第6話
カグヤは生まれながらにして、炎の祝福を受けていた。
前兆はあったという。
その年は、春先から常に気温が高い日が続き、雨は少なく、とくにカグヤのい母が臨月になってからは一滴たりとも雨が降らなかった。
カグヤが生まれた日は、朝から太陽が照りつけ雲ひとつなかったという。地が焼けるように暑く、まるで地獄の釜の中のようだったと、オキナは言っていた。
夕日が恐ろしく赤く、日が沈んでなお、赤々と夜空を染めていたそうだ。
夜半、カグヤの母が産気づき、そして、彼女を産み落とした。
直後に、赤々とした空はさらに輝きを増し、大地が鳴くように低く轟いたという。
そうして、カグヤが生まれた。
部族は総出で祝った。
『四百年の周期に恵まれた幸いの子』が誕生したと。
我らの一族が、その役割を果たすときが再びやってきたと。
カグヤは母から離され、長老たちの手によって育てられた。
『あなたは特別な子なのだと』母に名づけられたカグヤと呼ばれず、ただ火女――姫さまと呼ばれ、敬われ続けた。
『原初の火に捧げられるために、あなたは生まれた』
そう言い続けられ、生きてきた。耳にたこができるほど聞いた。飽き飽きするほど。
『天上に輝く原初の火――太陽が力を失うとき、炎の祝福を受けし子供を供物として捧げる。そして原初の火は再び力を取り戻し、天上に返り咲く』
巫女という名の人身御供。
だが、カグヤは巫女として生きていく以外にはなかった。
身に宿った不可思議な、炎の祝福。肌のうえを蠢くように這っている聖痕。部族の者たちに雁字搦めにされて伝承を言い聞かされる日々。すべてが、カグヤにそれを強制した。
ただ『原初の火』に身を捧げるためだけに生かされる。
それだけのためにカグヤは生きてきたのだ。
その話に、ガゲツ――世界の穢れを一身に集めえられ、鬼として生を宿命づけられ、ある意味世界の浄化作用のための生贄となった少年は、ただ首を傾げるだけだった。
「わからない」
「説明がわかりにくかったか?」
「ちがう。なんでおまえが言われるがままに生き、言われるがままに死ぬのかが、わからない」
「しかたがない。わらが巫女――生贄として原初の火に身を捧げなければ、太陽が力を失い、堕ちる。そうなれば世界は闇に閉ざされ、生きとし生けるものすべてが生きる力を失い、やがて滅びるだろう」
ガゲツはわけがわからないというように金色の眼を細めた。
「それを、信じているのか?」
「信じている、と言ったら?」
ガゲツは鼻を鳴らした。
「おまえは、ただのバカだ」
「おぬしは手厳しいの」
カグヤは苦笑するようにわらった。
「そうか、わらは馬鹿か」
そのとおりと思わなくもなかった。くだらない迷信に踊らされる一族と、その操り人形。ぴったりではないか。
「だがな、わらも一族に伝わる伝承をすべて信じているわけではないぞ。しかし、わらには炎の祝福という不可思議な力がある」
肌にひろがる痣のような聖痕を見せる。陽炎のように揺らめき、炎を自在に操る力を示し、巫女の証となるものだ。
それを見て、ガゲツは顔をしかめた。炎に身を焼かれたことを思い出したのかもしれない。
「こんな不可思議な力が存在するのだ。伝承もすべてが真実とは限らんが、すべてが嘘でもないだろう。それに、もし太陽がその力を失う可能性が少しでもあるのなら、それを……わら一人の命で防げるというのなら、それでいいとも思う」
その言葉にガゲツは眼を細め、即座に言ってみせた。
「やはり、おまえはバカだと思う」
それにカグヤはわらうだけで答えなかった。
「おまえは前に、オレにこう言った――わらは生きてはいない。生きていないから死を恐れないと」
ガゲツが満月のような瞳でこちらを見据えてきた。
「確かにおまえは生きてはいない。生きるとは自分のために足掻き、生にしがみつくことだ。自分が生きるのために他者を殺して喰らい。自分のために生きようとして襲ってくるものを蹴落とし、生を勝ち取ることだ」
それはたったひとりでこの世に生れ落ち、自分の力だけで敵だらけの世界を生き抜いてきたガゲツが得た、真理なのだろう。
そんな彼に自己犠牲の精神を説いたところで理解できるはずもないだろう。
カグヤは笑みを深めるだけでまたなにも答えなかった。
だが、そんな彼女に彼は言った。
「おまえは生きていないかもしれない。だが、死を恐れないというのは――嘘だ」
その一言に、カグヤの笑みはひび割れた。
「なぜ、そう思う?」
「そんな匂いがする」
その答えに、カグヤはわらった。
それはもう腹を抱えて眼から涙がでるほどわらった。それを訝しげにガゲツが見ていた。
ああ認めよう。
確かにわらは死ぬのが怖い。炎に身を捧げることが怖くて仕方がない。
だが、それを言ってどうなる。自分はどう足掻いたところで炎の一族の巫女なのだ。どうせ運命は変えられない。
それだったら、自分の生に期待しないほうがいい。そう自分が犠牲になることで、世界が救われるのだ。死ぬことにこそ価値があるのだ。そう自分に言い聞かせなければ、心が張り裂けそうになる。
大を生かすために犠牲になる小。
十人殺して一人を生かすよりも、一人を殺して十人を生かすほうがいいに決まっている。それが世界を生かすことになるならば、なおさらだ。
それでも、じりじりと近づいてくる緩慢な死に、ただ怯えていた。そんな本心を獣じみた少年に、匂いなどで見破られるとは思っていなかった。
そのことがただ可笑しかった。
「……狂ったのか?」
「――いや、大丈夫だ」
カグヤは眼の端に浮いた涙をぬぐい、ガゲツと向かいあった。
「そうだな。嘘をついた。確かに死ぬことは怖い。だがな、わらはただ死ぬわけではない」
ガゲツがきょとんと童子のようにこちらを見返していた。その満月のような瞳で。
「四百年かけて祝福を捧げきった巫女は転生するとされている」
「テンセイ……?」
「生まれ変わるということだ。そのときはこんな祝福などない身体になれるだろう」
「それも、信じているのか?」
カグヤはわらった。
「さあ、な」
本当か嘘かわからない。
ただ、これしか弱りきった心を支えるものがなかった。
この伝承だけが、母が死んでからの、カグヤの心のよりべだったのだのだ。
「わらにもわからん」
ガゲツはなにも言わなかった。カグヤも口をつぐみ、その場を後にした。
こうして、また一日が終わった。カグヤが生きていられる最後の一日が。
そして、やってくる。
――カグヤが捧げられる日が。
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