第七十二話 小さなお店で


 私はしばらく医務室で、騒がしい外の様子を伺っていた。

 もう少し待ってから出た方がいいだろうか。

 悩んでいると、先ほどの医者(ドクター)が声をかけてきた。


「差し出がましいようだが、マルデリタ君。

君は夜に一人で出歩くつもりかね? ホテルを探すなら紹介するが」

「ええと、フランクフルトで個人的にやりたい事がありまして。とりあえず夕食ですかね……」


 誤魔化すように説明すると、ドクターは納得したように頷いた。


「そういう事か。なら行きつけの店を教えよう。君が来ても騒ぎにならない場所がある。

ああ、安心したまえ。私には星の英雄を口説くような度胸はないよ。

この年だし、妻子持ちだからね」


 四十代くらいのドクターが肩をすくめる。

 変な事はしないと安心させてくれたみたいだ。


「じゃあ、すみませんが案内お願いします」

「気にする事はない、シルバ君のお礼だ」


 笑って見せる彼は、いい人柄を持っているように見えた。

 医者だし、この人に相談してみてもいいんじゃないだろうか。


 そんな事を考えていると、外が静かになってきた。

 客が帰って行ったようだ。


 頃合いを見計らい、私はドクターと共にスタジアムを出た。

 西洋建築が並ぶドイツの街を歩くと、小さな看板のついたお店が見えてくる。


「ここが私の行きつけでね。小さい店だが、居心地の良さと料理の腕は保証するよ」


 ドクターはそう言って、店のドアを開ける。

 こじんまりとして、落ち着いた雰囲気の店内だった。


「あらドクター、いらっしゃい」

「やあ店長、お邪魔するよ」


 店の人と挨拶しながら入って行くと、髭面の男性客が声をかけてきた。


「ようドクター、どうだったんだシルバの怪我は。しばらく休みそうか?」


 どうやらこのおじさんは、さっきの試合を見ていたらしい。


「いや。幸運にも彼は無事だったよ。次の試合は安全を取って休むかもしれんがね」

「本当か。だいぶ酷い感じだったが、いやそりゃ良かった。

で、そのお嬢さんはどうしたんだ。ファンでも口説いたのか?」


 ニヤつくおじさんに、ドクターは首を横に振る。


「違う。あまり騒ぐなよ。彼女はお忍びなんだ」

「ど、どうも」


 私が帽子を上げて挨拶すると、ピンクの髪が溢れ出す。


「お、おい。その耳、その髪……。嘘じゃねえだろうな」

「まさか……、リナ・マルデリタなの?」


 常連のおじさんと女性店長が、私の姿を見て目を丸くする。 

 ドクターはカウンター席につき、頷きながら言った。


「ああ。彼女がシルバを治したんだ。実を言うとかなり不味い怪我でな。

選手生命も危ういんじゃないかと思ったよ」

「本当かよ……」

「信じられない話だけど、ドクターは嘘を言わないもの……。

マルデリタさん。一フランクフルトファンとして感謝させてもらうわ」


 深く頭を下げて来た店長は、どうやらチームのファンらしい。

 店の壁にもフランクフルトのユニフォームや、選手のサインに写真が飾られていた。

 ドイツはすごいリーグを持ってるから、ファンも多くて当然だろうね。


「彼女はドイツの名物料理をご所望だそうだ。せいぜい美味いのを出してやってくれ」


 ドクターの言葉に、常連のおじさんが酒瓶片手にこちらを見やる。


「ドイツ名物といや、この店じゃ焼きソーセージのセットが絶品だぜ。

ビールがありゃもっといいが、お嬢ちゃんにはまだ早いな」

「あはは。じゃあ、そのセットと適当な飲み物をお願いできますか」


 やっぱりフランクフルトで食べるソーセージは絶対に押えておきたい。

 少し待っていると、ドンと色んなお肉の盛り合わせが出てきた。


 焼きソーセージに、ブタ足のロースト。

 とにかく豪快だ。

 私はさっそく、本場のソーセージをいただく事にした。


 パリ、パリ、もぐもぐ。


 口の中にジューシーな味わいが広がる。

 うん、ドイツだねえ。

 

