第36話 取引

「それで知事選はどうしますか? 知事選で閣下が勝たなくては『クロニカル叙事詩』の出版ができなくなってしまいます」

 一番の問題はそれね。万が一、選挙で負けてしまえば叙事詩は嫌がらせを受けて永遠に出版できなくなるかもしれないもの。


 でも、選挙に勝っても出版は相当遅くなるわ。

 そうなると私たちの理想を叶えるのも遅くなってしまう。


 難しい問題ね。


「ああ、それについては私に考えがある」

 閣下はゆっくりと笑った。


「考えですか?」


「取引をしようと思うんだ。私の出馬を取り下げる。その代わりに出版を認めさせる」


「えっ、でもそうすると出版はできてもこの地域を改革の拠点にできなくなりますよ。閣下あっての新党です」


「それは違う。私はあくまで広告塔に過ぎないよ。昔から働いているから有名なだけだ。私はあくまでシンボルになればいいんだ。無理に頭になる必要はない。老人が無理に時代を変えようとするのも良くないしね。私に代わる後継者が出てきてくれたんだ。その人に任せて、私はサポートに回るつもりだ」


「その後継者って?」


「キミのことだよ、ルーナ。キミが自由党の当主になってくれ」


「私なんかじゃ皆をまとめきれません。それに私は隠れて生活している身です。表に出てしまっては……」


「大丈夫だよ。キミは何も悪いことをしていないんだ」


「えっ?」


「公式発表ではキミは、災害の拡大を抑えきれなかったため責任を感じて自ら命を絶っている」


「はい」


「だから、キミが奇跡的に生きていることに何の問題もないんだよ。こういうシナリオだってできる。キミは自ら命を絶とうと崖から落ちたがかろうじて助かった。しかし、怪我の影響かつい最近まで記憶を失っていて救助してくれた村の人たちと一緒に生活していた。これでみんなが納得する物語が出来上がる」


「でも」


「たしかに嘘をつくことになる。だが、すべての真実を話してしまえば、王子の陣営まで追い詰めることになる。追い詰めすぎるのはよくない。キミや村の人たちにまで危害を加えられるかもしれない。この物語なら向こうも、キミを暗殺しようとしたという真実はぼやけているから貸しを作ることもできる」


「危害?」


「真実を知るキミや村の人たちを皆殺しにして、別の物語を作り出すとか……」


「……」

 そんなのは絶対にいやよ。私のせいで被害者が出るのなんて耐えられない。


「だからこそ、キミの生存をできる限り穏便な形で表に出す必要がある。最悪のパターンは今のまま秘密にしている時に、王子が偶然キミの生存を知ってしまうことだ」


「その時は……私たちは秘密裏に処理される」


「そうだね。だからこそ、キミの生存をアピールしておいた方がいい。その方があいつらも表立った動きができなくなるからね。いいか、ルーナ殿。決断する時だ。キミは表舞台に立たなくてはいけない」

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