第3話 傘越しに見る雨。 04章
いつもより暗い室内。カーテンの向こう側から雨音が響いてくる。こんな日の朝は特に苦手だ。湿気でいつも以上に寝癖が大変なことになっている頭を、再び布団で覆いたくなる。けれど今日は人と会う約束がある。朝から大学へいって、そのまま昼に池田さんと怪しげな宗教団体の人と会って除霊だ。気合を入れるためにもヘアセットはバシッと決めたい。
ゾンビみたいな格好でバスルームへ行き、キノコみたいに広がった頭をジェルでなんとか思い通りにした所で、池田さんからメッセージが来た。今日はよろしくお願いしますっという言葉が彼女らしい丁寧な文で書かれていた。返事を打つスマホの上を滑る指にはジェルネイルが光る。昨晩寝る前に睡眠時間を削ってまで格闘した甲斐がある。お気に入りの天使の羽のピアスに、これまたオキニの白のショートワンピ、パンツは古着屋で見つけたビンテージのデニムだ。鏡の前で出来上がった姿をまじまじと見るが、雨の日にしては上々である。これから大学ではなくて彼氏とのデートだったら、もっとテンションが上がるのだろうけど。
いつもと変わらない道をちょっとおしゃれな姿で歩くと、周りの風景が変わって見えてくる。だから大学で同じ学科の友達と会っても、民族学のラジオのような講義を聞いていても、退屈な日常ではないような気がしてくる。
実際、もうすぐ終わる2限目の後はいつもとは違う世界へダイブするのだ。
時間は13時少し前。透明なビニール傘のはるか上空からは、依然としてシトシトと雨粒が落ちてくる。池田さんとはいつもサークル活動をしている体育館の前で集合だ。待ち合わせ時間より少し遅くなった。私がもう少しで着くという時に、ちょうど同じように向こう側からピンクの傘を差した女の子がひとり歩いてくる。白いブラウスにブルーのスカート姿の池田さんだ。
「今日はありがとうございます。 私すごく緊張してて・・・・・・」
「おはようさん! 大丈夫!アタシも緊張してるから! ひとまずバス停まで行こうか。」
2人並んで水たまりの出来た道を歩く。ちょうどバス停に着くとすぐにバスが到着した。途中何度か左腕の時計を確認しては、ため息をついている。私が半ば無理やり連絡を取ったのだが、昨日の今日では無理もないだろう。そのまま一番うしろの席に陣取って他愛もない話を振ってみるが、池田さんはどれも生返事だ。
今日はそれなりに他の学生も利用している。天気が良くないことで普段利用しない人も乗車しているのだろう。車内はじっとりと湿った空気に満たされているだけで、誰も言葉を発していない。
途中何度かバス停に止まり、思っていたより喫茶店に着くのが遅くなった。ちょうど表に傘を立てようとした時に、しっとりと降っていた雨の勢いが増し一層辺りが暗くなった。店内に入っても以前と比べ少し暗い雰囲気だ。お客さんも私達以外誰もいない。
あまり人に聞かれたくない内容だから、今日は一番奥の席にする。それぞれが頼んだ紅茶が届く頃には、隣に座っている池田さんも少し元気を取り戻したようだ。
「私すごく緊張しています・・・・・」
「それはさっきも聞いたよ。 大丈夫! もう後には引けないしっ 何より池田さんはひとりじゃない、アタシが隣にいるから。 頼りないかもだけど、いざとなったら逃げちゃえばいいしね!」
そう言って笑う私を見て、今日始めての笑顔を見せる。ちょうどその時、入り口のドアベルが鳴った。入ってきた人は、店員さんと一言二言会話をしてから、ゆっくりと私達の座っている席へ近づいてくる。
「池田さんでよろしいでしょうか?」
振り返るとグレーのスーツを着て、ホワイトゴールド色の髪をした男がいた。
そのまま男はこちらの返事を聞かずに、空けておいた向かいの席へ座る。
「改めまして。私、黒崎と申します。」
ジャケットの内ポケットから一枚の名刺を出してきた。「ラプラス 黒崎 一郎」とだけ書かれている。胡散臭いにもほどがある。むしろ名刺に「●●組」という肩書が書いてある方がしっくりくる。
「・・・・・あの~ 今日はわざわざありがとうございます。」
先程まで石のように固まったままだった池田さんがおっかなびっくりな様子で話し出した。
「・・・・・その実は・・・・・・。」
「大丈夫です。 承知しております。」
それを遮る黒崎という男。目が狐のように細く、何を考えているのかが読めない。
「貴女はここからそう遠くない林の中で女の人を見た。 その人は全身濡れており、まるで生気を感じ取れなかった。 それは正しく霊。 貴女自身そう感じたはずです。 今も貴女の後ろにへばりつくような形で、恨めしい顔を覗かせています。」
