第七十八話 さえこちゃん


 墓地に降りてから、約三十分。

 私は寒空の下、木の陰で人を待ち続けた。

 その間に見たのは和尚さんだけで、ほんとに静かな場所だった。


 あの子は今日ちゃんと来るんだろうか。

 心配になってきた、その時。


 入り口の方から人影が現れた。

 姿を見れば、三十代くらいの黒髪の女性だった。


 正直、本人かどうかなんて私の目で見てもわからない。

 顔を合わせたのも二十五年前に一度きりだからね。


 違う人に間違えて声をかけるのもまずい。

 少し隠れたまま観察していると、彼女は迷うことなく墓地を歩いて行く。

 そして、私の墓の前で立ち止まった。


 女性はしゃがみ込み、手に持った花束をそっと置く。


「ユウジお兄ちゃん。久しぶりだね」


 彼女はそう言って、柄杓で石碑に水をかけた。


「私、今年も元気で生きたよ……。私の娘も、もう三歳になったんだ」


 墓に向かって語りかける女性は、どうやらあの子で間違いないらしい。

 すでに結婚して子どもまでいるみたいだね。

 時の流れというのは、早いものだ。


 女性は石碑に刻まれた名前を見つめながら、一人で呟くように話す。


「ねえ、お兄ちゃん。この間、あなたのお母さんが変な事言ってたの。

息子は生まれ変わって、幸せにやってるって。だからもう、謝りに来なくていいって。

私、そうだったら嬉しい。お兄ちゃんがどこかで元気に生きてて、幸せだったら嬉しい」


 そんな風に言いながらも、彼女は悲しそうに顔を落とした。


「でもね。やっぱり私、そんな都合のいい風には思えないの。

きっとおばさんは、私のためにあんなことを言ってくれたんだと思う。

私の中ではずっとお兄ちゃんの倒れた姿が残ってるの。

痛くて、辛くて、暗いって……。

ずっとずっと、お兄ちゃんの声が聴こえてくるような気がするの。

ごめんねお兄ちゃん……」


 女性はそう言ってしゃがみ込む。

 彼女は、今も背負っているんだ。自分のせいで人が死んだことを。

 二十五年間、ずっと悔やんでいるんだ。


 私はここにいるのに。

 素敵な家族と仲間に囲まれて、幸せに生きてるのに。

 あの子は、ずっと墓の前で、死んだ時の私だけを見てる。


 こんな悲しい事は、終わらせてあげなきゃいけない。


 私は意を決して、彼女の元へ近づいて行く事にした。

 そして、おずおずと声をかけてみた。


「あの……。さえこちゃん、ですよね」


 すると、彼女は振り返った。


「……。そうだけど、何かしら」


 立ち上がる彼女は、目元についた水滴を拭っていた。

 どう話したらいいのだろう。

 私は何とか、喉の奥から言葉を絞り出した。


「……。ずっと、ユウジの事を忘れないでいてくれたんですね」


 問いかけてみると、彼女は訝しげに首をかしげた。


「……。あなた、誰なの?」


 変装したままの私では、マルデアの大使である事すらわからないだろう。

 まずは、素性を明かした方がいいようだ。


 私は帽子を取ってヘアバンドを外した。

 ピンク色の髪が露になり、尖った耳を冷たい風が通り過ぎていく。


「り、リナ? リナ・マルデリタ……?」


 驚く彼女は、口に手を当てている。

 私は喉元でつっかえそうになる言葉を、何とか吐き出した。


「……。あの……。うちのお母さんが言ってた事、嘘じゃないんです」

「え?」


 話が呑み込めていないのか、女性は瞬きをする。

 私は下を向きながら、ゆっくりと話し出した。


「ユウジはね。あなたを助けたお兄さんは。

生まれ変わって、幸せにやってるんです。

遠い、マルデアっていう星で。

リナ・マルデリタっていう女の子になって……。

すごく優しいお父さんと、お母さんがいて。

会社の人たちも、みんな助けてくれて。

それから、地球のみんなも私によくしてくれています」

「……」


 彼女は。

