第三十九話 母と息子


 オーストリアの田舎町に降り立った私は、目の見えないピアノ弾きの少年と出会った。


「お姉ちゃんは、道に迷ったの?」


 少年は部屋の窓から顔を出し、目を閉じたままこちらを見上げる。


「うん。ウィーンまで行きたいんだ」

「だったら、うちで待ってればいいよ。お母さん、仕事で毎日市内に行くから。明日には連れて行ってくれるよ」


 そう言って、見ず知らずの私を家に入れようとする少年。

 ちょっと不用心だな、この子。


「……、私を入れていいの? 怪しい人だったらどうするの?」


 私が問いかけてみると、彼は悩むように顎に手を当てた。


「うーん、お姉ちゃんの声は怪しい人の感じじゃないと思うけど。

でも、そうだね。知らない人を家に入れちゃいけないってお母さんも言ってたし。

じゃあ、僕が出るよ」


 と、少年は突然窓からよじ登るようにして外に出てきた。

 草原に座り込むと、彼はニコリとほほ笑んだ。


「僕、退屈してたんだ。ずっとピアノの練習ばっかりしててさ。お母さんが帰るまで、一緒に話そうよ」

「う、うん。いいけど」


 こうなったら、ここでこの子と母親を待った方がいいかな。

 そう思って、私は少年の話を聞く事にした。



「僕はルーカスだよ」

「私はリナ」


 こちらが名乗っても、ルーカスは私が宇宙人だとは気づかないみたいだった。

 なんだかそれが気楽に思えて、私は彼と沢山話をした。


 ルーカス君は、どこにでもいるような普通の少年だった。

 彼のする話は、気に入っているロックバンドの事とか。

 yutubeで人気者のトークを聴くのが面白いとか。学校の友達の話とか。

 そんな庶民的な話を、楽しそうに喋っていた。


「ママはさ。僕がりっぱなピアニストになると思ってるんだ。

目が見えない分、音を聴き分ける才能があるって言ってる。

だから高いピアノを買って、五歳の時から音楽の教師を雇ってるんだ」

「へえ、すごいね」


 クラシック系の演奏家になるには、幼少期からトレーニングを施すのが常識らしい。

 彼の母も、その道を歩ませようとしているのだろう。

 でも、彼はちっとも嬉しくなさそうに首を横に振った。


「凄くないよ。僕、コンクールにも出たけど、賞を取るどころか上位にも入ったことがないんだ」

「それは、まだ若いからじゃない?」

「ううん、小学生のコンクールだから、上位に入らなきゃ将来プロになれないって言われてる。

僕わかってるんだ。去年から全然うまくならない。

毎週来る教師の人が『あまり向いてないな』って呟いたの、聴こえたんだ。

でも高いお金は払ってるから、教師の人はママにはいい顔するんだ。

いずれ上手くなりますよって言って。でも、もうあんまり楽しくないんだ」

「……」


 ルーカス君は顔を落として、自分の両手を合わせる。

 そうか。この子が退屈そうにしていたのは、そういう事だったんだ。


「ママはベートーベンが好きなんだ。

ベートーベンは昔この町で暮らしてて、耳がほとんど聞こえないのに作曲をしてたんだって。

だから、僕にもできるって言ってた。きっと夢はかなうって。

でも僕ね。ピアニストになるの、別に夢じゃないんだ。それに、最近なりたい仕事ができたんだよ」

「なりたい仕事?」

「うん。僕ね、店員さんになりたいんだ」


 少年は、打って変わって嬉しそうに言った。随分と漠然とした仕事だな。


「店員さん?」

「うん。店員さんは、いっぱい色んなお客さんと話してるから。僕、たくさん人と話したいんだ。

話すのって、とっても楽しいよ。今もお姉ちゃんと話してて、凄く楽しい。そう思わない?」

「うん。私も楽しいよ」

「でしょ? 僕、お菓子屋さんがいいなあ」

「甘いものいっぱい食べられるから?」

「当たり! あははは」


 ルーカス君が楽しそうに笑うので、私も楽しくなって笑った。


 私たちは、それから色んなお店の話をして過ごした。

 明るい話の方が、彼も嬉しそうに話すから。

 そして日が暮れて辺りが暗くなってきた時、遠くから車の音がした。


「あ、ママだ」


 どうやら、母親が帰ってきたらしい。

 ルーカス君は家の壁を手繰りながら、表の方へと向かった。


「ママ、お帰りなさい」

「ルーカス……。あなたなんで外にいるの? 危ないからあまり出歩いちゃダメって言ったでしょう」


 母親は、息子の様子に驚いているようだった。


「ちょっとね。お友達とお話してたんだ」

「そう、家の周囲から離れちゃダメよ。それより今、国中で捜索が出てるのよ」


