第2話  天色の空。 06章

 俺はぼんやりと床を眺めていた。佐藤と別れてからどれくらい時間が経ったのだろうか。お尻が冷たい。ここ3階講義室は心地よい風で満たされている。2時間ほど前には哲学の講義を受けていたと思ったら、気がついたら幽霊と話をしていて、走って総務課へ行ったり、自分ではない死に際の記憶を垣間見たり、まるでさっきまで幻を見ていたかのような感覚だ。


 (あの人は・・・・・ ちゃんと自分の行くべきところに行けたのかなぁ~)


 そんなことを考えていると鐘の音が響いてきた。まるで俺の疑問に対する答えのような気がしたが、すぐにそれが2限目の終了を告げるものだと気がついた。扉の向こうに学生達の声があふれかえる。俺は立ち上がりお尻についたホコリを払うと、ずっと机に置いたままになっていた鞄を取り、講義室を後にした。


 おぼつかない足で学食へ向かっていると、前から向かってきた数名の学生の集団が脇に避け俺の顔をじっと見てきた。そして俺が通り過ぎた後で何やらひそひそ話をしている。広場まで行く途中で出会う人、みんながみんな同じような反応をしてくる。けれどその時の俺は極度の空腹と非現実的な体験をした後の脱力感に襲われていて、どこか他人事のように思えていた。


 もう少し行けば食堂が見えてくるというところで、急に横から首根っこを掴まれた。俺はその強引な腕に誘われるまま、近くのベンチに無理やり押し倒される形で座った。ニヤリと笑う緑川の顔が目の前にある。口角が上がっているが目は笑っていない嫌な笑い方だ。


 「お前はかバカか⁉ いやバカか・・・・・・ 大体予想はつくけど・・・・・・ 何があった⁉」


 ライオンの前に立ったウサギの気分だ。愛想笑いを浮かべるが逆効果のようで睨み返された。俺は一度大きなため息をついてから、1限の終わりからさっきまでのことを一通り話した。


 緑川は俺の話を時々うなずきながら静かに聞いてくれた。話が終わるとそっと手を俺の頭に乗っけた。それに何の意図があるか分からないけど、すごく安心はした。


 「––––––あの時、結局何かわからなかったけどっ 背中に感じた暖かかったのがオレにしてくれたように、現実と向き合うための力をあの幽霊にも与えられるようにって思ったんだっ・・・・・・。」


 「なるほどな。 まぁー そいつも無事成仏出来たと思うぞ? ただな・・・・・・ 」


 俺の頭に乗った緑川の指が、頭皮にどんどん食い込んでいく。


 「お前どんだけ危ないことしてんだよ! 俺がせっかく霊感の閉じ方とか教えても意味ないだろが⁉」


 「ごっごごめんなさいっ! 痛いです!  頭っ!  ハゲる‼」


 なんとかその手から逃れ悶える俺を尻目に、緑川は鞄からペットボトルを出すと目を閉じ、何やら呪文を唱え始めた。ここが大学内の広場でなくても異様な光景だ。

 ペットボトルの蓋を開けて俺の方に無言で差し出してきた。どうやら飲めということらしい。緑川は俺のことを殺しはしないだろう。けど今確実に何か入れた。不意に笑っている顔も恐いけど、ムスッとした顔はもっと恐い。

 口をつけると舌がしびれる。我慢して一気に飲む。


 「どくとくな味だねっ」


 一応感想を言った。それを聞いて高笑いする緑川。


 「ふはっはぁはっはぁひっっはぁはっはぁはっっ! 元はただの水だよ。 ただ俺の力をほんのちょっと入れた! 言ってみれば・・・・・・ だな! フ●イファ●とかに出てくる!!」


 「・・・・・舌がピリピリしたっ」


 「まぁあんま良くない気を貰ってたからな ちょっとは回復した?」


 「確かに言われて見ればっ・・・・・・ さっきより体が軽い! 一瞬ポーションって聞いてオレ、アンデット系になっちゃったかと思ったっ」


 ひとり腹を抱えて笑う緑川を見て、俺も釣られて笑ってしまった。さっきまで非日常を味わっていたのが嘘のようにいつもの、普通の大学生に戻った。そんな感じだ。


 「話が飛んだけど、 っとその前にもう一個。 お前顔ぐちょぐちょだぞ? ほっぺたの所は涙の後がついてるし、鼻水だって・・・・・・ とりあえず拭け!」


 彼は再び鞄を漁りタオルを出してくれた。それを俺は礼を言って受け取り、改めてベンチに座り直す。

 (この人には会ってからずっとお世話になりっぱなしだっ・・・・・・ 今度飯でもおごるか! )


 「んでだ! 俺は別に赤城くんの保護者ではないし、お前のやることに干渉するつもりもない。 ただー 霊は霊で俺らは人間だ! 別に霊はモンスターだ! なんてことは言わない。 けどアイツ等は人間とは違う。 今日はたまたまうまくいっただけで、次も同じようになんて思わない方がいいぞ。」


 「そう~だねぇ。」


 俺は彼の言葉にそう答えていたが、心の中で引っかかりを感じていた。霊と人間とが違うということを、頭では理解していてるし、緑川が言っていることが正しい。

 けれど瞼の裏に先程の男の人の最後の笑顔が焼き付いて、自分のことを心配して投げかけてくれる言葉でさえ、そのまま受け止められなかった。


 「おーい? 怖い顔してー 俺の言葉、納得してないのか?」


 俺の考えを見透かしていたのか、緑川が少し心配そうな顔でこちらを見てくる。


 「いや違うよっ! 朝から何も食べてないから腹減っただけ!!」


 「おう! お前昼飯どうすんの?」


 「あっ! 忘れてた・・・・・・ 佐藤を待たしてるんだった! 緑川も一緒に食べる?」


 「俺は調べものがあるから、ひとりで適当に済ませるわ」


 そのまま緑川は図書館に向かって歩いていく。 


 「それじゃまた! 午後の講義で!! ありがとう!」


 俺の方も学食へと向かう。


 5月の風が若葉を揺らし、天色の空を翔けていく。



第2話 天色の空。 完



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