「ははは、リナちゃんも豪快だな」

「宇宙のお客さんにうちの料理を食べてもらえるなんて、光栄なことね」


 おじさんと店長は私を見て笑っていた。


 とてもいい雰囲気のお店だ。

 ここでなら、私の個人的な話も聞いてもらえるだろうか……。


 私は食事をしながら、ドクターに恐る恐る問いかけてみた。


「あの、ドクターは選手とよく話したりするんですか?」

「ああ。私の仕事は彼らの体調管理だが、メンタルな部分もケアしているよ。

患者と話し合うのは、医者の務めだからね」

「そうですか……」


 口に出そうかどうか迷っていると、ドクターは私を見下ろした。


「何か言いにくい事があるのかい。

医師として、君の悩みくらいは聞いてやれるかもしれない。

私でよければ、気軽に話してみるといい。もちろん、外部には漏らさないよ」


 語り掛けてくるドクターには、何となく安心感がある。

 私は、少し彼に話を聞いてもらう事にした。


「あの……。ドイツの人には失礼な話かもしれないんですけど。

私、インドネシアにしたような事を他の国でするつもりはないんです。

少なくとも、しばらくは……。

でも、それだと色んな国の人が不満を持つかなと思って。

そしたら、ちょっと訪問する国を選びづらくなって……」


 私が目を落としながら告げると、彼は微笑んで言った。


「そういう事か。君は、国ごとに平等にならない事を気にしているんだね」

「まあ……、はい」

「だが、私たちは聞いているよ。君が地球のために働き、マルデアから魔石を運んでいる事を。

それでも不満を言う者は、ただ未来の事に理解が及んでいないだけだ。

それにね、君には別に我々を助ける義務などないんだ」

「義務、ですか」


 少し顔を上げると、ドクターはゆっくりと頷いた。


「ああ。何しろ、私たちは君に何もしてあげていない。

せいぜいこの店を紹介して、ドイツ料理を振舞っただけだ。

シルバ君を助けてもらった恩としては、あまりに小さすぎる。

この上で更に何かしてもらおうなど、それはただのワガママだ。

君は大きな力を持っているし、とても優しいから。

みんなの事を気にしてしまうのかもしれないがね」


 ドクターは、私の事を褒めてくれた。

 後ろの二人も、うんうんと頷いている。


 私は、中に溜まっていたものがあったのだろうか。

 テーブルに置かれたビールの白い泡を見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。


「……。私は、そんなに優しい人間ではないんです。

今も、政府への訪問を後回しにして飲んだり食べたりしてます。

マルデアでも地球のゲームを沢山遊んで、その時は他の事なんて忘れてます。

だから、きっとそこまで優しくはないです。

ダルいとか、普通に言っちゃうんです」


 本音を漏らして、私は一息つく。

 すると、ドクターはなぜか笑いだした。


「ははは、それはほとんどの人間がそうだよ。

私も余暇の時間は仲間と好きに過ごしているんだ。そうでなければ、疲れ果ててしまうからね。

何も完璧な人間になる必要などないんだよ。

君が行きたい国へ行って、したい事をすればいいんだ」


「そうだぜ嬢ちゃん。俺なんざ毎日、酒を飲むために仕事してんだ。

こんな俺たちのために、気に病む必要はねえよ。がははは!」


 常連のおじさんはそう言って、ジョッキを掲げて笑った。


「リナ君。君はいつも一人で行動しているようだが、仲間はいるのかね?」


 ドクターの問いかけに、私は頷く。


「……はい。両親も、ガレナさんも、サニアさんも、みんな私を支えてくれています」

「それはよかった。その人たちはきっと、君にとってかけがえのない存在だ。

私も、家族や仲間に支えられて生きている。人間は、そうやって何とか生きていく存在なんだよ。

それにね……」


 壁にかけられたユニフォームを眺めながら、彼はしみじみと続けた。


「君はもうドイツで、一人の男の人生を救ってくれたんだ。

私たちがどれだけ君に感謝しているか。

シルバ君はきっと、今日の事を一生忘れないだろう。

だからね。君は今のままでいいんだ」


 ドクターの言葉は、自然と私の胸に沁み込んできた。

 私が一人助けただけで、心から喜んでくれる人がいる。


 そうだ、私らしくいればいい。仲間を頼っても良い。

 うん。それでいいんだ。

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