49 空の蒼さを謳う

「どうもこうもない、渡辺、貴方を切る」


 その目に浮かぶのは憎悪か。


 鍔迫り合いとなってなお、田中は力を抜こうとしない。


「俺を切るだと? 今は台覧戦中だ。刃を向けるべき相手が違うんじゃないか?」


「人に雷を落としておいて、どの口が言ってるの?」


 体勢が悪かったか。


 次の瞬間押し込まれ、身体は大きく後退する。


 崩れたその隙を突こうと田中であったが、すぐにそれを思い直す。


 頭上から降り注ぐ雷撃。


 先程自らを襲ったそれを、今度は身に受けることなく切り払った。


 稼がれたその小さな時間で、なんとか田中から大きく距離を取った。


「そもそも佐藤と優勝までかち合わない今、わたしが台覧戦に出る理由がない。今こうして出ているのは、数合わせで付き合っているだけ。そんなわたしに魔法を当てるなんて、渡辺こそどういうつもり?」


「この素晴らしき世界を侮辱する貴様が悪い。所詮は仮の肉体。少々きつく躾けただけだ」


「それならせめて、一回には一発で十分。お腹への追撃は許されない」


「よくあるだろう、お腹を押すと面白い音を鳴らす人形。あれと同じだ。ついでに楽しませてもらったに過ぎん」


「わたしのお腹は、貴方のリョナ欲を満たすための道具じゃない」


「ふっ、あれだけ魅力的な表情を浮かべておいてよく言う。田中、貴様の腹はこの俺を楽しませるための道具にすぎん」


「どうしたの渡辺……あれだけ健全だった性癖が、なぜそこまで歪んでしまったの?


 露出で人生終わるの楽しいや、イジメられっ子からの逆襲、不倫や援交といった弱みを握られてからのNTRや快楽堕ち。そんな本人たちの自業自得な様に興奮しているのならまだわかる。


 でも私の知る貴方は、人質や脅迫、ハ○エースといった、女の子が一方的に可哀想な目に合うシチュを厭うていたはず。そんな貴方がなぜ……よりにもよってリョナになんて目覚めてしまったの? 今の貴方は、わたしの知っている渡辺じゃない」


 田中のその目は、まるで知らない不気味なものを見るそれだった。


 そう、俺は女の子が一方的に可哀想な目にあうシチュは嫌いだ。


 本人に責任がないというのに、なぜ女の子が可哀想な目に合っているのを楽しめるのか。そんな物で抜ける奴らと田中の気持ちが、ついぞ俺にはわからなかった。


 蒼グリを初プレイしたとき、ソフィアには本当に同情した。それでも健気に蒼一へ尽くそうとするその姿に、心が深く打たれた。


 例え膜がなかろうと、俺はソフィアというキャラにとても惹かれた。それこそ人気投票不動の一位の上へと置くほどに。


 それゆえ佐藤には憤りを覚えた。


 二次元でこそ処女厨であるが、三次元では深くそこを求める男ではなかった。だからソフィアが中古である理由を知らず、手を出さなかったのはまだわかる。だが、そんなソフィアの過去を知った後も、キープだとのたまったカスを殺してやろうかと思ったくらいだ。


