第74話

「この場所が、スティキー皇国の病院だって?」


 時刻は正午前。搬送されてから、30時間ぶりに意識を回復した北大陸侵攻軍司令官は驚いていた。彼の意識下においては、未明から指揮下の部隊を用いて東部辺境伯領の領都を攻撃し、陥落させる予定であったからだ。


 皇国の軍事力を以て、ファーミルス王国の東部の全ての拠点を攻略後、南部辺境伯領の領都以外の拠点も焼き尽くす。


 作戦の手順も投入戦力も補給計画も問題なく整っており、予備兵力として想定外の事態に投入できる部隊の準備も終了していた。

 司令官と作戦参謀によって前線基地で練り上げられた計画は、万全と言って良いレベルに仕上がっており、準備もそれに沿って滞りなく行われた。

 唯一の気がかりは、本日到着予定の輸送機が来なかった点だが、そんなことは初めてではない。”たまにはあることで、また機体に不備でも発生したのだろう”と考えられた。

 一応、確認のために皇国に連絡便を1機出してはいるが。


 最初に潰した南部辺境伯領には、新たな航空基地を建設予定となっており、そこが完成すれば西部辺境伯領が攻撃可能な範囲となる。

 但し、”攻撃すると藪蛇になるであろう”と考えられる北部地域には手を出せない。

 だが、それ以外の防備を全て剥がしてから、王都を武力恫喝すれば「王国は皇国の軍門に降るくだるだろう」と思われた。


 そんな先々の展望も含めた作戦行動の前夜が、司令官の最後の記憶となっていた。目が覚めればベッド上。但し、確認できるのは、彼には全く見覚えのない部屋の天井と壁にインテリア。雰囲気はまるで病院の病室である。

 侵攻軍の司令官は”これは何の冗談だ?”と笑い飛ばしたくなったが、身体の各所から伝わる激痛がそれを許さなかった。

 彼は、ラックにひっそりと拉致されて、空中に放り出された際に、打ちどころが悪く、意識不明の重体患者となっていたのである。


「意識が戻ったのですね。良かった。今、先生を呼びましたので、まもなくいらっしゃると思います」


「君は? ここは何処だ? 私は何故こんな状態に?」


 司令官は混乱した思考をなんとか落ち着けながら、看護兵と思われる女性に質問を投げ掛けた。そして更にいくつかの言葉のやり取りをした結果が、冒頭の発言に繋がって行く。


「そうですよ。もう一度言いますね。今の貴方が居る場所は、皇都最大の病院であるスティキー国立病院。今は軍の病院だけではなく、民間の医療施設まで負傷者で溢れかえっています。貴方は重傷と判断されたので、最も設備が整ったこの病院に搬送されたようですよ。ここは軍の病院ではありませんし、私は軍属ではありません。そして貴方は1人の患者。階級を振りかざしての横暴はここでは許されませんからね?」


 笑顔を絶やさずに答える看護師の女性は、司令が考えた看護兵ではなく、彼の階級や立場など知らなかった。それ故に、今の彼女が知り得る状況を伝えることに躊躇などなかった。

 ベッドの上から当分出られそうにない彼は、彼女が話してくれた情報から、直感的に”勝てない”と感じた。

 北大陸侵攻軍司令官の考えは、皇国の敗北の未来を予測する方向へと傾いていたのである。




 まだ夜が明けるには少しばかり余裕がある時刻。

 ラックはトランザ村の執務室へと戻って来ていた。

 さすがにこの時間帯からの皇国の基地への攻撃は考えられない。話し合いによる精神的な疲労も、無視できるような状態とは言い難いからだ。

 彼は”直ぐにも寝室へ向かおうか”と考えはしたが、しばらくすればミシュラが起き出して来るのはわかっている。

 夜間に話し合って決まったことを、”少なくとも彼女に伝えてから休むべきであろう”と考えを改めた超能力者は、千里眼での各地の状態への精査に入るのだった。


「貴方。まだ昨夜のままの服装ですのね。帰って来たばかりですの?」


「いや。戻ってから時間はあったけど、ついつい視るのに集中してしまってね。皇国内の基地では、僕が盗み出せなかった巨大な船の修理作業が、夜を徹して行われているようだし、人を拉致しまくった前線基地では、警戒態勢がすごい。これ、交代制で寝るとして、戦力としてカウントできない割合が増えるんじゃないかな?」


