第十二話

 白い見事な毛並みに、摩志常ましとこは心と身体が癒やされていく。

 その感触は、有名な人をダメにするクッション比ではなかった。

 あまりの心地良さに、目が閉じたり、開いたりを繰り返し始めていた。

 完全に眠気に誘われた、摩志常の口から。


「ふぁーーーーー、眠くなってきたわぁーーーーー」


 そう言いながらマーナガルムの腹を、もふもふ、しながら抱きついていた。

 マーナガルムはその姿を見て慌て、自分の身体をブルブルと揺さぶり、摩志常の眠りを妨げる。


「起きろ! 寝るなら話が終わった後でだ!」


 しかし、摩志常はさらに顔をマーナガルム腹にグイッと埋め尽くし。いや、イヤ、と顔を横に振って見せた。

 マーナガルムの動物的な本能がそれを拒絶したのだろう。身体が、ゾワ、ゾワ、と震えた。


「本当に……、気持ち悪いから……、止めてくれんか……」

 

 その言葉は、摩志常の心に冷たい北風が吹いた。

 摩志常の冷やされた心を暖められるのは、太陽ではなく、ある行動でしかなかった。

 それは、仕返しだ!

 子供じみた性格をしている摩志常は仕返しをするという行為で、自分の冷やされた心を暖めるという子供らしい単純な行動にでる。

 ぶつぶつと、何かを呟きながら。マーナガルムの毛を指先に、クル、クル、と絡めていた。

 次の――瞬間!

 黒いドレスのすそがフワッと舞い上がる。

 舞い上がったドレスの裾が地面に触れると同じタイミングで、軽やかにステップを踏む様に着地する摩志常の姿があった。


「危ない、危ない」


 摩志常は、数メートル後方に飛び退いた。自分の身に危機が迫ったからである。

 摩志常がぶつぶつと何かを呟きながら、マーナガルムの毛を指先にクルクルと絡め終えたると。摩志常はそれを全力で引き抜こうとした、瞬間に!

 マーナガルムの毛が鋭く尖り、摩志常、目掛けて襲い掛かってきたのだ。

 それを避ける為に、後方に大きく飛び退いた。

 


 マーナガルムは苦笑いを浮かべるが、その瞳には愛情が感じられた。

 例えるなら。

 子犬の中で、おてんばむすめを授かったら。こんな感じなのだろうなという感覚を味わっていたからである。

 すぐに鋭く尖った腹部の毛を、白い見事な毛並みに戻すと。 

 マーナガルムは、可愛らしいおてんば娘をさとす様に注意する。


「さっそく、ドレスを汚しよって」


 マーナガルムの言葉通りに、黒いドレスに赤い染みができており。

 そして、摩志常の顔からは、赤い二筋の液体が流れ出ていた。

 摩志常の驚異的な瞬発力と俊敏性をもってしても、マーナガルムの毛による攻撃を避けれなかった。

 しかし。

 今の状況に、摩志常の瞳は物々しい妖異な輝きを宿らせていた。それは、敵意ではなく、好意としてだ。

 摩志常にとっては、自分自身に傷を負わせれる者達の存在は、最高の喜びでしかなかった。

 バカ猫ちゃん、女騎士、そして……。今、目の前に存在する二十メートルを超えるサモエド。

 この異世界に来てからは自分の本能を解放しても、何の問題もない。それどころか――自分に匹敵する者やそれ以上の者との出会いは、摩志常にとっては夢の世界だったからだ。

 次から次へと、新しい玩具おもちゃが湧いて出てくるこの世界玩具箱は、自分の本能を脊髄反射レベルでさらけ出させてくれていた。

 そして現在の対象おもちゃは、目の前に存在する。二十メートルを超えるサモエドに向いていたのだった。

 摩志常は、黒いドレスの袖口そでぐちで、顔の両側にできた傷口を拭いながら、マーナガルムに歩み寄って行く。

 マーナガルムの目の前に辿り着くと、グイッと身体を反らしながら。

 爛々らんらんとした愛らしいマーナガルムの瞳を、穿つらぬいてしまうのではないかと思わせる興味津々の視線を摩志常は送る。

 

 マーナガルムは摩志常のその姿を見て諦め半分で、再度、摩志常に諭す様に注意する。


「摩志常よ……、その……、確かにそのドレスはもう汚れてしまっている。だからといってだな……、それで、傷口を拭うのはどうかと思うぞ。私は……」


 それを聞いた摩志常は、躊躇ちゅうちょする事なく答える。


「黒い色のドレスだから、血が乾いてきたら目立たなくなるから、だいじょうぶ、だいじょうぶ。それよりも――サモ……じゃなかった。マーナガルムって怪物モンスターなの? ずーっと気になっていたのよねぇー」


 摩志常との話の噛み合わない事による、疲労が蓄積していたマーナガルムは。犬のお座り体勢で会話をしていたのだが、身体をいたわる様に横に寝かせると。大きな右前足の大きな肉球で、摩志常の頭をポン、ポン、と数回、触れた後。

 質問に対しての回答をした。


「『神と魔の合作モンスター』ではないな。私は、『破邪の選定者ドラゴン』と呼ばれる存在だ」

「ど、ド、ドラゴン――!?」

 

 摩志常の知っている前の世界でのドラゴンとは。

 トカゲを大きくして、羽を生やして、口から炎や冷気を吐き出し、人間の言葉を喋り、伝説上の生物で、某有名ゲームタイトルで使用されている、あのドラゴンしか想像できないでいた。

 まさか、サモエドに、私はドラゴンだと言われるとは思ってみなかった摩志常は。

 異世界に来てから、最も大きな想像誤差が生まれた瞬間だった。

 脳が混乱しているのだろう沈黙をしながら、穏やかな目で、マーナガルムを見つめていた。

 

 自分を見つめる、摩志常の穏やかな目を見て。

 マーナガルムは、摩志常この娘の『破邪の選定者ドラゴン』に対する認識は、明後日あさっての方向どころか……、明々後日しあさっての方向以上の見当違いをしていたのだろうと思いながら。

 再度。

 大きな右前足の大きな肉球で、摩志常の頭をポン、ポン、と数回、触れたのだった。

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