第56話 自由

 この攻撃は避けられない。

 自分に迫る火球をみつめながら私は不思議と冷静だったわ。

 もしかしたら死ぬかもしれないのに……


「逃げることはできまい! 燃え尽きろ」

 暗殺者は狂気に満ちた笑いを響かせている。


「やれるものならやってみなさい。その程度の魔力で私たちの理想は崩せないわ!」

 私はそう叫んで目を閉じた。

 やれることはやった。

 改革の火は灯されたはずよ。たとえ私がここで倒れても、私の理想を受け継いでくれる人は必ず出てくる。


『クロニカル叙事詩』はもうすぐ出版される。この国の発端は自由を求める声だったはずよ。あの叙事詩にはそれが詰まっている。少し勉強すれば今まで貴族が独占していた知識も解放される世界がもうそこに迫っている。伝えたいことは、あの出版ですべて伝わるはず。


 時計の針はもう進んでいるの。

 元に戻すなんて誰にもできないわ。


 エル=コルテスは――いや、クルム王子をはじめとする保守派はそれを理解できていないのよ。だから、こんな時代遅れの手段で私を消そうとする。


 変革を求める民衆の意思は、もう誰にも止められないのだから……


 火球の熱が伝わってくる。

 いい人生だったわ。


 絶望を味わったこともある。でも、その絶望も村や仲間たち、そして、アレン様が埋めてくれた。絶望を超える希望を周囲の人たちが私に注いでくれたわ。


 だから、もう後悔なんてない。

 少しでも幸せになりたかった。誰かに本当に愛されたかった。死ぬにしても、愛してくれる人に囲まれて死にたい。あの絶望の日に考えたことは、もうかなってしまったんだから……


「言っただろ。姫を救わない騎士なんていないってさ」

 

「えっ?」


 不意に大好きな人の声が聞こえた。

 アレン様だった。

 彼はいつの間にか私の前に立っていた。腰の剣に手を伸ばしている。


「愛する人を目の前で奪われては、カステローネの英雄の名が泣くさ」


 彼は美しい所作しょさで剣を抜く。しなやかな剣先があざやかに火球の中心を貫いていく。それはまるで、神話の世界の出来事のように美しい光景だった。


 私たちにぶつかる直前で魔力は二つに分かれて崩壊していく。


 こんな芸当ができる人なんてたぶん世界にほとんどいないはずよ。

 高速で移動する魔力の核を精確にとらえる必要があるから……


 少しでもずれてしまえば爆発するであろう魔力の塊を二つに切るというのは想像以上に難しいはず……


 それが一瞬の状況でできるのが――


 カステローネの英雄たるアレン=グレイシアなのね。


「ケガはないか、ルーナ?」


 最愛の運命の人は、いつものように私に優しい笑顔を見せてくれた。


 私の胸は高鳴り続けている。

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