 ラックはミシュラと朝の挨拶を交わした後、千里眼で視た内容で重要そうな部分を口にした。


「あら。それはそれで気になりますけれど。昨夜の結果も教えて下さる? 予定を変更したのは知っていますが、何がどうなったのかが知りたいですわね」


 朝からの夫婦2人だけでの話は、こうした流れで行われた。

 それは、時間という観点で見れば30分にも満たない長さであった。が、語られた内容は重要なことばかりで、極めて中身が濃い話だったのである。


「じゃあ僕は汗を流してから寝るよ。他の3人への伝達は任せる。テレポートで送っても良いけど、叩き起こして手渡しするほどの緊急性も必要性もないしね」


 フラン、リティシア、エレーヌの3人にも、それぞれに任せている仕事がある。

 情報の伝達方法は、ミシュラが伝達事項を書面に纏めて、それを読んで貰う形で良い。だが、それは確実に行われなければならない。

 つまり、今、ラックが”彼女たちが起きたら気がつくだろう”という場所にテレポートでそれを置いてくる形ではだめなのだ。本人に手渡しが必須なのだが、この時間から起きて活動している妻は正妻以外にはいないだろう。

 ミシュラですら、通常であればあと1時間以上は寝ている。今日は夫の予定に合わせているので起き出してきているが。


 そんな感じで今日も今日とて、超能力者は朝から独り寝が決定。

 王都からの招集命令が出された日。それ以降は、領地としての対応、作戦の立案の話し合いなど、自身も妻たちもイレギュラーな仕事に時間を取られ過ぎた。

 何の話かと言えば、「通常であれば毎晩のように発散していたアレコレがなくなっている」という話。

 ラックは戦争に加担することで、平時よりもそちら方面の欲求が刺激されていることを自覚はしていた。だが、相手が必要であるから、自身の都合だけで無理も言えず、我慢を強いられる。

 つまるところ、彼の生理的欲求は爆発寸前だったりしたのである。


 ゴーズ家の当主がそのような状態であることを、真っ先に察知していたのはロディアであった。

 彼女は赤子の世話に追われていたとはいえ、客人として逗留しているだけであるから他に抱えている仕事があるわけではない。

 ミシュラとネリアの協力もあり、彼女には状況を観察し、色々と考える時間があった。

 彼女は、現状では針の筵に近い状態に置かれているアスラにとって、今が千載一遇の機会であることに気づく。

 カストル家の新妻はゴーズ家に恩を感じており、家内で唯一の不和の状態の1人を”なんとかできるものならしてあげたい”という方向に思考が傾いてしまった。

 恩を返す方法として、短期的視点では明らかに間違っているのだが、彼女は現状のアスラの状況改善がゴーズ家のためになると考えてしまっていたのであった。


 そうして、ロディアはゴーズ家の家庭問題に”善意で”爆弾を投げ入れた。

 彼女は、身を小さくして存在感を薄くする努力をしているアスラに、ラックの状態を伝えて、軽食と飲み物を持たせて寝室へと送り出したのである。


 そんな裏での”暗躍?”があり、アスラはラックの滾っているモノの発散の手助けという名目で、ちょっとしたアレコレをイタシテしまった。さすがに一線を越えるまではしなかったが。

 理性と良識。ほんのちょっぴり、少しばかりは、ゴーズ家の当主様にもそれは残ってはいたようで、ギリギリアウトの状態までで、短時間の発散行為が終えられたのであった。

 アウトはアウトなのだけれども。


 そんなこんなのなんやかんやがあっても、日中の仕事はいつものように関係なく、それぞれの場で執務を処理する妻たちの元へ押し寄せる。

 そして、戦況関連で特に情報が別で入って来ることはなく、状況に変化があるわけでもない1日は過ぎて行く。

 検分に精を出す、不穏な考えを内に秘めた者が混じる集団には、ミシュラが朝からファーミルス王国の宰相の意向として、ラックが昨夜詰めてきた話のさわりの部分を伝えた。

 それにより、要らないことに考えを割く人間が消滅し、検分作業は進んだのだった。


「おはよう。今日もさわやかな夕刻だね!」


 スッキリとした表情でありながら、ちょっとした罪悪感が混じるのを誤魔化している夫の不自然な明るさがある発言。

 それを見て、聞いて、夕食の席を共にした妻たちは、男性特有の生理現象について思い至った。

 そして、他の3人はともかく、ミシュラだけは瞬時にナニカがあったことだけは悟る。

 彼女以外の3人は、同居している正妻が”3人の不在時に何か対応したのだろう”と誤解する余地があったが、彼女はそうではなかった。

 その差が如実に出た。

 「何に?」と言われれば、ラックに向ける視線の温度にだ。

 第1夫人の夫に向けるそれは、絶対零度を凌駕しそうなほどに冷たさを伴っていた。

 だが、今、この場でソレを追及するほど彼女は愚かではない。

 優先すべき話は他にあることを彼女は承知していた。

 後で、じっくり、たっぷり事情聴取される未来が、一時の生理的欲求に流されたお馬鹿には待ち受けているのだが。合掌!