 スーツ姿の母親は、少しそわそわしているようだった。


「そうさく?」


 ルーカス君が首をかしげると、母親は頷く。


「ええ。今日リナ・マルデリタがマルデア星からウィーンに来る予定なんだけど。

地球に来る時は毎回どこに落ちるかわからないらしいのよ。

うちのあたりに来てないか見てくれって言われて。もし会えたら、ルーカスの目を……」


 そこまで言ったところで、彼女は私を見つけたようだ。


「……まさか、あなた……」


 こちらを見て目を見開く母親は、私の姿を知っているらしい。


「はい、リナ・マルデリタです。この近くに落ちてしまいまして、お邪魔しています」


 私が頭を下げると、母親は勢い良くこちらに駆け寄ってきた。


「息子のところに来てくれたの!?」

「え、ええと……。それはどういう……?」


 後ろに一歩後ずさりながら問いかけると、彼女は私から身を引いて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。その、リナは毎回、困っている人の所にやってくると聞いていたから。その……」


 母親は言いにくそうにルーカス君を見下ろす。

 その意味するところは、なんとなくわかっていた。

 なら、今はその『困ってる人の所にやってくる』設定を守るべきだろう。


「ええ。ルーカス君に出会ったのは、偶然じゃないと思います。

でも、一応お母さんの許可をもらわないといけないので」

「……許可?」


 ぽかんと口を開けた母親に、私は頷いて続ける。


「はい。目が見えない事で、優れた聴覚が得られるとおっしゃっていたそうですね。

ルーカス君の目を治せば、もしかしたら彼のピアニストへの道を邪魔する事になるかもしれません。

あなたは、どうして欲しいですか?」


 母親はこの子のために、幼少期から英才教育を施してきた。

 母子家庭だ。自分でそのための金を稼いで、息子に人生を注いだのだろう。

 それがどれだけ大変だったかは、私にはわからない。

 でも、一応聞いておくべきだと思った。


 私が問いかけると、母親はその場に膝をつき、崩れ落ちた。

 そして、絞り出すようにして言った。


「……。お願い、ルーカスを治してあげて。

この子は、別にピアニストになりたがってるわけじゃないの。

普通の仕事は難しいと思ったから、私が無理にレッスンさせていただけなの……」


 どうやら、母親もわかっていたようだ。

 息子の心の内側を。

 ルーカス君の夢が、別の方向に向いていた事を。


「わかりました」


 私が頷くと、ルーカス君が不思議そうにこちらを見上げる。


「お姉ちゃん、宇宙人のリナ・マルデリタなの?」

「うん、そうだよ」

「なら、お姉ちゃんが魔法使いってほんとなの?」

「ふふ、証明してあげようか。ちょっとごめんね」


 私は輸送機から魔石を一つ取り出し、彼の顔に手を当てる。そして、魔力を込めて念じた。


「かの者の目に、生命の力を」


 すると私の手から光が溢れ、ルーカス君の目を包んでいく。


 光が消えたところで、私は手を離した。


「なに? なんか、へんな感じだよ」


 顔を手で抑えるルーカス君は、違和感を覚えているようだ。

 辺りは暗いし、ここで目を慣らしても大丈夫だろう。


「手をどけて、目を開いてごらん」

「へ?」


 ルーカスは恐る恐る手を下ろし、瞼を上げる。


「え……。み、見える。おねえ、ちゃん?」

「うん。でも私より、お母さんはこっちだよ」


 私はルーカス君の体を掴み、顔を母親に向けてやる。


「ルーカス、あなた……」

「ママ。見えるよママ……」


 ルーカスの目から大粒の雫が溢れ出していた。


「ルーカス……。ああ、よかった」


 母親はルーカス君を抱きしめ、少年も母を抱きしめた。


「ママ……。空ってこんなにきれいなんだね」


 母の腕の中で、少年は広大な夜空を見上げる。


「ええ、世界はとってもきれいよ。リナさんに沢山感謝しないといけないわね」

「うん。お姉ちゃん、ありがとう。お母さんもありがとう」


 少年は、目を潤ませながらそう言った。

 母親はルーカス君の髪を撫で、慈しむように見下ろす。


「これから一緒に、いろんなものを見ましょう。

店員さんになりたいなら、色んなことを知らなきゃいけないわ」

「うん」


 二人は微笑み合い、未来について語り合っていた。


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