隣から小さな悲鳴が聞こえた。霊能力者と言われるものに、この時初めて会った。まさかこちらが状況を説明する前に詳しい話を言い当てるとは思わなかった。けれどそれ以上に今この場に霊がいることの方に驚ろかされた。たぶん彼女もそれが何よりショックだっただろう。
「・・・・・・なんで・・・・。 なんで私が? なんで私だけがこんな目に?」
「その場所に何故その霊がいたのかは、分かりかねます。 ただ、たまたま貴女がそこに来た。 そう。 不慮の事故と言ったところでしょうか。」
「・・・・・事故?」
「はい。 その場所に霊がおり、偶然貴女がそこに行ってしまった。 タイミングが悪かっただけです。 よくある話です。」
黒崎が大げさに両手を広げて笑う。いや笑っているのだが、目は全く動かない。なんとも薄気味悪い顔を見せてくる。
自分に起こったことを改めて実感したのか、池田さんは机に伏せて泣き出してしまった。
それを見て少し困ったような顔をする男。私は横でシクシクと泣くのをなだめながら、彼女の言葉を代弁する。
「どうにかならないんですか?」
「除霊します。 そちらの方から霊を剥がして、消し去るのです。」
それに反応して池田さんが起き上がる。目は赤く腫れている。
「っお願いします! お金なら・・・・・・。 なんとかするので!」
「承知しました。 それではすぐ始めましょう。」
「・・・・・・ここでですか?」
「はい。 問題ありません。」
2人で顔を見合わす。除霊というとテレビとか映画の影響か、火を焚いたり、仏像の前などでお経を唱えるイメージが強い。だからこんな普通の喫茶店で行うなど夢にも思わなかった。
「けれどその前に、大変申し訳ないのですが昼食を先に取らせて頂いてよろしいでしょうか。」
こちらの返事を待たずして、私達の後ろに手で合図を送った。すると直ぐに店員さんがたこ焼きとウィンナーコーヒーを持ってきた。ここまでの展開が全て分かっていたようだ。
「池田さん大丈夫?」
「・・・・・・はい・・・なんとか・・・・・・。」
机を挟んだ向こう側で、たこ焼きを次から次へと口に入れていく。その様子を尻目に、2人で小声で会話する。
「私、最初は恐かったけど、今はもうこの人に頼るしかないと。そう思っています。」
「・・・・・・確かにね。 だけど・・・・・・。」
先程まであったたこ焼きはきれいに平らげられ、口元をハンカチで拭いている。こちらが伺っているのに気がついたようで、男はその薄い目を少し開いた。
「何かご不満でもあるようでしたら、除霊はまた次の機会にしましょうか。 ただその場合、何分忙しい身ですので、いつになるか。」
「いえ大丈夫です! お願いします!!」
顔は怯えていたが、はっきりした声で池田さんが言い放った。
「それでは早速始めましょう。 私の除霊は文字を使ったものです。 まず始めにこちらの紙に貴女のお名前をご記入下さい。」
黒崎はそう言って半紙を真四角に切ったような紙を出した。そこに受け取った良く分からない模様が描かれた万年筆で自分の名前を書いていく。池田さんの文字はとても達筆だ。
「ありがとうございます。 ところでお隣の貴女。大変申し訳ありませんが、少し離れて頂いてもよろしいでしょうか。 そうですね、 隣の机に移動していただけませんか?」
いきなり何を言うんだ。この状況で離れたら池田さんは余計に怖がるのではないか。そう思って彼女の方を見ると、困ったような顔をしている。そしてしばらく考えた様子の後、大きく一度うなずいた。
これには私も素直に従う他なく、自分の紅茶をわざと大きな音を立てて一口飲み、通りを挟んだ席へと移動した。仕方がないことだが、ここなら何かあってもすぐ対応できるし、別に見えなくなった訳でもない。そう心の中で自分を慰めた。
向こう側にいる2人がお互いに向き直り、改めて黒崎が先程と同じような紙を出して何やら文字を書いている。そしてその紙を先程の名前が書かれた紙の上に乗せ、何やらつぶやき出した。
次の瞬間、池田さんが胸を押さえて苦しみだした。慌てて彼女の元へいこうとするが、黒崎に止められる。
「動くな まだ始まったばかりだろ?」
先程までの声とはまるで違った。まるで蛇の警戒音のように鋭く尖っている。
黒崎はそのまままた何かつぶやくように呪文を唱える。苦しむ池田さんの額には汗がにじむ。やがてゆっくりと上体を起こして垂直に座った状態になった。何が起こっているのか全く分からない。
『 ・・・・・・うぅぅっぅぅっぅ・・・・・・ 』
池田さんの目から涙が流れている。けれどその瞳に生気が感じられず、焦点が合っていない。
相変わらず喫茶「風ノ唄」の外では雨が降り続いている。時折、窓に風がぶつかる音だけが店内に響いている。
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