第15話 ゆめうつつの入学式

陽が座っている。病的に清潔で真っ白なワンピースと椅子。それに反して表情は暗く、普段の明るい彼女からは考えられないほど陰鬱だ。

『これは子供の頃の陽だ』

姿形はいまの高校生の姿であるにもかかわらず、私は訳もなく確信した。

その能力から彼女は周囲から浮いた子供だったと思う。周囲の子供が持つ無辜なる悪意を認識できるだけでなく、本来頼るべき大人たちの中にも悪しき者が点在するということを本能的に確信できること。そのことが間違いなく彼女の人格形成に影響を与えていた。結果、かつての彼女は表情に乏しく、あまり話すことのない、他人に対して心を開かない子供になってしまった。

私はそんな妹の力になりたかった。理由なんてない。家族ってそういうものだと思う。今の明るい陽は彼女自身で掴んだものだけど、私がその一助になっているのなら嬉しい。

とにかく、目の前にいる陽がそんな顔をしているのなら駆けつけなければ。そんな思いのまま私は駆け出そうとする。しかし、私の足は動かない。それどころが、誰かに引きずり込まれるかのように私はどんどん床に沈んでいく。

これは報いだ。私が悪いんだ。家族よりも自分を優先するなんて。そんな諦観にも似た考えが脳裏をよぎり、半ばされるがままにゆっくりと地面と同化していくのを他人事のように認識している。

しかし、私の右手を握りそのまま引き上げる誰かが現れた。あんなに動かなかった身体が、彼に触れられているだけで不思議と軽やかに動かすことができた。その顔は不思議と認識できないが、男性のように見える。

彼は私の手を優しく握ると、ゆっくり陽の方に歩き出す。私はあっさりと彼女の前にたどり着くことができ、彼はそんな私の方を向いて一つ頷く。

『僕ができるのはここまでだよ』

そう言われた気がして、私は――



「月さん、着いたよ」

「ん……」

私はゆっくりとまぶたを開けます。まず視界に入ってくるのは表情に乏しい男性――光太さんの顔。まだまだ寒い春の空気により冷やされたシートではなく、わずかに温かい感触を後頭部に感じました。いつの間にか光太さんの膝を枕にして眠っていたようです。

眼からは涙が溢れていたようで、空色のピンヘッドチェックのハンカチで光太さんは拭ってくれます。彼のどこか冷たい声色に反してその手付きは繊細な優しさに満ちている、そんな風に思えました。同年代の男性にこんなことをされるのは抵抗があるはずなのに、今の光太さんに対してはそんな気持ちは全然ありません。むしろ森の中で日光浴をしているような気持ちよさを感じてしまいます。

「陽さん、ごめん先に行くね。タクシー代は後で……」

「もう入学式が始まってる時間だから、光太さんとお姉ちゃんは先に行って下さい!」

「分かった、ありがとう」

陽と光太さんが話しているのは耳に入ってこず、彼が私の涙を拭ってくれる感触をただ楽しむ、それくらい私はぼんやりしていました。

「月さん、歩ける?」

「はい……おそらく」

そのぼんやりした頭のまま私はそう返します。

「……嫌だったら振り払ってね」

彼はそう言うと、私の右手をそっと握ります。少しだけおっかなびっくりという感じがあり、ちょっとだけおかしかったのは内緒です。

「いいえ、全然嫌じゃないですよ」

私のこの言葉が彼に届いたかは分かりません。しかし、私を先導するように光太さんはタクシーを出て、入学式の会場であるホールへと歩き出します。

私の体調はまだ完全ではないですが、起床したときと比べると雲泥の差です。少なくとも地面に立った途端に崩れ落ちるというようなことはなく、彼に手を引かれて私もその背に着いていきます。

私の足元はどこかふわふわしていて、これが夢なのか現なのか、何となく確信を持てないまま会場にたどり着くこととなりました。

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