第2話 天色の空。 05章
時間は11時を過ぎようとしていた。講義棟のひとつから出た俺は、さっきまで自分がいた世界とは違う光景を横目に、まっすぐに総務課のある中央棟を目指す。青々と萌える木々が木漏れ日をつくり、その周りに少し早い昼食をとる学生がちらほらと見える。時折鳥のさえずる声が聞こえてくる広場は、ゆっくりと時間が過ぎているように思える。
目的の建物の前まで来た時に、自分がいつの間にか息が上がっていたことに気がついて、一度立ち止まり深呼吸する。今日まだ何も腹に入れていないためか、少し胃が痛い。
大学の中でもこの中央棟だけ特別きれいで、まるで役所のような感じだ。俺はピカピカに磨きあげられた自動ドアを通り、目の前のカウンターへと進む。その向こう側ではなにか書類を整理したり、パソコンとにらみ合う職員が慌ただしく行き来している。
「どうされましたか?」
俺が窓口に近づくとすぐそばにいた年配のおばちゃん職員が話しかけてきてくれた。
「えっと~・・・・・・。スマホを12号館の講義室で落としてしまったみたいでっ~ こちらに、その・・・・・。届いてたりしないですかねぇ?」
「ちょっと待ってて すぐ確認して来ますから。」
そう言って女性職員は離れて行き、他の職員と少し話をした後、奥の部屋へと消えていった。
俺はここに来る道すがら考えたセリフが、少しわざとっぽかったかと心配になりつつ、カウンターにへばりつき、奥の様子を伺っていた。
しばらくしてさっきの職員が戻ってきて、目の前に1枚の紙を差し出した。
「今のところスマホの忘れ物はないですね。 よかったら紛失届を出して行って欲しいのですが。 もし他の人が見つけて、こちらにもって来てくれた時にお呼び出しができますので。」
この展開は予想していなかった。その用紙には名前や電話番号、いつどこで失くしたかなどを記入しなくてはならない。俺自身のスマホなら、もし見つかったとしてもそのまま受け取れるが、他人の、しかももう亡くなっている人のものだとわかってしまったら、あの人に渡せなくなってしまう。
「こっ、ここにないなら他探してみますっ! ありがとうございました!!」
俺は開きかかった自動ドアにぶつかりそうになりがら、急いでその場を後にする。
再び広場まで来たところで、自分の情けなさにうなだれてしまった。何だかんだ今まで何でも卒なくこなしてきたつもりだった。けれど俺は他の人には分からないものが見えることで、自分が幽霊に対して何か特別なことが出来ると勘違いしていたみたいだ。ホタルの沢での一件以降、緑川にいろいろと教えて貰った。そのことが余計に俺を勘違いさせていたのだろう。
(・・・・・こんなことなら初めから関わらなければ良かったのかなぁ~ 緑川ならもっとうまく出来るんだろうなぁ・・・・・・・。)
そんなことを思いながら、あの男の人がいた講義室へ自然と足が進んでいた。けれど講義室の前に着く頃にはもう迷っていなかった。大きく深呼吸してから扉に手をかける。悩んでいても良い結果が出るわけでもない、何より幽霊だからといって特別という訳でもない。普通の人と同じようにありのままを伝えて、そして謝ろうと決心していた。
教室の後ろの壁際には、俺が出ていった時と同じように頭を抱え込んで座り込む男の人がいる。たださっきより彼を包んでいた霧が濃くなっている。今ではなんとか輪郭が見える程度だ。
俺はそこまでゆっくりと近づいて、そしてそのまま横に並んで座った。男の幽霊のいる側だけひどく寒く感じて、耳鳴りがし始めた。
「ごめんなさい。 総務課のおばちゃんに聞いて来たんですど、スマホなかったですっ・・・・・・」
【 ・・・・・・ 】
男の人がゆっくりと顔をあげてこちらを見つめてきた。その目は今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「・・・・・・こんなこと言うのも何ですけどっ ぁ、あなたはもう亡くなってるんですよね・・・・・。 あなただって分かってるんじゃないですかぁ? ここにいてはダメだってっ・・・・・・・。」
【 なんで君は泣いているんだい? 】
彼から見当違いな答えが返ってきて、一瞬戸惑ったが、すぐに俺は自分が泣いていることに気がついた。ひとり家族と連絡がとれないで悲しみに包まれていること、そしてそんな人がもう亡くなっている事実が自然と涙を流させた。
目の前にいる男の人が俺の頬をそっと撫でる。次の瞬間、世界が暗転する。以前女の人の幽霊が背中から入って来た時と同じような感覚だ。
––––––––––––––––––。
この大学からすぐの場所を軽トラで走っている。辺りには街灯がなくて真っ暗だ。胸ポケットに入れたタバコを取り出し吸おうとするけど、さっきまで寒いところにいたのか手がかじかんでうまく火をつけられない。タバコに火をつけ深く煙を吐く。
(あっ! オレがタバコ吸ってる・・・・・。しかも美味しいっ!)