 あいつがああなったのは、鈴木を止められなかった俺たちの責任でもあるし、罪悪感もある。それでもソフィアの心を弄ぶような真似だけは許せなかった。


 今生の鈴木への肩入れは、そんなカスへ蒼グリのヒロインを渡してたまるかという怒りでもある。


 そして田中が言うのは最もだ。よりにもよって、そんな俺がリョナに目覚める日が来るとは、と。


 だから、なぜリョナに目覚めたのかと問うてくる田中には、つい笑いを覚えてしまった。


「なぜ、俺がリョナに目覚めたかだと? 貴様の胸の内に聞いてみろ」


「……一体なんのこと?」


「ここまで言ってまだわからんのか。俺をリョナに目覚めさせたのは、他でもない。田中。貴様自身の行いだ」


「わたしが、渡辺のリョナを目覚めさせた……?」


「そうだ。貴様の度重なる世界への冒涜。その不敬な戯言こそが、この俺をリョナへと導いた」


 始まりは、軽い制裁のつもりだった。


 神作品の設定をガバガバだとのたまう、愚か者への鉄槌。


 いつもの調子でつい、反射的にこの拳がその腹部へ伸びた。


 苦痛で顔が歪んだ美少女の顔。無表情キャラから出るとは思えぬ、もがき苦しむその様。


 第三の嫁たるサクラがこんな苦悶の表情を浮かべられるのか。最初は驚き、そして罪悪感に飲まれた。


 ただしそれは、すぐに思い直された。


 苦しんでいるのはサクラではない。田中である。


 ネカマとして数々の男たちを手玉にとり、そして地獄へと叩き落としてきた人非人。


 過去にネトゲで酷い目にあったとか、一度騙されたことで騙す側に回った、とかがあったわけではない。


 奴は最初からネカマだった。


 セクハラ面と揶揄され続け、女にモテない男が慰めのために辿り着いた非道である。


 今や佐藤の口癖となってしまった『カス』は、元々田中を指し示すために使われていた。あの聖人を持って、当時からこいつはカスだカスだと言わしめた田中の人間性は、それはもう酷いカスっぷりである。


 ネトゲは時間をかければかけるほど、持て囃され、尊ばれ、頼られ、そして尊敬の念を集められる。ただしそれは、現実を捨てるほどの時間を費やして得られる地位と栄光だ。そしてその九分九厘が男である。


 ならば、女と縁がないのは当然の帰結であり、リアルの彼女はいらんと強がりながらも、心の底では欲している。物理的に繋がりたいのだ。


 そんな男心の隙をつくのが天才すぎる田中は、ただの愉快犯として、そんな彼らを地獄へ堕とす。


 貢がせ、囲わせ、対立させ、そして煽り争わせる。


 世界ランクがただでさえ低い持たざる者たちから、更に取り上げ低みへ堕とし込む。


 そうして、


「あー、また世界ランクが上がっちまった」


 と、のたまう奴の姿はまさにカス界の帝王だった。


 サクラの顔の裏で、苦悶の表情を浮かべているのはそんなカスである。罪悪感どころか、つい笑えてしまった。


 そして二度目はクソゲー発言。


 またも悶え苦しんだ田中の様は面白かった。


 ただの田中が悶え苦しんでいるのなら、ここまで面白くはないだろう。だってそうだ。元々見られたものではないそのセクハラ面が、更に醜悪な面へと歪む。ただただその姿は見苦しく、みっともないだけだ。


 だが今の田中はサクラだ。


 蒼グリ第三の嫁であるその美しい容貌は、どこまでも見っともなく見苦しく歪んでも、美しいものは美しい。いつまでも見ていられるほど。


 そして罪悪感が一切ない。


 なにせ可哀想な女の子はどこにもいないのだ。


 いるのは美しい顔を操るネカマである。それが自業自得でいくら悶え苦しんだところで構わない。むしろいくらでも見ていられる。楽しめる。


 こうして俺の中に、新たな性癖が芽生えたのだ。


 リョナ。物理的な苦痛に晒され浮かぶ表情、そしてその悲鳴に性的嗜好を見出す異常者の性癖。


 かつては理解できない性癖であったが、まさか田中によって目覚めさせられることになるとは。


 田中ではないが、やはり人間、一度は死んでみるものだ。


「確かに俺はリョナに目覚めた。だがな、田中。俺の根っこはなにも変わっていない」


「嘘。リョナなんて性癖が芽生えたのなら、その根っこはもう腐りきっている。貴方は変わってしまったの、渡辺」


「いいや、なにも変わっていない。人質や脅迫、ハ○エース、罪なき女の子が可哀想な目にあうなど唾棄すべきシチュだ。だから同胞面はしてくれるなよ? 俺は貴様とは違うんだ。そんなものを見せられたところで、可哀想なのは抜けない」


