60 離の境地
爆炎を熾した。
水禍を招いた。
天雷が堕ちた。
風神を喚んだ。
矢継早と天災とも呼べよう事象を起こし続ける。
広がる景色はまさに世界の地獄。はたまたその終わりか。
どちらにせよ、そんな世界を描き続けられるこの手には、間違いなく神の力が宿っていた。
決してそれは独りよがりな驕りではない。
誰もが認めよう世界の真実だ。
ああ、だから。
――遍く天災を断ち切り続けるその白き手には、
神をも殺すヤドリギが芽生えているのだろう。
◆
とある男が詠った一節を思い出す。
なぜか。
天災を呼び起こす先から断ち切られているこの現実が、まさにその男が詠んだ景色そのものだったからだ。
天災を切り払い道を切り開いているのではない。
断ち切られた先から、天災はまるで泡沫だったかのように霧散する。
断たれたのは天災ではない。
切られたのはその境界線だ。
魔力が天災へと至った、その結びつきを断ち切られた。世界を犯す天災は、力なき魔力へと還元されたのだ。
「なぜ……だ」
その力をどう呼ばれているのかを俺は知っている。
「なぜ貴様ごときが離の境地へと到っている、田中!?」
「佐藤が蒼き叡智を使いこなしているのと同じ。そのキモい早口が、聞いてもないのにネタバレした。到るべきその一本道を」
全てを断ち切る刀と成る。
真の悪を切らねばならないという、サクラの中で芽生えた目的こそが、彼女を離の境地へと到らせる。
「どれだけ苦渋を舐めさせられ、リョナられ続けようと、わたしは必ず貴方の首を落とすと誓った。このお腹で性癖を満たすカスを許してはならない。神ゲーの十字架を蒼グリに背負わせた、悪を切らねばならないという思いが、わたしを離の境地へと到らせた」
どうやら田中は、断ち切らねばならぬ悪を俺の中に見つけたようだ。
なんて愚かな……
「俺が、悪……だと?」
よりにもよって俺の愛を、断ち切るべき悪だと奴は断じたのだ。
「そう、貴方は悪。罪なきクソゲーを神だと騙る、世界が生んだ歪み。真なる邪悪」
「ふざけるな……貴様も一度は、蒼グリが神ゲーだと認めていたではないか!」
こいつは一度、蒼グリを神ゲーかもしれないと認めたのだ。
ふざけた言葉ではあるが、神ゲー罪なんて容疑を蒼グリにかけたのだ。
ならこいつも一度は、俺と同じ方角を向いたではないか。それを今更のうのうと鞍替えして、なぜそんな口を聞けるのか。
「確かに……蒼グリにも良いところはあった。キャラデザ、声優、そして水ニー。あれは人が生み出したとは思えない、天才が生み出した産物」
ほら見ろ。田中ですら認めなければならない良いところが、蒼グリにはこんなにもある。
特に水ニー。
あれこそは人が生み出しし神の御業。
永遠の処女ユーリア・ラクストレーム。
満を持したユーリアルートの発表に、皆が大いに喜び雄叫びを上げた。
ただ、同時に彼女の膜がどうなるかだけが心配であった。
例え相手が蒼一でも、その純潔を散らすことだけはしてもらいたくなかった。
でも……ユーリアたんのエロシーンは絶対に見たい。ユーリアたんに永遠の処女で在り続けることを求めながらも、彼女の痴態を強く望んだのだ。
そうして発売されたファンディスクをプレイして、俺たちの胸に宿った心は一つだけ。
神はいた。
一生蒼グリに着いていこう。俺はあのとき、再び固く誓った。
水ニーだけで蒼グリは真なる神ゲーと呼べるのだ。
性の探求者たる田中にも、それは深く伝わったはず。
蒼グリは神ゲーなのだ。
なのに、
「わたしはそれで、一度は神ゲーかもしれないと、蒼グリを誤解してしまった。確かに蒼グリにはそんな一面もあるかもしれないけれど……でもそれ以上に、蒼グリには悪いところが一杯ある!」
力強い叫びがそれを否だと切り捨てた。
「統一されていない言語、継ぎ接ぎだらけの世界観、ヒロインたちに乱暴せんと一日で三回にわけて湧いてくる暴漢たち。学校の屋上だってそう。生徒の安全が配慮されていないのに、開放されているなんて絶対におかしい!」
言うな。
それを口にするな。
確かにプレイ当時、三回にわけて湧いてくる暴漢たちにこの学園ヤバイなと笑ったり、この屋上大丈夫なのかと思ったりもしたが、一時の気の迷いだ。
この世界は歪むことなく完成しているのだ。
おかしいことなどなにもない。
重箱の隅の米糊を突くような真似、する必要などないではないか。
「この台覧戦の設定を見て。蒼グリはこうして安全に死闘ができる環境、それを用意できる世界観だったの? 蒼グリは最初から、こんな作品だったの……?」
サロゲイトドールが原典にあれば、蒼一は間違いなくそれを使い、修行しただろう。クリスやサクラのコネがあれば、簡単に使用許可だって降りるはずだ。
原典とファンディスク。どちらも世界観は変わらない。
ただ原典で全ての引き金になったカノンが、黒の賢者の声を聞いたか否か。それだけの違いから派生する、イフ作品である。