少し開けた窓から落とした灰が、車の中の温かい空気と一緒にはるか後方へと逃げていく。吐き出す煙と一緒に脳裏に映ったのは見知らぬ女性。まだそんなに年を取っていないけど片手に杖を持って足を引きずるイメージだ。
(母ちゃんだ。)
『何だかんだ遅くなったなー 連絡だけ入れておくか』
自分ではない声が口から出てきた。すごく変な気分だ。
そのままズボンのポッケに手を入れる。そこにあるはずのスマホがない。他のポッケや助手席に置いてある鞄の中を手探りで探すけど見つからない。
『シクッたなー たしか最後に見たのは・・・・・。3階講義室か?』
しばらくそのまま走る。フロントガラス越しに、ヘッドライトで照らされた短いカーブがいくつも連なる下り坂が映し出されている。イライラしながら再びタバコを取り出して火をつける。
『しゃーない 一回戻るかぁ』
ハンドルを大きく回して一度曲がってから少しバックする。来た道が目の前に広がった瞬間後ろからものすごい衝撃が頭を襲う。
そのまま目の前が真っ赤になる。蜘蛛の巣状に割れたフロントガラスが見える。
胸が苦しい。息が出来ない。何かに挟まれてるのかな。
母ちゃん心配してるかな。電話しなきゃ。今日のご飯なんだろ。肉じゃががいいな。
死にたくない。
死にたくない。
––––––––––––––––––。
俺は気がつくと自分の手のひらを見つめていた。そのまま頭を何度か触り、血が出ていないことを確認する。
(今のはこの人の最後の記憶っ? でもオレ一回死んだ⁉ 恐い・・・・・。闇の中に溶けてなくなるようなそんな感覚・・・・・ 恐いっ・・・・・。)
俺は頭を抱えて泣いていた。今体験した、日常から何の前触れもなく訪れる「死」という恐怖。それはまるで暗くて深い穴の中に延々と落ちていくような感覚だ。そして何より大切な人ともう2度と会うことが出来ない悲しみ。それらがここが大学ということも、目の前に男の幽霊がいることも全部忘れさせて、ただただ恐くて涙が止まらない。
その時ふいに背中の下辺りが暖かくなったように感じた。少し懐かしいような気がする。段々とその暖かさは恐怖で固まった全身を温める。同時に恐怖で今にも壊れてしまいそうな俺の心を溶かしていく。まるで後ろからそっと押してくれるように、誰かのためにがんばれる勇気を与えてくれた。
慌てて涙でぐちょぐちょになった顔で後ろを振り返るがもう何もなかった。陽の光に照らされた机が見えるだけだ。俺はそのまま向き返り真っすぐ前を見つめる。
「・・・・・・ごめんなさい 悲しいのはアナタの方ですよねぇ。」
俺は手で何度も顔を拭うと、改めて彼の方を見る。
「・・・・・オレっ・・・まだよく分からないけどっ 帰る途中の突然の事故だったんですね・・・・・ 自分が消えてなくなってしまうのは恐かったですね まだまだ生きてたかったですよねぇ」
【 ・・・・・・ 】
一度考えるように横に目を向けた後、何かを悟ったような顔をして男の人はそのまま下を向いた。
【 ・・・・・・うん 】
「うまく言えないけど・・・・・・ きっと! アナタが亡くなったことでアナタのお母さんはとても悲しんでいると思いますっ!! アナタがもう2度とお母さんに会えないのと同じくらい・・・・・・ けどだからこそ! こんな所にいちゃダメだと思うっ 失くしたものは戻らないけどぉ・・・・・ だけど・・・・・・。」
【 そうだね。 その通りだと思う。 】
男の人の周りの黒い霧が薄くなっていく。同時に頭から血が流れていく。服はボロボロで、お腹から足にかけて何かに潰されたように、形がいびつだ。ところどころ骨や肉が見える。俺はそれを息をするのを忘れて、じっと見つめていた。
【 君のおかげで思い出したよ。 】
そう言って彼は一度微笑みかけて徐々に薄く見えなくなっていく。
『 ありがとう。 』
耳元でそうハッキリと聞こえると同時に、先程までいた幽霊は春の温かい光の中に消えた。
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