第12話 前進
直方体の木型から固まった石鹸を取り出し、ナイフで手頃な大きさに切り分ける。全部で十二個の石鹸が出来上がった。
「後は一ヶ月ほど風通しの良い場所で乾燥・熟成させて、完成なのですが……」
掌大の作りたて石鹸を一つ片手に、フォリウムは不安げに見つめてくるレナロッテにちらりと目を遣った。
「……そんなに待てませんから、ちょっとズルしましょうか」
そういって魔法使いは、作業テーブルに羊皮紙を広げた。羽ペンで複雑な文様を描き、その上に石鹸を置く。
「なに、をする……?」
「風化の魔法です」
テーブルを覗き込んできた彼女に答えると、魔法使いは杖を振るいながら呪文を唱える。羊皮紙の文様が魔力に呼応し輝き出す。
「別名、経年魔法。この魔法陣の中だけ、時の進みを早める魔法だよ」
詠唱中の師匠に代わり、弟子が説明する。
「この魔法は調整がとっても難しいんだ。ちょっとでも目測を誤ると……」
「あ」
フォリウムが声を止めたのと同時に、魔法陣の中の石鹸がボロッと砂になって崩れた。
「少し、時を進め過ぎましたね。……百年単位で」
文字通り風化した。
魔法使いは新しい石鹸を置き、もう一度魔法を掛け直す。魔法陣から溢れた光が静まると、フォリウムは杖を下ろした。机の石鹸は、一見何も変わっていないようだが。
「わ、固くなってる」
ノノは魔法を掛けた物とそうでない物を片手ずつ持った。比べてみるとよく判る、明らかに魔法を掛けたそれの方が水分が抜けて乾燥している。
「早速試してしましょうか」
水をつけてよく泡立て、レナロッテの粘液で覆われた手に触れる。すると、ジュワッと泡に包み込まれた粘液が溶けた!
「効いてる!」
狐の弟子も目を輝かせて大はしゃぎだ。
「泡が触れた箇所が痛かったりしませんか?」
「だい、じょぶ」
レナロッテに確認してから、フォリウムは満足気に頷く。
「では、本格的に治療を始める為に場所を変えましょうか」
◆ ◇ ◆ ◇
――と、いうことで。
レナロッテが連れてこられたのは、丸太小屋からほど近い小川だった。川
「さすがに室内で大量の水は使えませんからね」
大鍋で湯を沸かし、盥の中のレナロッテが冷えないように湯と水を入れ温度調整をしながら洗っていく。
「うがー! すぐに泡が消えちゃうよ!」
へちまスポンジで石鹸を泡立て、蛭の背中を擦っているノノが忌々しげに吼える。
「一日で全部落ちるものでもありませんから、焦らず丁寧に」
彼女の頭を洗っていたフォリウムが、せっかちな弟子にのほほんと返す。手桶で紫に溶けた泡を流してみると、
「おや」
赤みを帯びた金色の髪が覗いた。これまで隠れていたオレンジブロンドだ。
魔法使いは今度は石鹸を両手でたっぷり泡立てて、顔の部分を洗う。頬を包み込むように優しく撫でていると、顔を覆っていた粘液の欠片がボロリと剥がれ落ちた。
中から出てきたのは、皮膚は赤く
凛々しいアーモンド型の青い瞳が、フォリウムの緑の目を凝視している。
魔法使いは朗らかに微笑んだ。
「やっと、本当の貴女に会えましたね」
「……っ」
その瞬間、堰を切ったようにレナロッテの瞳から涙が溢れ出す。頬を伝うのは、さっきまでの紫ではない。清く透明な雫だ。
「ありがとう……」
ひび割れた唇から、明瞭な声が響く。
まだ身体の大半は魔物に蝕まれたままだが……。
レナロッテはようやく、自分を取り戻した。
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