第9話
炎の手が迫りくる。全方位から円を狭めるように。僕たちを締め上げるように。
「どうやって切り抜けるんだ?」
「消火ァ!」
キリルが抜刀し刀を振るうと、軌道上を辿るようにキラキラと光る粒子が空を走る。
今までは気づかなかったが、背景に轟轟と燃え盛る森が、空中の水分を氷結させる剣の軌道とのコントラストを彩る。その所作は美しいとしか言いようがなかった。
「|ICE・3≪アイス・スリー≫!!!」
炎に走り寄ったキリルが辺りを氷漬けにしてゆく。その冷気は燃え盛る炎ですら一瞬で鎮める。
森であったものは、今や炭化した何かが氷漬けになっていた跡地となっていた。氷点下と灼熱の狭間で、人1人分漸く立ってられるくらいの空間しか、僕の居場所は許されていなかった。
刹那、火の手が回っていない向こうの森の中からこちらを見ている死神を見た気がした。それは黒いフード付きのパーカーのようなもので全身を覆っており、背中には身長の2倍はありそうな長さの鎌を携えていた。ちらっと見える顔は不気味なほど真っ白で、まるで骸骨のような色見だった。
瞬く間に、それはふっと姿を消し去って行った。目を凝らしてそれの行き先を探していると、後ろからバチバチと勢いよく炎が燃え盛る音で正気に戻る。
「まだ後ろから迫ってきてる! 走れ、キリル!」
2人で山を駆け登り駆け下り、様々なトラップを捌いていった。明らかに色がおかしい沼は僕の跳躍でひとっ飛びし、降り注ぐ矢はキリルに抱えられて共に氷の鎧に守られた。数々のどでかい落とし穴を踏んでは脱出し、飛んでくる刃物や鈍器を躱していく。
何かが仕掛けられてるとわかれば、森の不自然な箇所は大体察することができる僕と、身体能力と反射神経での暴力で全てをねじ伏せるキリルの合わせ技で乗り越えていけた。
どうやら罠だらけのエリアは抜けたようだった。
気づけば日は傾いており、昨日に引き続き1日中山を駆け回っていたおかげでヘトヘトだった。足は限界にきており、ガクガク震えている。立っているのもやっとだった。それはキリルも同様のようだ。
「なんとかなったみたいだ……。お腹すいた……」
「だな……。もう今日は持ってる食料でいいだろ」
キリルに同意だった。背負袋をあらためようとすると、重大なことに気が付く。
「あ……。底抜けてる……」
「ハァ!?」
背負袋の一部が裂けていた。荷物のほとんどはどこかに落としていってしまっていた。文字通りのもぬけの殻。当然、ごはんどころか水すら残っていない。
「どうすんだよテメェ!」
キレたい気持ちはわかるが、僕だけのせいじゃあないだろ。
ワーワー騒いでいるキリルに言い返そうと彼の手元を見ると、憎たらしいことに何の役にも立たないキリル図書館の数々はキチンとそこにあった。
「生きてるだけでラッキーだろうが……。逆になんでそんだけ重いものもって生き伸びてるんだよ……」
「これは命より重い。これを手放すときは死ぬ時だ」
「そんな決意に巻き込まれないことを祈るよ……」
うわぁ、どうしようもない。何か食べられるものを探しに行こうにも、足が言うことを聞かない。
僕たちの持ち物は破れた袋と、その内側に縫い付けられた得体のしれない仕掛けが入った手紙。それと破れてない袋に入った本の数々。
本って食べられたっけ? 確か紙って食えた気がするんだよなあ。これだけ空腹なら紙だっておいしく頂ける自信がある。
そんなことを考えていると、意識が遠のいていく。どうやら食欲よりも睡眠欲が優っているらしい。これは逆らえない。
瞼が重い。本の入った袋に手を伸ばすが、キリルが引き寄せたのか、ヨロヨロと逃げて行ってしまった。せめて、せめてあれだけ食ってから寝ないと死んでしまう。死んでしまう……。
※ ※ ※
「朝だぞ起きろー! オハヨー!」
目を開ける。どうやら死んではいないみたいだ。
声の方向に目線を向けると、1人の女性のシルエット。それはまるで後光が差しているかのように朝の陽差しを受けていた。
「誰……?」
「お、目が覚めた! 私はリュカ。ミナミ・リュカ。よろしくな!」
快活で大きな声。しかしながらその大音量が不快にならない。耳に優しく抜けるような響きを持つ、透き通った声色。
起き上がると、お腹の虫が大声で鳴く。
「アッハッハ、腹減ってるんだろ? 飯用意してるから、ちょっと待ってな!」
出てきたのは芋虫と野草が入っているスープだった。色合いは普通においしそうだ。普段であれば芋虫なんて入っていれば即食欲減退必至だけれども、それを差し引いて尚勝る食欲が、如何にもお手製といったような木彫りのお椀にがっつかせる。
「う……、うまい!」
空腹だからなのか、実は芋虫は美味しいものだったからなのか、とにかくスープはおいしかった。
「良い食いっぷりだね! 外から人がくるなんて久しぶりだから、嬉しいなあ。それに2人も!」
そういえばキリルはどうしたんだろう。
目の前の女性に聞こうと、お椀から顔を上げる。対面に座っているミナミのスラっとした足が見える。毛皮の肌露出が多い服装で、足も腕も覆う部分が少ない。冬は抜けたとはいえ、寒くないのだろうか。
身長はキリルほどではないが、女性にしては高く、頭一つ分以上は僕よりも大きそうだ。身長が高いせいか、胸やお尻のふくらみがそれほど豊満ではないように思えるけれども、おそらく村にいた娘達よりも大きそうだ。
キリっとした釣り目と意思の強そうな灰色の瞳が似合う美人。肌はキリルほど白くはないが、僕たちとそれほど変わらなさそうだ。髪は肩まである後ろ髪を縛っているポニー・スタイル。さらに頭頂部には左右対になっている小さな角。……角?
「な、その!? あなたは? その角は何?」
キリルのことなどすっかり忘れ、目の前の女性が人間ではないという疑念が湧いて出る。人間を太らせた後に食ってしまう、なんて御伽噺があった気がする。最早どちらの世界で聞いたのかは忘れてしまったけど。
「ああ、これか。隠しても仕方ないからな。私らは『鬼』って呼ばれてる。人間の遠い親戚、らしい。安心して、ここにはキミみたいな人間もいるから!」
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