後日談SS
田中とおねしょた
「性の探求者たるわたしも、そろそろ男への挑戦に興味が出てきた」
世間話のようにそれはポンと放り投げられた。
「ネカマがついに行くところまで行き着いたぞ」
真っ先にそれを受け取った渡辺は、その眉間に深いしわを刻んだ。
昼食の用意をしている佐藤も、思わず肩越しに振り返る。
「こっち見んな、おまえに童貞を捧げるとか死んでもごめんだ」
「貴方の粗末なものには興味ない」
そんなしかめっ面に向かって、田中は鼻で笑っている。
「はぁ……」
大きな大きな嘆息が、このリビングに響き渡った。渡辺である。その顔に浮かんでいるのは呆れているそれであり、
「田中。煌宮蒼一は仮にもエロゲの主人公だぞ。粗末なもののわけがないだろう」
なんでそんなこともわからないのか、と小馬鹿にしているそれでもあった。
「転生して一番驚いた身体の変化だ。かつてのおまえの粗末なもの、その倍以上はあるな」
「それはそれで興味が出てきた。是非見せてほしい。……ちなみに両手で覆える?」
したり顔な佐藤に向かって、田中は目を丸くした。好奇心に満ちた顔で、愛刀を握るように拳を重ねている。
「ふっ、それは見てからのお楽しみだな。言っておくがマジで凄いぞ」
「蒼グリファンの間では、遍く子袋を貫く神槍と書いて、グングニルと呼ばれているからな。俺は貫かれた者たちがどういう末路を辿ったか、それを見てきた生き証人だ。佐藤の相手なんぞしてみろ、貴様など速攻快楽堕ちアヘ顔ダブルピースだ」
「まさか佐藤の勃起を、金を払ってでも見たい日が来るとは思わなかった。やはり人間、一度は死んでみるもの」
そんなくだらない男連中のバカ話。
横でそんな話を聞かされていた私は呆れずにはいられない。けれど今更、この程度ではため息一つも出てこない。慣れたというか、毒されたというか、良し悪しの判断がつかぬ今日この頃だ。
こんなバカみたいな一幕が日常茶飯事に行われる、一つ屋根の下。そんな場所に身を置いているばかりに巻き込まれ、辱めを受けることも多々あるのだが、私に出ていく気はサラサラない。
なにせ幸福の器の底に、穴が空いていないのを死ぬほど思い知らされるのだ。それを上々と言えるくらいには、このままでいいかと納得していたのであった。
退屈な日常よりは、ずっといいと。
それでもバカな話が始まれば眉をひそめるし、どうしようもない奴らだと口をへの字にする。今日もそれは変わらない。
同じ場にいながらも、涼しい顔でファッション雑誌をめくる鈴木の領域には、まだまだ到達できそうにない。
「俺たちが目をつけられてないのはこれ幸いとして……田中、相手をどうするつもりだ」
「一応、サクラの身体だから相手には困らないだろうが……サクラを愛でる会とパーティーでも開くのか?」
どうやらまだ話は続くようだ。佐藤と渡辺がその思惑を訝しながら、先を促している。
田中はそんな二人に向かって、かぶりを振った。
「わたしの心は男。それは今でも変わらない。男とするなんて絶対に嫌。死んでもごめん」
そこは勘違いしないでほしいと、田中は眉をひそめた。
かつてと比べ、田中の感情表現は豊かになった。表情筋を存分に駆使するわけではないが、笑ったり、呆れたり、怒ったり、不快そうだったりと、その感情が一目でわかるくらいには、眉や頬がよく動くようになったのだ。
サクラは元々、表情の変化に乏しい女であった。それに引っ張られたばかりに、田中はかつての感情表現を失っていた。それを少しずつ取り戻してきたのだ。
というわけではない。
無表情に徹するのも面倒になってきたようで、不自然にならない程度に、自分を出し始めたようだ。
そんな田中が、己を出しすぎた結果が、今回の発言にも繋がっているようだ。
『性の探求者たるわたしも、そろそろ男への挑戦に興味が出てきた』
男を相手するのは嫌だというのに、挑戦してみたいという矛盾。
果たして田中の着地点は、一体どこに置かれているのだろうか。それはすぐにもたらされることとなった。
