第19話「『移譲の接吻』~百合色のキス~」

 そのまま痙攣を繰り返し、昨日俺が対峙したときと同じように『リリィ』の人格が現れた。


「……あら、やっぱりお見通しなのですね。さすが『覇王の魔女』……いえ、『暗黒黎明窟』ナンバー3『五月雨(さみだれ)の花吹雪(はなふぶき)』」


「どいつもこいつも変な通り名ばかりつけたがる。わたしにはソノン・ラザンという名があるのだがな。……単刀直入に言う。さっさとカナタ・ミツミから出ていけ」


「まったく、すぐに出てけ出てけと。これだからデリカシーのない戦闘狂は嫌ですわね。そもそも今のわたくしが入ることのできる器(うつわ)はこの子しかないのです。代わりになる機械人形もないのですから」


「器なら、ここにある」


 師匠は執務椅子から立ち上がってロッカーを開く。


 そこには――俺が戦ったジェノサイド・ドール・零式とよく似た機械人形が座りこんでいた。姿勢はいわゆる『体育座り』。瞳は閉じられており、眠っているかのようだ。零式と違うところは髪型がツインテールなところだろうか。


「あら。これは……最新式? なんで、あなたのところに」

「なに、簡単な話さ。急進派の連中から強奪した。話してわからなかったので少々痛い目にあってもらったがね」

「なっ――!? あなた、穏健派のくせして暴力的ですわよ!」


 師匠からの突拍子もない言葉に、リリィの余裕は崩れた。

 といっても、その表情をしているのはカナタなのでなんとも不思議な光景だ。


「わたしは思想的には穏健派だが、手段は強硬派なのでね。おまえたちが理論をこねくり回している間に、わたしは戦場で魔法と剣の腕を磨いた。実力では黎明窟の中でトップのつもりだ」

「くっ――! あなた、暗黒黎明窟を乗っ取るつもりですの!?」

「まさか。そんな面倒なことをするものか。わたしは学園長として生徒たちに充実した青春を送ってほしいと思っているだけさ。……というわけで、おまえの入るジェノサイド・ドール・壱式は用意した。さっさとカナタ・ミツミからこっちへ移れ」


 言いながら、師匠はジェノサイド・ドール・壱式と呼んだ機械人形の両脇に手を入れて立たせた。


「……本当に完成しているんですの? 罠としか思えませんわ……そもそも、わたしに器を用意して、あなたにメリットがありませんし」

「あるさ。おまえもゲオルア学園に通ってもらう。おまえも学園で青春を送れば、この世界を滅ぼそうと思わなくなるだろう」


「はっ――? あなた、なにを仰っているんですの? わたしは暴虐無慈悲な破滅の精霊。世界を再構築(リセット)する存在ですのよ」

「だからこそだ。おまえに世界を滅ぼすことを諦めてもらうのが世界を救う最短の道だ」

「痴れ事を。わたしがグインス様を裏切るわけがないでしょう。壱式に入った途端、わたしは大暴れして世界を滅ぼしてやりますわ。ふんっ、愚かしい」


 リリィは疑い、呆れ、嘲り――様々な表情を浮かべ、最後は鼻で笑った。

 それとは対照的に師匠は感情に波風を立てることがない。


「自分から移らないというのなら強制的に移ってもらうまでだがな。もちろん壱式で暴れても抑えきれる自信があるから、わたしは提案している。それだけの力が今のわたしにはある」


 そう告げる師匠は、まるで伝承の中の魔王のように傲然としていた。


 いつも冷然としているか超然としているところがあったが、今日の師匠は弟子の俺ですら戦慄を覚えるほどの圧倒的なオーラを放っている。


「くっ――……! あなた、いったい、どうしたって言うんですの……以前見たときよりも遥かに魔力が違う……」


「日進月歩。人類とは日々成長するものさ。わたしは魔法使いである前にひとりの人類だからな。というわけで、どうする? わたしに無理やり壱式に移されるか、自ら移るか。ああ、無理やり移す場合は、どうせならそこの置物に移すのも一興か。どうせならそのまま封印してしまうのもいい」