なのに……サロゲイトドールは原典にはなかった。
それが意味することは――
「黙れ!」
そんなことは考えたくもない。
だって世界は完成している。
歪みなきこの世界に、破綻するような後付け設定など存在しないのだ。
「何度だって言う。蒼グリはクソゲー、設定がガバガバ。それなのに貴方は都合の悪いことから目を逸らし、これは神ゲーだ、素晴らしいものだと両耳を塞いで叫んできた。まるで駄々をこねる子供みたい」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!」
憐れむようなようなその顔に、俺はただ同じ言葉しか繰り返せない。それこそ田中の言う通り、駄々をこねる子供みたいに。
「そうやって貴方は罪なきクソゲーに、独りよがりな神ゲーの十字架を背負わせ、嘯き、陥れ、その尊厳を今日まで踏みにじってきた。蒼グリをクソゲーと訴える、正しき人々を力で黙らせてきた。貴方のやっていることは、決して許されることではない!」
俺も力で黙らせてきたのは認めよう。それに田中が憤るのも仕方あるまい。
だがなぜ、これほどまで大義は我こそにあり、我こそは正義だと叫べるのだ。
どれだけ綺麗な言葉を並べ、取り付くおうと、結局『おまえの大好きな作品はクソだ』と言っているだけではないか。
SNSで名前住所顔を晒した状態で、同じようにドルオタを煽るような真似をしてみろ。
炎上しとことん過去を掘られ、晒させ、嫌がらせを受けるに決まっている。家のガラスは割られ、頼んでもいないピザが届き、職場や学校への電話凸が起きる光景が容易に浮かぶ。最悪殺人事件に発展してもおかしくないことだ。
こいつの心の内がわからない。
なぜそこまでして必死に世界を否定するのか。
だってこいつは、俺に負けないくらいの恩恵を得ているのだぞ。
「なぜだ! 貴様もサクラとなり、素晴らしきこの世界を体験しただろう? サクラになって楽しいと笑った。女の身体は凄いと、貴方は負け組だと佐藤を煽っていたではないか! それなのになぜ、蒼グリはクソゲーだなんて口に出せるんだ!」
俺だって、思っているだけなら許そう。
原典が原典なだけに人を選ぶゲームだ。興味をもたないのも許そう
だが、わざわざなぜこいつは、そこまでしてクソゲーだなんて叫ぶのか。
そんなことを叫ばれたら、俺だって怒るし切れるし許さんぞ。
「確かにわたしはサクラになって楽しい。嬉しかった。一生縁がないはずの美少女の身体を得て、好きにできるこの奇跡は、なにごとにも代えがたい素晴らしいものだと思う。本当に……本当にあそこで死ねてよかったと、心からの幸せを感じている」
「だったらなぜ黙ってそれを受け入れようとしないのだ! なぜこれだけの恩恵を頂きながら、素晴らしいものだと受け入れようとしない!」
「だって……だってそれでもこの世界はガバりすぎているの。どれだけ綺麗事を並べようとも、目をそむけてはいけない設定の歪みが、ツギハギとなって世界観を覆っている。わたしはこの世界が好き。サクラになれてよかった。水ニーという神の御業を、昨日も励んでいたであろうユーリアと巡り会えてよかった」
そうだ、この世界にはユーリアたんがいるのだ。
彼女と言葉を交わせるこの奇跡はなにごとにも代えがたい。
あのユーリアたんが昨日も水ニーに励んでいたかと思うと、それだけで滾り抜けるというものだ。むしろそれで抜いてばかりの日々だ。
もういいではないか。
ここは素晴らしき世界。
歪みなき世界。
黙ってそれを受け入れるだけでいい。
蒼グリは神ゲーだ。
「……それでも、蒼グリを神ゲーだと騙るような、自らの眼を閉じるような真似はしていけないの。だって、わたしは本当の神ゲーを知っている。だからこんな世界を神ゲーだなんて呼びたくない。呼んではいけない。だってこの世界は……蒼グリはどうしようもないほどに、設定がガバガバのクソゲーだから!」
力強き眼は、それを否だと切り捨てる。
そして次の瞬間には、まるで憐れむかのような眼差しへと変わっていた。
「中二の身で、蒼グリと出会ってしまったのが貴方の不幸。それを手にし目にして以来、F○、ド○クエ、ポ○モン、ゼ○ダ、バ○オ、そしてマ○オのような名作に、見向きもしなくなるほど心が歪んだ。その目が曇り、正しい判断ができなくなってしまった……。だから放送部として蒼グリの曲を流したのは、軽い気持ちだったのかもしれない。でも、それはだけはしてはいけないことだった」
言うな!
思い出させるな!
忌まわしき黒歴史を口にするのではない!
それは酒の席での笑い話にしてくれ。素面でその話を思い出すのは、マジできついから止めろ。
「だってそうでしょう? 中学校の給食の時間にエロゲの曲を流すとか、正気の沙汰じゃない」
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