「でも最近、ショタならいけそうな気がしてきた」
自らの発想に、得意気にして満足げな顔。
「そう、わたしの中にはおねしょたブームがきている。今、リアルおねしょたが熱い」
「犯罪だからマジで止めろよ」
佐藤は力強い声音で、そんな風に言い含めた。
田中はキョトンとしながら小首を傾げた。
「なぜ? きっとそれはその子たちにとって、素晴らしい体験になる。こんな美少女のお姉さんとの体験なんて、一生ものの幸福。妄想だけでわたしには届かなかったこの奇跡。わたしは少年たちの女神になりたい」
慈愛に満ちたその顔には、後ろめたさもなにもない。自らの行いを善行と信じ、幸福を人々に与えんとする、まさに女神の微笑みである。ストーカー集団にこの姿を見せれば、すぐにでも崇め奉る祭殿が出来上がるだろう。
だがその肉体に込められているのは醜悪な魂。真実を知る者は、その口から吐き出される全てを、正しい形で戯言として受け止めるのである。
その代表として、佐藤はため息をついたのだ。
「前にニュースで、ゲームで出会った成人女性とやった小学生がいただろ? あの後、子供が精神的に参って大変だったらしいぞ」
「あったわね、そんなニュース」
黙って話を聞き流していた鈴木が、雑誌に向けていた注意を初めて逸した。
「あれは本当に悲惨なニュースだった。不幸となった人間など誰もいないのに、なぜ彼女は捕まらねばならなかったのか」
田中は小さな吐息を漏らすと、小さくかぶりを振りながら俯いた。無辜の民がなぜ戦争で命を落とさなければならないのか。それを憂いているような、悲しみに暮れた横顔である。
「欲望に忠実すぎてほんとカスだな」
見下げ果てたように佐藤は口をへの字にした。
現在、私たちの昼食を作っている佐藤。それが田中の戯言のせいで手が止まっており、ついには鍋の火を落としてリビングに向き直っていた。
「いいか、もちろん犯罪だってこともある。でも、それ以上に子供のためにならん。性行為なんてのは、大人ですら自制がきかず道を踏み外す奴が多いんだ。心が出来上がってないうちから、そんなことを覚えさせてみろ。それしか考えられず、他のことが手つかずになるに決まってる。子供らしい健全な成長と年相応の生き方ができなくなり、人生が台無しになるんだぞ。その責任を取れるのか? おまえの一時の楽しみで、子供の人生を潰すような真似は絶対に止めろ」
滔々と佐藤は、説教するかのように語ったのだ。
それは社会の法や道徳、そして倫理観を振りかざした頭ごなしなものではない。田中がやらんとしていることは、一時は両者にとって楽しい時間かもしれない。けれどそれは麻薬のようなものであり、その後の成長に大きな悪影響をもたらすものだ。
子供らしい成長の果てに、社会に適応できる大人になれる。田中が子供に与えんとしているのは、その成長を阻害し不和をもたらすもの。文字通り、正しく進んだ先に待っている未来を潰すようなものだ。
佐藤はそれを悪いものであり、許されるものではないと語ったのだ。そんな彼の意外な一面に、ついわたしは目を丸くしてしまった。
だってそうであろう。中古はキープだ、美少女と本懐を遂げてみせるなど、ろくでもないことばかり口にしてきた佐藤。そんな男がまるで、模範的な社会の大人のような、出来た人間の台詞を吐き出すのだ。
唖然を通り越して慄きすらする。その肉体に込められた魂が、また入れ替わったのではと疑う案件だ。
ふと、思い出した。
そういえば母親が再婚したことにより、種違いの弟がいると前に語っていた。鈴木たちの証言から察するに、だいぶ可愛がっていたようである。
そんな弟がいるからこそ、佐藤は子供の未来をというものに、深く思うことがあったのだろう。
佐藤は聖人。
渡辺たちはそんな風に佐藤を評していた。
佐藤とは程遠いと思えていたその言葉が、少しわかったかもしれない。かつての人間性をこうして垣間見えたのだ。
少し、佐藤の見る目が変わった。本当にこの男は、かつては聖人だったのだなと。