「昨夜の話は、書面で通達した通りですが、何か意見はありますか?」


 能面のように感情が消えた表情でミシュラが問うた。


「ないようだね。では、今後の話に移ろうか。今夜は昨夜行うはずだった前線基地に対しての作戦行動を行う。それとは別で、停戦か終戦をスティキー皇国から引き出す必要がある。本来これは僕らの仕事じゃないけど、他にそれができる者は居そうにない」


 ミシュラの異変を感じ取ってはいるラックだ。

 そして、そうなっている原因に思い当たるモノがあるのも事実。

 やらかした彼は、”早急に詰めるべき話を終えて、話し合う場を持たねば”と気が急いてきたのだった。


「統治している支配下地域に戦争被害を出させないのと、戦果を証明するだけでは済まなくなったか。痛めつけても皇国は簡単に諦めはしないだろう?」


 リティシアが現状を確認する。


「昨日のラックの話から考えた案を、ベースにするのが現実味を帯びてきたわけだな。最も後腐れがないのは、航空機を製造、運用できないレベルまで人を減らして、技術の喪失と国を荒廃させること。魔獣の領域から大型の魔獣を連れ去って大陸内に放す案を私は推す」


 エレーヌは皇国の民にとって、最も慈悲のない案の支持を表明した。

 彼女にとっての皇国とは、戦力をそれなりに持っている大規模盗賊団でしかなかった。

 彼女の中では、それを支える民も盗賊の一味なのだから”情けを掛ける必要などない”という見解である。

 その見解に至った判断理由をもう少し付け加えると、”王国の南部辺境伯領の領都で暮らしていたはずの無辜の民は、皇国の手によって殺されている”という点がある。

 死傷した正確な被害者の数を、ゴーズ家の第4夫人は把握してはいない。が、焼かれて陥落したのが辺境伯の領都である以上、”少なくとも数万の民が死んでいるだろう”と、彼女は考えていた。

 その報復として、皇国を国ごと亡ぼすのが正当化されるのかどうか?

 南大陸にあるスティキー皇国。その国力も総人口も実感できないエレーヌの感覚は、アイズ聖教国が滅ぼされたのを実例として比較しており、その結果には大差がなかった。

 つまり、”そんな国、滅ぼして良い。それの何が悪い?”なのである。


「それも悪くはないが、私は、小型魔獣の魔石の供給元としての属国化するのが良いと判断する。飛行機関連の技術の破棄と製造及び研究の禁止。飛行船の技術者と製造関連の全てをこちらの大陸に接収。要は、技術移転だ。属国化はこの条件を満たした上での話だけれどな。ラックが纏めてきた話。”飛行機の類”に飛行船は含まれていないのだろう?」


 フランは悪い顔で意見を述べた。彼女の言う、「こちらの大陸に接収」とはゴーズ家が接収することを意味している。

 ラックの交渉時の思惑を見透かす彼女は、シス家の現当主が自信を持って嫁に出しただけの見識も才能も持っている。

 皇国を敵として、政治・戦略・戦術・その他の全ての面に渡って、自由に意見を出せる彼女の現状は、正に水を得た魚であった。


「皇国を滅ぼす案は最終手段として保留。当面はゴーズ家に一番利が多いフランの案を叩き台として、細部を詰めたいと思います。貴方。それでよろしくて?」


 ミシュラはこの後、夕食をとりながらもサクサクと話を進め、今後の方針と直近である今日明日の予定も纏めた。

 陽が落ちてまだ間もない時間帯。

 領地として優先するべき話は済んだ。

 そして、ラックが直ぐに今夜の予定を消化する行動に移るには、まだ早い時間だ。

 話し合いの場は解散してフラン、リティシア、エレーヌはそれぞれの任地へと戻る。

 残されたのは、ラックと表情だけは微笑を浮かべてはいるが、静かな怒りを発するのをやめないミシュラの2人である。


「さて。貴方。怒りませんから、正直に全て話して下さる? 今朝、わたくしと別行動になった後、何がありましたの?」


「えーっと。それ嘘だよね? もう既に激おこだよね? すまん。僕が全面的に悪い」


 こうして、ラックは精神的疲労と生理的欲求の滾りからアヤマチを犯してしまったことは、その当日に即バレした。

 形式的には妻の1人に手を出しただけで、本来であれば、問題にされるほどの事柄ではないはずなのだけれど。


 ミシュラに詰め寄られた結果は、「貴方のソレに気づかぬ、至らぬ正妻ですみません」と、目の前で泣かれてしまったゴーズ領の領主様。自らが悪いのを承知していて、いたたまれない気分になり、悟りならぬ猛省の境地へと至る。反省しまくりでミシュラへの謝罪の嵐でござる。しかし、その後の出撃前には”全部、皇国との戦争に原因がある!”と、実に酷い責任転嫁。他者から見れば、ツッコミどころしかない怒りに燃えるラックなのであった。

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