 俺と田中はその辺りは決してわかりあえない。譲歩し歩み寄ろうとはしないし、わかりたいなどとも思わない。


 可哀想な女の子が、物理的な痛みで苦悶の表情を浮かべるなどもっての他だ。


「だがな、そんな俺でも貴様のリョナ顔だけは別腹だったようだ」


 そう、田中の顔を除いては。


「わたしだけは別……?」


「だってそうだろう? 可哀想な女の子なんてどこにもいないんだ。物理的な痛みによって苦しんでいるのは田中、貴様だ。


 数々の男を地獄へ叩き落としてきた人非人。無辜の民を陥れ、世界ランクを上げ続けたカス界の帝王。ふっ……まさかそんなカスなんぞに、欲情する日がくるとはな。認めよう田中。確かに貴様のキャラには女が宿っている。サクラの身体を手にした貴様のネカマっぷりは、最早神の領域だ。


 だから喜べ。俺のリョナ欲を満たせるのは貴様だけだ。精々これからも、素晴らしい苦悶の表情を見せ続けてくれ」


「気持ち悪いオタクの粘着なんて死んでもごめん」


「なら、口を改めろ。いくらリョナに目覚めたとはいえ、気が向くままに満たそうとするほどの人非人にまで堕ちたつもりはない。この素晴らしき世界を否定するな。黙って受け入れろ。それだけがその腹を守れる、貴様のたった一つの善行だ」


「貴方のそれはこの空の下で、月が綺麗ですね、と言っているのと同じ。見て渡辺、どこまでも広がるこの空は、こんなにも蒼い」


 どこまでも愚かな人間か。


 なぜそこまで進んで俺のリョナ欲を満たそうとしてくるのだ。ネカマとしての魂がそうさせているのか?


 きっと性癖と同じだ。


 俺たちはもう、後戻りができないほどにわかりあえない。


「俺たちはこれでも友人だ。どれだけこの世界を罵られようとも、命を取り上げようとは思わないし、超えてはいけない一線を弁えている。だから俺は、今日まで拳一つで収めてきた。


 だが俺たちは今、台覧戦の舞台にいる。どれだけ嬲り、苦しめ、傷つけ、その果てに殺そうとも命を落とすことはない。その意味はわかるな? だからこれが最後だ。


 この素晴らしき世界を否定するな。黙って受け入れろ」


 友人として最後通告をする。


「わたしにはそんな息苦しい生き方はできない。美しいものは美しいと叫びたい。だからわたしは、何度だって空の蒼さを謳い続ける」


 素晴らしい世界を否定する田中には、もううんざりだ。


「いいだろう田中。そこまで俺の性癖を満たしたいというのなら、ありがたく満たさせてもらおう。この神剣をその腹に突き刺したときの、貴様の苦悶の表情、そして悲鳴が今から楽しみだ」


「散々人のお腹で満たしてきたリョナ欲のツケ。そして空の蒼さを否定してまで、蒼グリに神ゲーの十字架を背負わせたその報い。貴方のその首で払ってもらう」


 台覧戦、一日目。


 雑魚相手への黒き黎明の試験運転だったつもりが、まさか原作の再現がここで行われようとは。


 面白いと、ゾクリと震えた。


 サクラルートのボスもカノンだ。ただしその相手は蒼一ではなく、サクラであった。


 最後にこの首は落とされたが、今の相手はサクラであってサクラではない。


 真・二天一流の継承者、サクラ・ローゼンハイム。


 その身体を掠め取った、ネカマの神。


 果たして、どこまでサクラの力を使いこなし、引き出せるのか。


 精々、楽しませてもらおうか。


 なお、呆れ果てた黒の賢者は、一切手を貸してくれない模様である。

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