「佐藤は大げさすぎ。わたしはこんな美少女のお姉さんと出会いたかった。えっちなイタズラをされたかった。搾乳手コキをされて、ついには捨てた童貞と共に精通を迎えたかった。そんなのは夢でしかなかったけど……今のわたしはそれを与えてあげられる側に立った。なら、かつては叶わなかったこの夢を、今の子供達に与えてあげたい。邪な気持ちであっても、決して独りよがりな想いなんかでは決してない。ならそんな子を持つ親の立場、その気持ちなんて考える必要はない。ただ、満たしたいがままに満たしてあげればいい。なぜならわたしは、子供の心に間違いなく寄り添っているんだから」
「ほんとう田中ってカスね」
「カス界の帝王なだけあるな」
「お父様と比べて遜色ないカスね」
対して田中はダメだ。聖人の言葉がまるで届いていない。どこまでも自分本意であり、欲望に忠実過ぎる。
なぜ聖人時代の佐藤は、こんなろくでもない男と友人になったのか。いや、聖人だからこんな男でも受け入れたのか。勝手に悩んで勝手に得心がいっていた。
佐藤は痛めたように頭を抑えながら、
「おまえなー……中二の身でエロゲに手を出してしまった男の末路を思い出せ。エロゲ一つ与えるだけで、こうまで心が歪むんだぞ」
世界の生き字引にその目を向けた。
佐藤は両手を組むと、聞き分けのない子供に説教するように睨めつけた。
「年齢で規制されるものには、規制されるべき相応の理由があるんだ。どれだけ男の夢のような体験とはいえ、子供のためにならないものはならん。そういうのを楽しむのは創作の中だけでとどめておけ」
「ごめんなさい佐藤、わたしが全部間違っていた。人の心を失いクソゲーを神だと仰ぐ、悲惨な末路を辿った男がいたことを忘れていた。年不相応なものを子供にもたらすのはためにならない。おねしょたを楽しむのは二次元だけにしておく」
自らの過ちに悔いるように、田中はその目に悲しみの色を宿した。惨憺たる人生を歩んだ者が側にいたにも関わらず、なぜそんなことも忘れていたのか。危うく取り返しのつかないことをしてしまうところだったと、佐藤に感謝を述べているようでもあった。
わかったならそれでいいと。佐藤は満足したように鍋の火をかける。
そして鈴木の狂気を抑えつけるほどの秩序の鉄槌は、いつものように腹部にめり込むのであった。
「だが、田中みたいな奴が多くいるのも事実だな。合意であろうと、ロリコンが事件を起こすと皆こぞって叩くのに、その逆が起きれば羨ましがる。不幸な者はいなかった、嫉妬で狂いそうだってな」
手慣れたように頭部を踏みつけながら、渡辺はメガネをクイっとした。
「女教師と男子生徒の関係もまさにそれよね。羨ましい恨めしいって。なんなのかしらね、これ」
不思議そうな声で、鈴木は雑誌をパタンと閉じた。
「確かにそういう風潮はあるし、俺もそれがわからんでもない」
トントンと包丁を鳴らしながら、背中越しに佐藤は答える。
「そろそろこの現象に名前をつけるべき」
もだえ苦しむながらも、息絶え絶えに田中は問題提起をした。
煌宮蒼一、クリスティアーネ、サクラ、そしてカノン。
彼らの名は学園に留まるだけではなく、セレスティアの魔導社会に名声を馳せている。そんな肉体を持つ者たちが、こんなくだらない問題に頭を悩ませ唸っている様は、まさに滑稽以外なにものでもない。
この屋根の下に住む者たちは、尊大の力を持ちながらも、やっていることはいつだって低レベルなそれなのだ。
「そんなの悩むほどのことではないでしょう」
そんな屋根の下に住み着いて、今日も滑稽な会話に混ざらんとしている私は果たして、周囲からどのように映っているのだろうか。ま、私は自分本意な女なので、どう見られようと構わないのだが。
大事なのは飽きずに退屈しないで、このままが一番いいと思えること。
今日も上々な私は、たった一言で問題の答えをもたらしたのだ。
「『男の欲望』よ」
「「「「それだ」」」」
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