 師匠の視線が部屋の隅に置かれている巨大なタヌキの置物に向けられた。

 陶器で作られたそれはどこか間抜けな顔をしていて、愛くるしい。

 なお、首にはプレートがかけられていて、そこには『学園長代理』の文字。


「なっ!? あなた、わたくしを脅す気ですの!? 暗黒黎明窟にとって精霊は崇拝の対象でしょう!?」

「今のわたしはゲオルア学園の学園長だ。生徒たちの安全がなによりも大事だ。そして、カナタ・ミツミがいつまでも本来の力を発揮できないのは不憫に思っている。君だってカナタ・ミツミがこれまで辛い学園生活を送ってきたことを知らないわけではないだろう?」

「う、く……」


 憑依しているだけあって、リリィもカナタが学園や家庭で苦労していることはわかっているようだ。意識を表に出さない間も、カナタを通して外の世界を見ているということだろう。


「君が壱式に移ったあとに触媒の果実の力を消し去る。そうすればカナタ・ミツミは本来の力を発揮できるようになる」

「あなたに、そんなことをできるのですか? 触媒の果実は服用者が死ぬまで作用し続けるはず」

「この部屋の冷蔵庫に『聖浄の葡萄酒』がある。毒があれば薬もあるものさ。この一年、わたしは無為に過ごしていたわけではない。暗黒黎明窟の秘儀と呼ばれる領域について調べたのさ。……話は終わりだ。イエスかノーか。ハッキリしてもらおう」


 結論を促しながら、師匠は壱式の両肩を掴んで突きだした。


「……ふん。あなたに屈したわけではありませんわ。もともとわたしは壱式に入ることは予定していたこと。それが早まっただけなのですからね」


 精一杯の抵抗を口にすると、リリィはカナタの体のまま壱式に近づいていき、その身体を抱きしめた。


「まったく、本当は荘厳な儀式の上で『移譲の接吻』はするはずでしたのに……こんなちんけな部屋で、穏健派のトップと零式を破壊した男に見られながらなんて……本っ当に最低な気分ですわ!」


 苛立たしげに言いながらリリィ(カナタ)は自らの唇を壱式に重ね合わせる。

 ……って、移譲の儀式ってキスをすることなのか!?

 そう驚いたときには――ふたりから眩(まばゆ)いばかりの光が拡がっていた。


「ふむ……神々しいな」


 こんなときでも師匠はマイペースだ。

 あまりの眩しさに、俺は目を瞑ってしまった。

 それから、一分ほどしして――。


「もう目を開けても大丈夫だぞ」


 師匠からの言葉は、誰に向けてのものであったか。

 リリィかカナタか俺か。いや、全員へのものであったかもしれない。

 俺は少しずつ瞼を持ち上げて、視界を正常なものへと戻していく。


 目の前には、瞼を閉じたまま唇を重ねあうカナタと壱式の姿――。

 ややあって、ふたりの眉毛が震え――ゆっくりと瞳が開いていった。

 まずは壱式――リリィが後ろに下がっていって唇を離す。


「ふぅ……成功ですわね」

「……ふぇ……? えっ? えぅあぁああっ!?」


 落ち着き払ったリリィとは対照的に、カナタは慌てふためく。

 

「にゃ、にゃんでわたし女の子とキスしてたのぉおおおーー!?」

「さあ、なんででしょうね? ……ふふ、御馳走様でしたわ♪」


 カナタをからかうことにしたのか、リリィはいたずらっぽく微笑んだ。


「わ、わけわからにゃい! わけわからないよぉ!? わ、わたし、ファーストキスだったのにぃ!? あなた誰? ここ、どこ? って、ヤナギくん!? 学園長先生!? あっ、そうだ、わたし学園長室に呼び出されて――そのあとの記憶がないよぉ!」


 大パニックである。

 まぁ……無理もないか。俺がカナタの立場だとしても平静でいられる自信がない。


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