譚ノ二

 満ちて、溢れる

 けれども足りなくて

 もっと、もっとと心が叫んでいる

 後どれくらい重ねれば満たされきるのだろう



****




「やぁ。腰は大丈夫かい? じっ様」


 綺羅々から手紙をもらった翌日の午後。

 紫月は煉を伴って京ノ都中央病院の一室を訪れた。

 午前中は紫月が全く目を覚まさなかった為、最も暑い午後にお見舞いに訪れることになってしまったのだ。


「おぉ~。鬼喰の紫月がお見舞いに来てくれるとは、寿命が延びる思いじゃのぅ」

「義理姉様と同じくらい生きている狸のじっ様なんだからこれ以上、寿命が延びてもただの老害だね。義理姉様ならともかく、じっ様はとっとと今の地位を降りて次世代に全てぶん投げ、どこか遠くの山にさっさと隠居することをお勧めするよ」

「老害じゃとは、相も変わらず毒舌一族じゃのぅ。まぁ、さっさと娑婆を去れと言われるよりはマシじゃ。わしゃまだまだ若いもんには負けんわい。どうじゃ? わしの元に嫁いでは」

「あはっ。全力でごめん被るよ」


 見舞い品だと豪華なフルーツの詰め合わせを置いて、紫月と煉は彼の病室を出た。

 綺羅々から頼まれているのは彼の病状について聞くことも含まれている。


「やれやれ。元気じゃないか。狸が“人”のフリをして病院の、それも料金が一番高い病室に入院するだなんて滑稽だね」

「そういう俺達も“人”の姿を借りているのは滑稽ではないのか?」

「さて。それについては滑稽かもしれないし、そうじゃないかもしれない。ボク達が“人”の姿をしているのは昔に“人”と深い繋がりがあるからさ。……多分、ね」


 ただ、と紫月は言葉を続けた。

 長く生きれば生きる程、昔のことは曖昧となっていく。

 “人”と深い関わりがあったから“人”の姿が強く各々のイメージに反映されているだけだろう。

 不意に、自分達の後ろからざわめきが聞こえて振り返った。

 先程すれ違った患者の内の一人だろうか。

 突然容態が急変したのか廊下に座り込んでいた。

 女である。

 そんな彼女を見るなり、偶然通りかかった看護師が慌てて病室へと連れていく。


「煉。“人”は脆いね。さ、早く先生の話でも聞いて帰りは夏バテ防止に鰻丼でも食べようか」

「……そうだな」


 お見舞いに行った翌日。

 この日も気温は高く、日射しが容赦なく降り注ぐ日だった。

 だが紫月の邸内はクーラーという文明の利器のお陰で夏だろうが冬だろうがいつでも紫月にとって快適である。

 夏は過ごしやすく、冬は温室どころかサウナ並に。

 その分、金がかかっているのではあるが……。


「やっぱり冷暖房がないともはや生きていけないね。特に冬」

「それはお嬢だけだ。夏はともかく、冬は暖房にストーブに高温で……どこの我慢大会だ」


 暑い場所にいても汗一つかかない煉を呆れた目で見ると、紫月はおもむろにテレビをつけた。

 連日報道が続いている。

 熱中症だ。

 この数日でさらに人数は増えたらしい。

 京ノ都も含めると全国的に熱中症だと診断されている人数がかなり多い。


「……増えたね」

「何か気になることでもあるのか?」


 そう見えただろうかと紫月が問えば、煉は静かに頷いた。

 義理姉の言いつけとはいえ彼女があっさりと見舞いに行くのを了承したことに煉は引っかかりを覚えていた。

 毎日利用されていないテレビでニュースをこの所よく見ている。特に熱中症のニュースを。

 熱中症の人数など、煉達には特に必要な情報とも思えない。


「アイドルとやらの次には病院に“鬼”でもいるのか?」


 熱中症の報道が終わると、紫月はテレビを消して煉を見る。

 それはもう……綺麗な笑顔で。

 狸のじいさんといい、紫月といい、一体どこまで考えて行動をしているのか煉には分かりかねる。

 何も考えていないかと思えば彼女達の考えていたように事は進んでいるようで。

 ただ紫月の笑顔に煉は納得がいった。

 きっとどこかに“鬼”が潜んでいるのだろう。


「見つかるのか?」

「さて。なるようになるさ。そうそう、昨日、人気アイドルグループを卒業した子、二人ほどいただろう?」


 昨日の歌番組を思い出して煉は頷く。


「あの子達もここの病院に入院したんだってさ」


 いつそんな話を聞いたのだろう。少なくとも、午前中に煉が買い物に出かけている時くらいしか思いつかない。

 紫月の話では葉山の狸のじいさま情報だということだ。


「京ノ都中央病院は大きい病院だもんね。他にもやっぱり熱中症と疑わしき病状で入院したり医者にかかったりしているそうだよ」

「今日買い物でもこんな話を聞いた」


 と、煉は買い物先で小耳に挟んだ話を紫月に伝える。

 儀園神社近くの商店街で八百屋を営んでいる女性曰く、近所に住む病院に勤めている医者一家の息子も、突然熱中症と疑わしき病状で倒れたのだとか。


「さて。どんな“鬼”が関わっているのやら」


 楽しくなりそうだ、と紫月は呟くと同時に、小さく笑ったのだった。

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