 さえこちゃんは、何も言わずにただこちらの言葉に耳を傾けていた。

 私は大きく息をついて、墓地から見える車道の方に目をやる。


「それに、あの道はね。車が来るのがわかりにくいから。

ユウジも、一度小さい頃に車に轢かれかけた事があるんです。

だから、さえこちゃんが道路に飛び出した時、すぐわかって助けてあげられたんです。

それだけの事なんです」


 私は顔を上げて、あの時の少女の顔を見据えた。


「だからね、さえこちゃん。もうこの墓に来て、謝らなくてもいいよ。

私の、俺の魂はもう、そこにはないから。

私は今ここにいて、とっても幸せに生きてるから」


 私は自分の胸に手を当てて、そう言って見せた。

 すると、彼女は瞬きをしながら私の顔を見つめる。


「あなたが、お兄ちゃんなの……?」

「うん。さえこちゃん。怪我しなくて、よかったね」


 私はそう言って、ニコリと笑って見せた。

 さえこちゃんは、少しの間固まったまま私を見つめていた。


 子どものようになった彼女の目に、再び涙があふれ始める。

 と、彼女は突然こちらに駆け寄って来た。


「うわぁぁぁぁあん……。お兄ちゃん、ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 彼女は、本当に子どもみたいに泣いていた。

 そして、私の体にしがみついていた。


「ごめんなさいお兄ちゃん。ひっく、私、もう信号無視してないから……」

「うん」

「危ない所は、娘にも渡らせないようにしてるから……」

「うん……」


 懺悔の言葉を繰り返す彼女を、私は受け止めて頷いた。


 きっと、さえこちゃんはユウジ本人に直接謝りたかったんだろう。

 手紙を書いても、墓の前で語り掛けても、届かない。

 返事はもちろん、帰ってこない。


 周りがどんな優しい言葉をかけてくれても。

 一生、本人には許してもらえない。

 そんな辛さを、ずっと二十五年抱え続けたんだろう。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 だから私は、ずっと彼女が謝るのを黙って聞き続ける事にした。






 それから少しして、彼女も落ち着きを取り戻したらしい。

 立ち上がって、ハンカチで目元を拭っていた。


「気が済みましたか?」

「ええ、だいぶ楽になった気がするわ。ずっと、本人に会って直接謝りたかったの。

ごめんなさい。もう母親なのに、子どもみたいになっちゃったわね。娘に見られなくてよかったわ」

「私も他の人には見られたくなかったので、一人で来るのに苦労しました」


 私が頷いて見せると、彼女は気を取り直したようにこちらを見た。


「それにしても、お兄ちゃんがリナになってるなんて。本当に不思議な事もあるわね」

「あはは、びっくりしましたよね」


 思わず笑いが漏れてしまう私に、さえこちゃんも小さく微笑んだ。


「うん、驚いた。でも、不思議な話だけど。変だとは思わないわ。

だって、小さい頃の私を助けてくれたヒーローだもの。

今なら世界のヒーローになってもおかしくはないわよね」


 彼女はどこか誇らしげにそう言った。


「はは、それは私を買いかぶりすぎですよ」

「でも、実際なっちゃったでしょ?」


 私たちは二人で見つめ合い、一緒に笑い合う。

 と、その時。

 お寺の方から足音がした。誰かがやってきたようだ。

 この姿を人に見られるのはまずい。

 今回の旅は、絶対に目立っちゃいけないからね。


「じゃあ、そろそろ行かなきゃ。またね、さえこちゃん」

「うん。リナちゃん、ずっとニュースで見てるからね」


 私たちは挨拶を交わし、墓地でお別れをした。


 さてと。

 久しぶりの、地球の実家に帰ろうかな。


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