第20話 201号室住人の謎
俺は今、美葉の依頼を遂行するために201号室の前にいる。しかし、インターフォンを5回押しても反応はない。
その直後、背後で雷が轟いた。
横殴りの雨が、俺の背を濡らし始める。
……やっぱりだめか。
部屋の明かりが漏れているから、不在でないことはわかる。そもそも、桐井が外出する姿を誰も目撃したことがないのだから、ほとんどの確率で家の中にいるのだろう。
だが、インターフォンを無視するということは、宅配便も受け取っていないということだ。
彼女は一体どうやって生活をしているのだろうか?
桐井の謎について考えながら10分程粘ったが、やはり反応はなかった。
だが、諦めて踵を返したその時、足で何かを踏みつけた。
それは、雨で濡れてぐしゃぐしゃになった1枚の紙だった。
俺はそれを2本の指で拾い上げた。汚れているが、よく見ると何か文字が書いてある。
――宅配の方は、ドアを三三七拍子のリズムで叩いてください。
……なんじゃそりゃ?
意味が分からず元あった場所に戻そうとしたが、『宅配の方は』という文字が気になった。
もしかしたら、201号室の張り紙がはがれたのかもしれない。
俺は少し逡巡したのち、試しにドアを三々七拍子のリズムで叩いてみた。
トントントン、トントントン、トントントントントントントン――
しかし、なんの反応もない。
俺は諦めて再び踵を返した。
――ガチャッ
その音を聞いて急いで振り向くと、ドアが5cmほど空いている。
よし!
俺は瞬時にドアに駆け寄り、その隙間に足を挟んだ。
隙間から見えるのは、髪の長い眼鏡の女性。目は髪がかかっているのでよく見えないが、口元は無表情だ。
「記者ですか。それとも泥棒、変態、強姦魔――」
またか……。
『記者』という言葉がいささか引っ掛かるが、それよりもここの住人の偶然のワードの一致率にツッコミを入れたくなった。が、ぐっとこらえる。
「いえ、102号室の行川です。話があって来ました」
「お帰りください。警察を呼びますよ」
「家賃滞納は不動産賃貸借契約違反に該当する不法行為ですが」
俺の強い言葉を受け、桐井の動きが止まった。
しばしの沈黙の後、ドアの隙間から彼女が小さな声で呟いた。
「102号室の方という証拠は?」
「前管理人は小桜
俺は、先程美葉からチャットで届いた内容を伝えた。確かにこの情報を言えば信用度は高まる。美葉の妙に聡いポイントだ。
「いえ、大丈夫です。わかりました」
「そうですか……良かった」
「……今月分の家賃、そういえばお渡ししてませんでしたね。忘れていました、すみません。でも管理人さんが来なかったので」
「管理人が変わったんです。何度か桐井さんの家に行っても出ないので俺が来ました」
「先程前管理人とおっしゃっていたのが気になっていたのですが……そうですか、管理人さん、変わってしまったんですか……」
すると突然、すすり泣く声が聞こえてきた。慌ててドアを開ける。
「ど、どうしたんですか」
「いえ……あ、家賃ですよね……上がってください……」
桐井は控えめに泣きながらも俺を部屋に入れた。初対面の女性の部屋に入ることになり、緊張感を覚える。
彼女は俺をちゃぶ台の前へ誘導したあと、タンスをがさごそと漁り始めた。そのタンスの横には大きなデスクが置いてあり、周囲には紙が散乱している。
「あの、これを……すみません、遅くなって」
俺の正面に座った桐井は、封筒をすっと差し出してきた。
深く頭を下げる彼女。長く繊細な黒髪が顔全体にかかる。
しかし、頭を上げると同時に彼女が黒髪を耳にかけると、素顔が露わになった。
日本人形のような人間離れした面持ちで、
前髪を切り、眼鏡を取ればかなりの美人であるに違いない。
「次からはインターフォン、きちんと出てくださいね」
「そ、それは……」
「何か不都合でもあるんですか?」
「……」
桐井は俯いて口を噤んでしまった。
管理人の交代にいきなり涙したり、頑なに人の訪問を拒んだり……きっと彼女は何か問題を抱えているに違いない。
しかし、今の様子だと直球で聞いても答えてくれそうにないので、話題を変えることにした。
「あの、この張り紙が落ちていました。これを玄関に貼っていたら宅配業者以外の人にも見られてしまいますよ?」
俺は先程拾った紙を差し出した。
「それは……あの、張り紙じゃないんです。宅配業者が訪れた時に前管理人さんが配ってくれていたもので……どなたか、この辺で捨てたんでしょうね。でも、地区の配送担当はそんなに頻繁には変わらないので、今のところ皆さん、紙の通りにノックしてくださっています」
「なるほど……でも、どうしてそんなことをしてまで」
「……」
ダメだ、また口を噤んでしまった。話題変更だ。
「……家からはどれくらい出てないんですか?」
「半年ほど、でしょうか。必需品はネットで注文しています」
「そんなに……お風呂は? ここ、風呂なし物件ですけど」
まさか、半年も入ってないってことは……一瞬動揺したが、桐井はキッチンの方を指し示した。
「……え、キッチン?」
「はい。髪の毛はシンクで、身体は濡れタオルで拭いています。ビニールプールもあるので、週に1回は入浴もしています」
「どうしてそんな不便な生活をしてまで……」
「……」
ああ、ダメだ。また黙ってしまった。
真相が気になりすぎてつい深堀してしまう。
俺が次の質問を考えていると、桐井が小さな声で尋ねてきた。
「前管理人さん、どうされたんですか?」
「ああ、俺もよくわからないんですが、どうやらご病気みたいで。ご家族の小桜美葉さんが今の管理人ですよ」
「そうですか……」
「あの、管理人さんとは親しかったんですか?」
俺の問いかけに、桐井の身体がピクッと反応した。
顔がほのかに紅潮している。
そして――
「管理人さんは……初恋の人なんです」
俺は、耳を疑った。
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