、少しばかりの罪悪感がある。よって、気分的にはその埋め合わせをしているような物なのである。


「そうきますか。サエバ領の代官交代の引継ぎ期間で30日は必要でしょう。その後、私たちが領都に居を移して、当主実務の部分を徐々に移す形で父上に院政をしていただくのが前提であれば、当主交代の時期はお任せします。ですが、最短でも3年以上はその状態を保って下さい」


 予定していた”最長5年”の経過期間を先に告げなかった現当主は、次期当主の言質を引き出すことに成功して、心の中では快哉かいさいを叫んだ。勿論、彼はそれを態度に出して息子に悟らせるようなことはしないが。


「よかろう。では、最短で3年。ついでに上限も決めておこう。1年足して4年で良いか?」


 そのような流れで、話はどんどん進められ、細部が詰められて行く。

 その過程で、現在のシス家の領主の館のアレコレを回す主要人物たちが、将来、父と同時に軒並み居なくなることをルウィンが知ったのは些細なことなのである。


 こうして、ラックの知らぬところで、事態は動きまくっていた。更に言えば、王都にいるゴーズ上級侯爵の妹や甥についても、時間の経過と共に当然動きがあるのだけれど。


 このお話では出番がなかったゴーズ領の領主様。シス家の話し合いの中で、”北部辺境伯の孫の教育環境について”の話題が出た結果、”ゴーズ領に居を構える祖父の家で一定期間孫たちが生活する権利”についても検討事項とされたのを知らないラックなのであった。

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