第5話 

 黒い魔物が悲鳴を上げ、狙いをつけていた僕から軌道が逸れて滑って行った。僕の前に降り立った黒い長髪は刀を構えなおし、再びこちらを向きなおした魔物と対峙する。


 「お前、なんでここに!?」


 「うるせえ、黙ってろ」


 再び魔物は距離を詰める。一瞬で目の前まで迫りくる脚力にキリルの反応は劣らず、ギリギリで左にステップで避けつつ斬撃を与える。先ほど傷つけられた右前足がズタズタにされてバランスを崩し、その巨体が僕の真上に倒れて来る。


 「うわうわうわ! 庇いながら戦うとかじゃないのかよ!」


 慌てて地面を思いっ切り蹴り、なんとか飛んでくる魔物を避ける……。つもりであった。この際なぜ突然体が動けるようになったかは置いておいて、僕の脚力がまるで自身で把握しているものとは別物かのように、僕の体を吹っ飛ばした。

 

 「どわーーーーーーーーーー!!!!」


 ガサガサガサと茂みの中に放り出される僕を尻目に、キリルは魔物の突進を鮮やかにかわしながら少しずつダメージを与えていた。その足取りは、次の瞬間に魔物の口から火が噴いても躱せそうな余裕を感じさせた。

 剣術も然り。彼は無理な攻撃をしない。全ての攻撃にカウンターを合わせるのではなく、100パーセント安全と思ったところで攻撃を繰り出しているようだ。普段の口調からは考えられないくらい堅実な戦い方に感心する。

 次々と繰り出される斬撃に、魔物の動きは徐々に鈍ってゆく。よろよろと死にかけの魔物に最後、胸部に一突きで止めを刺す。


 「終わったぞ。出てこいマヌケ」


 僕はガサゴソと隠れ蓑となっていた茂みを出て、転がっている魔物に近づく。


 「これ、ホントに死んでるのか?」


 「そういうのはお前の仕事だろ。今夜の飯になるんじゃねえか?」


 「冗談よしてくれ。魔物は食えないって、知らないのか? 肉体的にも精神的にも寿命縮むよ」


 突っついても叩いても揺さぶっても、魔物が起きる気配はなかった。食料にしようとも、日が暮れかかっており尚血の匂いを漂わせているこの場所に留まる危険は大きい。そもそも魔物の肉は万病の基だ。


 「狸取れたんだ。これでいいだろ」


 拠点としていたボロ家に帰りながら薪になりそうな、乾いた枝を拾ってゆく。玄関前で薪を組み、ナイフで削って着火用のおが屑を作る。灯した火がある程度育ったら、狸の処理だ。

 当然水は見当たらないので、洗浄は諦める。皮を裂き胸を開くと、綺麗な内蔵が出てきた。食べても問題なさそうだ。内臓を取り出し、食べる部分だけ持っているなけなしの水で多少洗い流す。使わない部分は加工もできないし虫が湧くので、遠くに捨てておく。あとは焚火で焼くためにキリルに作らせた組木に縛り付ければ完成だ。


 「あれだけヤベエ奴と戦って、晩飯がこれだけかよ。もうちょっと労わってほしいぜ」


 「十分御馳走だろ。先が思いやられるな」


 「塩とか持ってないのか? 確かカミナは温泉から塩作ってたよなァ?」


 「あ、持ってきてねえ。あればいろいろ便利だったんだけどな。もちろんあってもここでは使わない」


 「ケチくせえなあ。ホントは持ってんじゃねえか?」


 「おいやめろ! 僕のバッグまさぐるんじゃねえ!」


 腹を満たすと、キリルは村を追い出された経緯を話し始めた。

 ……マジで大量殺人犯じゃないか。

 同乗の余地はある気がするけれども、目の前の人間が二桁越えの殺しを今しがたやり終えたのだと思うと、やはり怖い。そしてこんなやつと寝なくちゃいけないのか。  

 ……聞かなきゃよかった。

 

 「善悪の話はわからないし、正直僕にはわからないから口出しするつもりはないけどさ。警防隊の人たちまで殺すことはなかったんじゃないの。強ければ峰打ちで完封! みたいなさ」


 「そこまであいつらも弱かねえよ、舐めすぎだろ。殺す気で行かなきゃこっちが殺されちまう。お前こそ山に慣れてるとか豪語してる割には、さっきのみっともねえ醜態はなんだ?」


 「仕方ないだろ。魔物なんて滅多に出ないし、出たとしたら僕たちの出番はないんだから」


 「鍛えてやろうか? この俺様が指導してやれば、イノシシくらいは倒せるようになるだろ」


 そういうのは暴力担当まっしぐらな方にお任せしたい。


 「ところでよォ、お前のこの手紙ってのは、まだ開けてねえのか?」


 いつの間にかキリルの手元には、コロンボ爺ちゃんから貰った手紙がヒラヒラと揺れていた。


 「あっ、いつの間に!」


 「こういう手品も得意でなァ、嘘だけど。まだ見てねえなら見てみようぜ。命懸けて届けるんだ、それくらい許されるだろ」


 「いや、まずいって!」


 僕の制止も聞かずに封に手をかける。爺ちゃんの性格を良く知っている僕ならわかる。開けてはならないと言って渡すものは開けられる前提で渡してるものだ。素直に手紙だけが入ってるわけがない。


 ボンッ!


 大量の煙が部屋を包み込む。ゲホゲホと咳込む二人が、なんとか玄関を開けて屋外に這いずり出る。

 

 「思い出したぜ。ラオ・コロンボって、あの山伏の爺さんかよ。先に言ってくれれば開けなかったぜ。ロクでもねえもん仕掛けやがって」


 「警告する前に行動するお前が悪い。というか知ってるのかよ」


 「何年か前に、こっちの村の会合でな。なぜか体術の稽古をつけてもらった。その上修行の一環とか言って井戸に落とされるわ、罰ゲームと称して屋根の上に立って大声で叫ばされるわ、とんでもねえ奴ってことは覚えてる」


 ああ、崖から突然突き落とされたり木に縛られて一日放置されたりっていうのはとんでもないことだったのか。そう言われればそうだ。こっちの世界に転生してコロンボ爺ちゃんとしか仕事をしていなかったのでそういうものかと思っていたけど、そりゃあそうだよな。思えばスパルタな指導方針のお陰で、すこしは弱虫が治った気がする。現にこんなにこわーい殺人鬼を前に会話ができているのだから。


 「ハハハ……。換気もできたし、中戻ろうか」


 本当にロクでもないことばかり起こる日だ。

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